小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

師弟の道

仏法の根本は師弟にある

『新・人間革命』第19巻 陽光の章 222P~

伸一に、自らの生命を注ぎ込むようにして、仏法を、さらに万般の学問を教えてくれたのは、戸田であった。戸田は、よく伸一に語っていた。「仏法の生命尊厳の法理と慈悲の精神が、創価の思想が、人類救済の大哲理であることを、世界に知らしめていかなければならない。それには、大学が大事だ。世界の大学が仏法哲理の重要、仏性を知り、研究に取り組むようになれば、そこから新しい思想潮流が起こる」

伸一は同行の幹部に言った。「これからも、仏法を社会に開いていくために、さらに大学講演を行っていこう。また、いつかハーバード大学などでも、講演することになるだろう」この時、それが現実となるとは誰も想像しなかった。しかし、後年、山本伸一は、モスクワ大学、北京大学、フランス学士院、ハーバード大学など、世界の知性の府で、次々と講演を行うことになる。

4月2日、伸一はサンタモニカのアメリカ本部で、恩師・戸田城聖の17回忌法要を挙行した。仏法の根本は師弟にある。「師弟の道」がわかれば、自身の人間革命も一生成仏も間違いない。また、広宣流布の永遠不滅の道も開かれる。

彼は、恩師への思いを静かに語っていった。「私はいつ、どこの地にあっても、戸田先生のご指導が、あの獅子吼の姿が、瞬時も脳裏から離れたことはありません。常に、"先生が今の私をご覧になったら、なんと言われるか""先生ならば、どうされるか"と自分に問い続け、師の遺志を受け継いで広宣流布に邁進してまいりました」

彼は、「師」とは「人生の規範」であり、「広布の道」とは「師弟の道」であることを伝えようとしていたのである。「戸田先生を知らない皆さんは、先生のことを、もっと、もっと、知りたいと思われていることでありましょう。しかし、先生と何度もお会いし、指導、激励を受けながら、広宣流布のために本気になって戦おうともせず、退転していった人もおります。」

「先生を知るとは、先生の信心を学び、実践することです。その人の心にこそ、戸田先生がいらっしゃるんです。この4月2日を人生と信仰と広布への意義ある跳躍の日と定めて、前進していくことを誓い合おうではありませんか!」

師の心をわが心として広布の庭で戦う人は、常に師と共にある。戸田城聖の大きな偉業の一つは、難解な仏法の法理を、わかりやすく現代的に解釈し、展開したことにある。信仰の目的である「仏の境涯」に至ることを、「人間革命」と表現した。

私たちが信心に励む目的は、この人間革命にこそあるのだ。伸一は、青年たちに、日蓮仏法は人間革命の宗教であることを知ってほしかった。その人間革命のための指標を、具体的に示しておこうと思った。 伸一は、「健康」「青春」「福運」「知性」「情熱」「信念」「勝利」の7項目を人間革命の指標として示したあと、さらに、これらを包括し、仏法者の規範として確立されなければならないものこそ、「慈悲」であると訴えた。

「私たち凡夫の場合は、勇気をもって行動することが慈悲に変わるのである」と力説。そして、慈悲と勇気の実践である広宣流布に生き抜くことの大切さ、尊さを訴えたのである。

4日、アメリカの創価学会が主催する「サンディエゴ・コンベンション」に出席するために、サンディエゴ市に向かった。

斉木がサンパウロ州のオザスコ市から、伸一に贈られた銀製プレートを届けに駆けつけて来た。斉木が青年を育成するためのポイントは何かと伸一に尋ねた。伸一は、「未来の指導者に仕えるような気持ちで、青年に接していくことです。」

「そのうえで、基本をしっかり身につけられるようにしていくことが大事になる。連絡や報告に始まり、勤行、折伏、教学、家庭指導など、特に信心の基本が習得できるよう応援することです。また、訓練も大切です。訓練というのは、物事を体で覚えて、体得していくためのものです。それができていないと、頭ではわかっていても、いざという時に的確な対応ができない。さらに、新しき挑戦こそ、青年の生命です。青年の挑戦を最大に讃え、見守っていくことが必要だと思う」


