小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

師弟不二

番外編7「師弟不二」「立正安国」「変毒為薬」

『新・人間革命』に学ぶ 番外編7

「新・人間革命」につづられた名言をテーマごとに紹介

テーマ「師弟不二」
師弟不二とは、師の心をわが心として生きることであり、いつ、いかなる時も、己心に厳として師匠がいることから始まる。いくら“師弟の道”を叫んでいても、自分の心に師匠がいなければ、もはや、仏法ではない。
師匠を、“自分の心の外にいる存在”ととらえれば、師の振る舞いも、指導も、自身の内面的な規範とはならない。そして、師匠が自分をどう見ているかという、師の“目”や“評価”が行動の基準となってしまう。そうなると、“師匠が厳しく言うから頑張るが、折あらば手を抜こう”という要領主義に堕していくことになりかねない。そこには、自己の信心の深化もなければ、人間革命もない。
己心に、師弟不二の大道を確立するなかにこそ、令法久住がある。
(第25巻「人材城」の章、P332)


テーマ「油断」
それまで、いかに頑張り抜いてきても、ちょっとした油断から、すべてが水の泡となった例は、枚挙にいとまがない。何事においても、最後の最後まで気を緩めることなく、日々、自らを厳しく戒め、挑戦し続けていく人こそが、真の勝利者となるのだ。
伸一は、厳しい口調で語り始めた。「失敗の原因は、いろいろあるだろうが、その本質は、慢心なんだ。(中略)“これまで失敗がないから、大丈夫なんだ”と高を括り、手抜きをするようになる。つまり、そこには、慢心が潜んでいるんだ」
(第12巻「愛郷」の章、P154)


テーマ「立正安国」
“安国”とは社会の繁栄であり、民衆の幸福、世界の平和であります。“立正”が宗教の次元であるのに対して、“安国”は社会の次元であります。
そして、“安国”の直接的に拠って立つ理念とは、『生命の尊厳』であり、『人間性の尊重』『平和主義』の原理であるといえます。これらは、人間の生存の本質から発するものであり、宗教、人種、民族、イデオロギーを超えて、人類が渇望する普遍の理念であります。その実現をめざすものが“人間主義”であり、ここが、すべての出発点であります。
(第14巻「大河」の章、P303)


テーマ「勇気」
「大聖人は、『軍いは大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり』と仰せであります。この7百万世帯は、皆さんが大将軍となって、勇気をもって戦い抜いた証であります。
大聖人も、また、牧口先生、戸田先生も、この壮挙を喜ばれ、諸手をあげて、ご賞賛くださることは間違いありません。
勇気は、希望を呼び、力を湧かせます。勇気こそ、自分の殻を破り、わが境涯を高めゆく原動力であります。
(第13巻「楽土」の章、P391~392)


テーマ「女性の力」
「明2001年から2050年へ、いよいよ、第二の『七つの鐘』がスタートします!」
「今、時代は、音を立てて変わっている。社会でも、団体でも、これからは女性を尊重し、女性を大切にしたところが栄えていく。大聖人は、『女子は門をひらく』と仰せです。広宣流布の永遠の前進にあって、『福徳の門』を開き、『希望の門』を開き、『常勝の門』を開くのは、女性です。なかんずく女子部です」麗しき婦女一体の対話の拡大、励ましの拡大は、21世紀の新たな力となった。
(第30巻下「誓願」の章、P430~431)


テーマ「変毒為薬」
すべては壊れても、生命に積んだ福運は、永遠に壊されることはありません。一遍でも題目を唱えたならば、成仏できるのが大聖人の仏法です。亡くなられた同志は、今世で宿命を転換し、来世も御本尊のもとに生まれ、幸せになれることは間違いありません。
また、『変毒為薬』とあるように、信心によって、毒を変じて薬にすることができる。大聖人は『大悪をこれば大善きたる』と仰せです。
今は、どんなに苦しくとも、必ず幸せになれることを確信してください。いや、必ずなってください。強い心で、強い生命で、見事に再起されるよう祈り待っています。
(第30巻下「誓願」の章、P393~394)



