小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

師と弟子

新しい飛躍のための布陣

『新・人間革命』第10巻 桂冠の章 P365~

伸一は、交流団のチャーター機を見送るために空港近くに車を走らせた。チャーター機が飛び立つのを見つけると、交流団全員が、元気で、また、無事故で帰国できるよう、真剣に題目を唱えた。唱題は、飛行機の姿が見えなくなってもいつまでも続いていた。

一方、チャーター機の中では、皆、くつろぎながら談笑する人や まどろみ始める人もいた。その時、乗務員が 操縦室の窓ガラスにひび割れがあることが判明し空港に引き返すことを告げた。

伸一は、日本に帰ったはずの交流団が戻っていることを知ると「いくらハワイがいいところだからって、今度は戻ってくるんじゃないよ」と言ってそれ以外は、何も語らなかった。

交流団のメンバーは、その後、伸一がチャーター機を見送り、題目を唱え続けていたことを聞くと、惰眠から覚めた思いがした。

“自分たちは、ただ安心しきって、定めれた行事に出席した以外は、修学旅行に来た生徒のように、ハワイの日々を楽しんでいたにすぎなかった。だから、飛行機がホノルルに戻ると聞いても、みんなで歓声を上げ、はしゃいでいた。広宣流布のために、ハワイに来させていただいたという自覚は、まるでなかった。でも、山本先生は、私たちが無事に帰国できるように、祈ってくださっていたのだ。もし、事故に遭遇してしまえば、取り返しのつかないことになると、懸命に、必死に、祈られたにちがいない。本来、私たちこそ、真剣に、無事故を祈らなければならないのに・・・。まったく、油断という魔に食い破られるところだった。”

皆、うわついていた自分たちの姿勢を恥じた。そして、伸一の行動から、瞬時たりとも気を抜くことの許されない、広宣流布の指導者の責任の重さを、しみじみと感じるのであった。

帰国した山本伸一は、新しい飛躍を期すため、最高幹部の人事を行い、指導陣を強化するとともに、青年部の新たな婦人を考えてきた。そして、2月度の本部幹部会で発表した。年配者の理事長を立てるとともに、新たに総務制を設け、複数の総務が理事長と同じ権限と責任をもって、会館の運営、指導にあたることになったのである。

また、この席上壮年部の設置が発表された。壮年は、各部の要ということから、あえて、組織化されずにきた。伸一は、熟慮の末に、いよいよ壮年が立ち上がる時が来たと感じ、壮年部の結成に踏み切ったのである。

学生部長には、立松昭広が任命になった。彼は、医師だった祖父を癌で失くしていた。医学の専門家でありながら、自らの生命に対しては無力であったことを思うと、生命とは何かを知りたいと、哲学書を読み耽ってきたが、彼の問いに応えてくれる哲学には出会えなかった。

結核に苦しんで信心を始めて病を克服した体験を持つ叔母にすすめられ、戸田城聖の「生命論」を読んだ時、彼が疑問に思っていたことが、実に明快に解き明かされたことで、感動し、彼は自ら入会した。

女子部長になった藤矢弓枝は、中学校の時、社会科の授業で、「宗教が社会に及ぼした影響」という研究テーマのために、寺院などを回って話を聞こうとしたが、寺に議論をしに来る有村武史を紹介され、宗教には、正邪があり、創価学会こそ、人びとを幸福にできる唯一の宗教であると訴える彼の話が、理路整然として、説得理性があり、彼女は、信心がしたいと、自宅に来て父親に仏法の話をしてほしいと
頼み、遂には、父も一緒に入会し、信心を始めたのである。

高校卒業後、銀行に勤めた弓枝は、21歳で全国で最年少の支部の責任者の任命を受けた。当時の支部は、大所帯であり、彼女が責任をもつ女子部員は 1400人余りであり、しかも、居住地は、東北や四国にまで広がっているのである。