太字は 『新・人間革命』第19巻より 抜粋

21世紀は女性の世紀

『新・人間革命』第17巻 本陣の章 20P~ 

「大聖人は「華果成就御書」では、こうも仰せになっている。『よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといえり、師弟相違せばなに事も成すべからず』師匠と弟子の心が違っていれば、何事も成就できない。創価学会のこれまでの大発展は、師弟不二の、金剛不壊の団結によって勝ち得たものです。師弟の使命を深く自覚するならば、恐れるものなど何もありません」 

伸一は、青年部には、真正の弟子として立ち上がってほしかった。そこに第二章を迎えた広宣流布の、未来の一切がかかっているからである。

山本伸一は牧口と戸田の子弟の関係を通して、青年部各部の部長に訴えた。「日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、広布に邁進する創価学会の精神の骨髄は、久遠の縁に結ばれた師弟の絆にある。それは、いっさいの利害、打算を拝した、広宣流布という最も崇高な使命に結ばれた、金剛不壊の人間の連帯です。この師弟の精神が脈動している限り、学会は、永遠に、常に大発展していきます。」

「師弟の道」は峻厳である。そして、そこにこそ、「人間革命」と「一生成仏」の大道があるのだ。

「私も、徹底して戸田先生に使え、守り、弟子の道を全うしてきた。先生の示された目標には、常に勝利の実証をもってお応えしてきた。負ければ先生の構想は崩れ、結果的に師匠を裏切ることになるからです。」

「私はいつも、心で戸田先生と対話しています。先生ならば、どうされるか。今の自分をご覧になったら、なんと言われるかーー常に自身にそう問い続けています。だから、師匠は、生き方の規範となるんです。」

過去に「青年の年」の意義を刻んだ年は、二度あった。最初は、戸田先生が第二代会長に就任された年です。その時、男子部、女子部が結成され、さらに、『青年訓』が発表された。次が、山本伸一が会長に就任した翌年である。今また、『広布第二章』の本格的な開幕にあたって、「青年の年」と名づけたのは、広宣流布の方程式である。

「今こそ青年が広布の前面に躍り出て、戦いに戦い、燦然たる、新しき創価の時代を築かなくてはならない。それができてこそ、創価の後継者です。私は、君たちがいかに戦い、何を成すか、じっと見ています。」

女子部長の吉川美香子は、伸一の言葉に頷いた。伸一は、彼女に「21世紀は『女性の世紀』だ。女子部の使命は大きいよ」と言った。

彼女は、恵まれた家庭に育ったが、父親が人に騙され、アルバイトして、高校生活を送った。家族は、学会に入会していったが、キリスト教に傾倒していた美香子だけは入会しなかった。大学卒業後の進路に悩んでいた時、妹の姉を思う真心に創価学会に入会した。キリスト教の信仰を捨てれば、地獄に落ちるかもしれないと恐ろしかったが、学会活動に全力を注ぐと、社会に貢献でき、自分も満足できる人生を送れるだろうかという悩みの答えが見つかる。

山本会長の弟子になり、師と共に戦いたいとの思いが強まり、本部職員として、庶務局として、山本会長の日々の行動を、直接目にすると、常に皆をどう元気づけ、勇気を与えるかを考え、励ましを送り続ける伸一の姿に驚嘆した。

彼女は、「不自惜身命」という経文の意味を、初めて知った思いがした。“弟子ならば、私も同じ決意で立ち上がろう”吉川は誓った。1970年の8月には、女子部長に就任したのだ。

山本伸一は、語った。「20年後、30年後には、今の女子部が、どんどん世界に出ていって活躍する時代になるでしょう。あなたたちが、21世紀の世界的な女性運動の、新しい流れを開いていくんだよ」