師匠と共に

『新・人間革命』第22巻 新世紀の章 23p

広宣流布を成就する力は、師子の団結にある。傍観者の群れや、人を頼み、互いにもたれ合うような烏合の衆では、勝利はない。"一切の責任を私がもつ!"と心に定めた、一人立つ獅子と獅子との結合が大願を成就するのだ。

戸田第二代会長の出獄30周年記念集会であいさつに立った山本伸一は、声高らかに宣言した。「今、私どもは新しい出発の時を迎えました!」「恩師の偉業を讃え、永遠に顕彰するために、先生の故郷である厚田村に、記念碑を建設することを提案し、私のあいさつとさせていただきます」

師匠を宣揚することは、運動の原点を明らかにすることでもある。師の教え、生き方のなかに、自分たちの運動の目的が示されているからである。

青年の代表が山本伸一に戸田先生のことを教えていただきたいと言うと伸一は、うれしく思った。「大事なことだね。しかし、戸田先生の指導は、ほとんど本に収録されているし、私もこれまで、先生のことは、みんなに話してきた。だから、今度は、みんなで先生の指導について思索し、君たちにとって"戸田先生とは"また"学会の師弟とは何か"を考えていくんだよ。」

戸田城聖も、師の牧口常三郎と共に、軍部政府の弾圧ちう大難に遭い、投獄され、牧口は獄死している。伸一の第三代会長就任後も、政治権力をはじめ、さまざまな勢力による、学会への攻撃が繰り返されてきた。その攻撃の照準は、いつも会長である伸一に絞られていた。

学会の団結の要であり、前進の原動力ともいうべき伸一を倒せば、同志は分断され、広宣流布は 破たんをきたすことになる。したがって魔は、常に師弟の離間に躍起になるのである。学会弾圧の背景には、破竹の勢いで拡大する民衆平和勢力に対する、権力をもつ者の恐れ、憎悪、嫉妬がある。

日蓮大聖人の時代から、弾圧を加えるには大義名分が必要であった。しかし、大聖人には、社会的違法行為など全くなかった。そこで、不当な手段で竜の口での斬首を計画する。それが失敗に終わると、念仏者らが放火、殺人を行い、日蓮の弟子たちの仕業であると讒言し、大聖人は佐渡流罪となったのである。

学会への迫害は続くのである。根拠のない噂話を捏造して喧伝し、それが事実であるかのように騒ぎ立て、操作や法的制裁の対象に仕立て上げようとすることもあろう。また、法解釈をねじ曲げて、学会の諸活動が違法であるとして、弾圧を企てることもあろう。

社会の制度は変わっても、むしろ、巧妙さを増して、迫害は続くのだ。そこに正義を貫く仏法者の、受難の方程式がある。

青年たちは、将来、権力の弾圧をはじめ、法難が競い起こるだろうことを自覚していた。その時、どうすれば全青年部員が退転することなく、師匠と共に、学会と共に、信心を貫けるのかーー紙上座談会では、それが大きなテーマともなった。

大聖人は 退転者の共通項を、「をくびやう物をぼへず・よくふかく・うたがい多き者ども」とご指摘になっている。師である大聖人が御入滅になると、臆病や名聞名利の心が頭をもたげたのだ。

女子部長の田畑幾子が言った。「五老僧は、自分としては、当然のことをしていると思っていたかもしれません。気づかぬうちに、信心の軌道を踏み外す。そこが怖いところです」

「一応、言い分としては、弘教の方法論への批判というかたちをとっているが、その本質は"大聖人の生き方はこうだ。しかし、われわれは別の生き方をしよう"という、師匠への"離反の心"がある。それは、無自覚ではあっても臆病な心から起こっている。実は、この"心"こそが、退転の元凶ではないだろうか」

"どこまでも広宣流布に進む師匠と共に、同志と共に"という異体同心の一念、師弟不二の一念を失う時、信心の軌道から外れ、瞬時にして信仰は破壊されてしまう。そうなれば、無明の深遠へと転落していくことになる。

青年たちは、やがて学会に競い起こる法難を自覚する時、自分たちの今後の課題がクローズアップされてくるのを感じた。


太字は 『新・人間革命』第22巻より 抜粋


カテゴリー


新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


→メルマガで届く 『小説 新・人間革命』に学ぶ
ブログでは 言えないこと

メルマガ『勝利の哲学 日蓮大聖人の御書に学ぶ』