小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

宿命転換

桜梅桃李・宿命転換・納得

『新・人間革命』に学ぶ 番外編③-2

「新・人間革命」につづられた名言をテーマごとに紹介

テーマ「桜梅桃李」
「よく戸田先生は、こんな譬えを引かれていました。--川がある。川幅や流れの形は、基本的には変わらない。これが性格である。しかし、泥水が流れ、飲むこともできなかった川の水を、清浄極まりない水に変えることができる。これが信心の力であり、人間革命ということである。

自分の性格というのは、いわば個性です。そこに自分らしさもある。その自分のまま、桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李として、それぞれが自分の個性を最大に生かしながら、最高の人生を歩んでいけるのが、日蓮大聖人の仏法なんです」

「梅は桜になることはできないし、桜も梅になることはできません。大切なことは、自分は自分らしく、光り輝いていくことです。信心を貫き通していくならば、人が真似ることのできない、自分らしい最高の魅力を発揮していくことができるんです」
(第27巻「激動の章」p313~314)


テーマ「宿命転換」
「人間は、誰しも幸せになりたいと願っている。しかし、人生にあっては、予期せぬ病気や交通事故、自然災害など、自分の意思や努力だけではどうしようもない事態に遭遇することがある。そこに、宿命という問題があるんです。

その不条理とも思える現実に直面した時、どう克服していけばよいのかーー題目です。御本尊への唱題によって、自身の胸中に具わっている、南無妙法蓮華経という仏の大生命を湧現していく以外にない。強い心をもち、生命力あふれた自分であれば、どんな試練にさらされても、負けることはない。(中略)

日蓮大聖人は佐渡に流された時、(中略)『流人なれども喜悦はかりなし』と感涙された。私たちも、この大聖人の御境涯に連なっていくならば、『宿命に泣く人生』から『使命に生きる歓喜の人生』へと転じていくことができる。大聖人の仏法は、宿命打開、宿命転換の仏法である」
(第29巻「源流の章」p352~353)


テーマ「納得」
人は、“なんのため”かが明らかにならなければ、
本気になって力を注ぎこむことはできない。
それは、広宣流布の活動においても同じである。

皆が、なんのための運動か、なぜ、今、それを行うのかを、よく納得、理解するならば、自主的に行動を開始していくものだ。そして、そこから、さまざまな創意工夫も生まれていく。それが“現場の知恵”である。知恵は知識を動かす力である。

また、皆が、意義、目的を心の底から納得していないにもかかわらず、目標の数や方法ばかりが強調されれば、押しつけられているような思いをいだくにちがいない。すると、皆の活動に取り組む姿勢は受け身になる。受け身の行動には歓喜も躍動もなくなる。

それでは、いかに高邁な運動もやがては 行き詰ってしまうにちがいない。
意義、目的の理解と合意ができたならば、目標の設定である。
(第2章「先駆の章」p22)


太字は 聖教新聞 小説『新・人間革命』番外編③より 抜粋

玉名の兄弟の宿命転換ドラマ

『新・人間革命』第25巻 人材城の章 332p~

伸一は、11月16日を「三角の日」と決めて頑張っているとの話から、学会の記念日の意義について、皆に語っていった。「大事なことは、その淵源に立ち返り、歴史と精神を子々孫々にまで伝え、毎年、新しい決意で出発していくことです。

学会の儀式は、広宣流布への決意を確認し合い、新しい出発を誓い合う、信心、精神の触発の場です。そのためにには、各記念日の淵源を、しっかり学ぶことも大事でしょう。これまでの歴史も、記念日も、すべて現在の力へと変えていってこそ、意味をもつんです。」

県北の玉名の本部長原谷永太は、父親が千五百万円を越える借金を残して夜逃げしたが、信心を根本に、工務店を営む二人の弟と協力して、全額、返済することができたと伸一に報告した。

信心に反対するだけでなく、仕事でも理不尽で身勝手な要求をしてきた父親に対して、怒りがこみ上げ、家族を裏切ったと許せない気持ちだった。

先輩幹部が「どんな父親であれ、親父さんがいたからこそ、君たちはこの世に生を受け、御本尊に巡り合うことができたんじゃないか。その恩を感じているのか!今、親父さんがどれだけ辛い思いをしているか、考えたことがあるのか。

この試練を、兄弟三人で乗り越えることができれば、君たちは、信心の面でも、人間的にも大成長できるよ」と指導を受け、父親によって信心の確信をつかむことができたので、今は、父親に心から感謝していると話した。

彼らは、「いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うげからず」との御聖訓を思い起こした。"学会に傷などをつけてたまるか!"と思った。