太字は 『新・人間革命』第17巻より 抜粋

0

広布第二章の心得は 師弟の道を歩むこと

『新・人間革命』第17巻 本陣の章 7P~ 

<第17巻 本陣の章 開始>



学会が「教学の年」と定めた1973年(昭和48年)が明けた。正本堂の建立という大目標を達成し、「広布第二章」に入って、初めて迎える新春であった。

今年こそ 今年こそとて 七歳を
過ごして集う 二百万の民

山本伸一は、戸田城聖が逝去の年(昭和33年)の年頭に発表した歌を思い起こしながら決意を新たにした。戸田は、会長就任式の席で、会員75万世帯の達成を宣言した。話を聴いた誰もが、”不可能だ!”“現実離れした目標だ”と思った。だが、この時、伸一は深く、強く心に誓った。

“これは、まぎれもなく戸田先生の出世の本懐だ。ならば、この75万世帯の達成は、弟子たる私が、絶対に成し遂げねばならぬ仕事であり、使命だ。”

そして、遂に1975年12月、7年目にして願業を成就したのだ。75万世帯二百万の同志が、創価の旗のもとに集ったのである。戸田は、年が明けた元旦の和歌に、その大願を成就した戦いの要諦をうたい残したのだ。それが「今年こそ」の一念である。

“今年しかない”“今年こそ天王山だ”と「臨終只今」の決意で走り抜いたのである。

「広布第二章」とは、仏法を基調とした本格的な社会建設の時代の開幕であり、「新しき開拓」を意味する。開拓とは、新たなる挑戦であり、死闘によってのみ切り開くことができる茨の道である。これまでと同じ考えで同じ行動をしていたのでは、開拓などできようはずがない。それは既に惰性であり、戦わずして破れていることになる。

何事も始めが肝心である。今、いかに第一歩を踏み出すかで、十年先、五十年先の勝敗が決定づけられてしまうのだ。それだけに山本伸一は、まず自分が、あの戸田城聖の和歌に示された、「今年こそ」との決意に立ち返り、再び、勇猛果敢な大闘争を開始しようと誓ったのである。


伸一は訴えた。「『広布第二章』とは、創価学会に脈打つ仏法の英知を社会に開き、人類の共有財産としていく時代の到来ともいえます。そのためには、原点に立ち返って、仏法という理念を、徹底して掘り下げ、再構築していかなくてはならない。ゆえに、本年を『教学の年』としたんです。」

「大聖人は『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ』と仰せです。新しき発展のためには、教学の研鑽に励み、仏法の理念を極めていくことが不可欠になる。」

1973年は、別名「青年の年」とされていた。これは「広布第二章」の担い手は、まぎれもなく青年であることから、青年の新出発の年とすべく、伸一が提案し、決定したものであった。男子部長の野村勇が「心すべきことはなんでしょうか」と質問すると伸一が即座に、「師弟の道を歩めということです」と答えた。

「それは、遠心力と求心力の関係だよ。仏法を社会に大きく開いた運動を展開するというのは、これは円運動でいえば遠心力だ。その遠心力が強くなればなるほど、仏法への強い求心力が必要になる。この求心力の中心こそが、師弟不二の精神だ。」

「何かを学び、極めようとするならば、必ず師匠、指導者が必要です。ましてや人生の真実の価値を教え、人間の生き方を説く仏法を学ぶには、師匠の存在は不可欠です。師匠がいないということは、生き方の具体的な規範がないということなんです」

「師弟とは、弟子の自発的な意思があってこそ成り立つ魂の結合といえる。」また、伸一は、仏法で師への随順を説いている理由を語っていった。「法の正しい習得がなされなければ、仏道修行の成就はないからです。たとえば、車の運転を習うにも、教官の指導に従う」

「ましてや仏法には、自身の一生成仏がかかっている。間違っていれば、自他ともの幸福の道を閉ざしてしまうことになる。師匠には、随順していくことが大事なんです。」

「真心と真心の絆が、広宣流布をめざすこの魂と魂の結合が、日蓮仏法の師弟なんです」

太字は 『新・人間革命』第17巻より 抜粋

0

師弟の道

『新・人間革命』第9巻 新時代の章 P13~

大客殿落慶法要では、山本伸一は 日達法主から「日蓮正宗法華講総講頭に任ずる」と請書を手渡され、法華講総講頭として、全信徒をまとめ、広宣流布の指揮をとることになったのである。