伸一は、すぐに励ましの手紙を書き送った。伸一の手紙に、弓枝は、最高の組織をつくろうと、決意を新たにした。


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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師と弟子の道

『新・人間革命』第10巻 桂冠の章 P355~

引き続き、ハワイ総支部の新人事が 発表され、ワイキキとオアフの2支部の結成が発表され、これで、ハワイは、1総支部4支部の布陣で、スタートすることになったのである。

人事発表に続いて、再び、伸一は指導に立った。ここで、彼は、次々と未来構想を発表していった。常に希望あふれる、新しき目標を示しゆくこともまた、大事な指導者の責任といえよう。

このあと、会館の庭で、参加者全員が山本伸一と一緒に、記念の写真に納まることになっていた。撮影が終わるたびに、友の輪のなかに入り、一人ひとりに声をかけ、握手を交わし、念珠など、記念の品を渡していった。

一瞬一瞬が真剣勝負であり、全魂を傾けてての激励・指導であった。
同志のために献身する伸一の激闘を、役員として、目の当たりにしてきたのが、あの「パイナップル部隊」の青年たちであった。

彼らは、その姿に大きな感動を覚え、山本会長とともに、生涯、広宣流布に生き抜こうと、誓いを新たにするのであった。

深夜に聖教新聞の記者が 会館へやってくると、男子部が山本会長の安全を守るために、警備をしていた。彼らは、誰に言われたわけでもなく、夜通し、警備をしようと決め、交代で、会館の車庫のなかにいたのである。

記者たちの驚きは大きかった。そこには、人生の「師」を求め、仕え、守ろうとする「弟子」の姿があったからだ。「師」と「弟子」という関係は、文化的な風土や伝統から見て、日本人でなければ理解できないのではないかと、記者たちは考えていた。だが、それは自分たちの思い上がりにすぎなかったことを、彼らは痛感したのであった。

いかなる道であれ、それを深めようとする時、教えを受け、指標とし、模範となる人の存在は不可欠である。それが「師」である。そして、その「師」に応えんとする時、そこに、おのずから「弟子」の道が生まれる。まさに、それは、求道に生きる人間の、必然的な帰結といえよう。

ハワイの青年たちは山本会長に直接指導を受けることが願いであったが、山本会長がお疲れだろうと、それを口にできず、必死になって願いが叶うよう唱題した。交流団と勤行した伸一は、庭の芝生の上で正座して、待機するハワイの青年たちを見た。

伸一は、手を振りながら庭に出て行く。青年たちは、伸一への最高の敬意を、表すため、正座したままで膝を崩そうとしなかった。伸一は、「仏法も学会も、自由なんです。堅苦しいまねをすることは、かえって周囲の人に仏法を誤解させることにもなりかねません」というとようやく膝をくずした。

メンバーは、日系人以外の人がほとんどであった。質問を受けると、教学の研鑽に、懸命に励んでいることを感じさせる質問や、どれも広宣流布への息吹あふれる、前向きな質問ばかりであった。

伸一は、ハワイに、後継の青年たちが、すくすくと育っていることが、たまらなく嬉しかった。「みんなの力で、ハワイに広宣流布の模範をつくってください。」伸一の渾身の指導に、青年たちの心は決まった。

帰国する交流団のメンバーも、この話を聞いていた。伸一は、交流団を見て、険しい表情で語った。「ハワイの青年たちは真剣だ。この真剣さが大事なんだ。広宣流布は障魔との戦いなんだから、遊び半分であったり、油断があれば、魔にやられてしまう。これを忘れてはならない」

だが、交流団のなかで、この伸一の指導を、今の自分のこととして受け止めたメンバーは、ほとんどいなかった。

交流団のメンバーは各部を代表する幹部である。しかし、限られた滞在時間のなかで、ハワイの大発展の流れを開こうと、獅子奮迅の戦いをしている伸一とは、大きな一念の隔たりが生じていたのである。

やがて交流団は会館を後にし、空港へ向かった。


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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