午後6時から、戸田城聖の七回忌法要が営まれた。師との誓いを果たし抜いて、この日を迎えた伸一の胸には、弟子としての誇りと喜びがみなぎっていた。

彼は、戸田から受けた数々の黄金不滅の指導は、むしろ、師の没後のための指標であり、規範であるととらえてきた。そして、戸田の言葉に込められた真意をくみ取り、現実のものとしてきたのである。

たとえば、「世界の名材を集めて大客殿を建立せよ」との言葉を聞いた伸一は、戸田の念願は世界広宣流布にあると考え、自ら世界を回り、名材を購入することはもとより、実際に世界広布の開拓に着手した。

ただ、世界の名材を集めるだけなら、決して難しいことではなかった。彼は、形式のみに目を奪われるのではなく、戸田の精神に立ち返って、師の言葉に込められた甚深の意義を見極め、その実現のために
全魂を傾けてきた。ここに、まことの「師弟の道」がある。

副理事長の関が、「私は、山本先生の本当の弟子となって、先生につききってまいります。なぜなら、それが、戸田門下生のまことの生き方であり、戸田先生の示された師弟の道であるからです。」と語った。この関の決意は、すべての戸田門下生の思いであったにちがいない。

創価の団結とは、師という中心軸のもとに、広宣流布という至上の目的のために、ともに生涯をかける、“無私の勇者”の結合であるからだ。ゆえに、師弟を離れて、広宣流布はない。

伸一のあいさつとなった。「私ども戸田門下生は、本日をまた第一歩として、再び7年先を第二の目標として、広宣流布のために、平和社会の建設のために、勇敢に、力強く、大勝利の前進を開始してまいろうではありませんか!」

「戸田先生は、小説『人間革命』を書き残してくださいました。・・・その先生が、出獄後のことについては、何も書こうとはされなかった。そこには、“私の出獄後の『人間革命』の続編は、伸一、お前が必ず書け!私が死ぬまでの姿を、厳然と書き残していくのはお前である”との、深いお心があったことを、私は先生の言々句々から痛感いたしておりました。そして、その先生の意思を、胸深く受け止めてまいりました。」

ー山本先生が、いよいよ『人間革命』の続編を書かれるのだ!同志の顔に光が走った。

「先生は、“妙悟空”というペンネームを使われましたので、弟子の私は“法悟空”という名前にいたします。二人の名前の最初の文字を合わせれば、“妙法”となります。」

「これまで戸田先生から賜った指導を全部含め、先生の業績を書きつづってまいります。また、先生をいじめ、弾圧してきた人間たちのことも書き残します。さらに、学会への、評論家や学者、政治家などの誹謗や批判についても、それを、ことごとく打ち破る小説にしていく決意であります。」

翌日のあいさつで、伸一は、「本門の時代」の意義に言及していった。「『本門の時代』とは、個人に即していえば、一人ひとりが自己の人間革命の総仕上げをするとともに、地域、職場にあって、見事な実証を示し、信頼の大輪を咲かせゆく時代であります。」

「この七回忌法要は、法華経でいうならば、迹門の化城喩品であると思っていただきたい。一つの仮の目標であったにすぎません。今度は、それぞれが、己心の化城喩品を去って・・・、それぞれが、己心に本門を現し、一人も退転することなく、広宣流布の勇者として全身されんことをお願い申し上げます」

ここに、新しき「本門の時代」の扉は開かれたのである。

8月6日は 広島原爆忌
8月6日は、『新・人間革命』寄稿の日であり、脱稿の日でもある。


太字は 『新・人間革命』第9巻より
カテゴリー


新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


→メルマガで届く 『小説 新・人間革命』に学ぶ
ブログでは 言えないこと

メルマガ『勝利の哲学 日蓮大聖人の御書に学ぶ』