"広宣流布に生きよう!学会に傷をつけまい"という彼らの使命感、責任感が、勇気を奮い起こさせた。
人間は窮地に陥った時、根底にいかなる一念があるかによって、弱くもなれば、強くもなる。例えば、自分の身だけを守ろうとする心は、もろく弱いが、必死になって我が子を守ろうとする母の心は強い。利他の念が、人を強くするのである。

広宣流布は、最高善、最大利他の実践である。その広布のために、"絶対に学会に傷をつけまい"その一念こそ、人間の力を最大に開花させる原動力といえよう。


父に代わって借金を返済するために、ひたむきに仕事に取り組む兄弟に、周囲の人々は、関心の目を向け始めた。いつの間にか、彼らが、それぞれ営んでいた工務店への仕事の注文は、いずれも父親の失踪以前の三倍にもなっていた。当初、返済は10年の計画であったが、なんと、わずか、3年で完済できたのである。

失踪していた父は、中風で寝たきりになっていた。兄弟は父を連れて帰り、治療の末、回復し、父親も信心に励むようになったのである。長い、長い、試練の坂であった。しかし、原谷兄弟は見事に、"人生の田原坂"を越え、勝利したのだ。

県長の柳節夫が『五木の子守歌』で有名な人吉本部が伸一の激励をもらい頑張っているとの報告をした。五木村は、川辺川ダム建設計画によって、村の世帯の半数近くが、水中に没してしまうことになり、その村の学会員の活躍を紹介した聖教新聞の記事を読んだ伸一が、励ましの言葉と記念品を贈ったのである。

ダム建設や炭鉱の閉山などで、故郷や住み慣れた地を後にする人たちは少なくない。その地域を大切にし、深い愛着を感じていればいるほど、離れていかねばならない辛さ、苦しさは、想像を絶するものがあろう。伸一は、そうした同志の胸中を思うと、励まさずにはいられなかったのだ。

日蓮大聖人は、「我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし」と仰せのように、どこに行こうが、その場所が、最高の幸福を築く場所であり、広宣流布の使命の舞台となるのだ。

彼らが、伸一の五木へ思いを、最初に痛感したのは、1963年(昭和38年)8月、熊本県中南部を襲った集中豪雨の時であった。

太字は 『新・人間革命』第25巻より 抜粋

人間賛歌の文化祭

『新・人間革命』第24巻 母の詩の章 7p

<新・人間革命第24巻 開始>
<母の詩の章 開始>

1976年(昭和51年)8月末、山本伸一とアンドレ・マルローとの対談集『人間革命と人間の条件が、発刊された。この本には、フランス文学者で著名な評論家でもある桑原武夫が序文を掲載している。
「これは二人の大実践者の対話である」と彼は、伸一を「平和精神の普及と、それによる人類の地球的結合とを説いて全世界に行脚を続ける大実践者「と評している。

マルローが、なぜ、創価学会へ強い関心をいだいているのか 桑原は「西欧の知識人は、創価学会にたいして、日本の知識人とは比較にならぬほど強い興味をもっている。トインビーもその一人である」

対談でマルローは、学会という「ひじょうに有力な組織」が、環境汚染などと戦うことを希望するとともに、伸一が世界のさまざまな危機への問題提起を、重要な国々に行い、そのイニシアチブをとるように勧めている。

伸一は、そうした行動の必要性も、十分に認識したうえで、人類の平和と繁栄を創造するための土台作りとして、人間生命のなかに潜むエゴの克服こそ、必要不可欠であると主張した。

伸一は、未来を考えるにあたっての、自分の態度を語った。「私は未来予測という作業は、未来はどうなるかではなく、未来をどうするかーーということに真の意義があると思います。一人ひとりの人間の生きることへの意志が人生の全体に反映され、その時代を彩り、やがて歴史へと投影されていく。新しい道は、こうして開かれていくと信じています。

したがって未来は、現在を生きる一人ひとりの胸中にある、さらに日々を生きゆく日常性のなかにあるとみたい」未来は、自己自身の胸中の一念にこそある。

伸一は人間革命の必要性を訴え抜いた。「たとえば、一地域や一国の問題が、そのまま全地球的問題としてかかわってくる時代にあっては、自分だけというエゴは通用しません」

人類の未来に光を注ぐために、伸一は、対話に生命を注ごうとしていた。人間革命ーー世界の知性は、それを可能にする哲理を渇望していた。その確かなる方途を求めていた。創価学会は、人間革命の宗教である。広宣流布とは、人間革命運動の広がりである。

この年の8月半ばから10月上旬にかけて開催された、県・方面の文化祭は人間賛歌の絵巻を繰り広げた。

地区婦人部長の橋塚由美子の夫は事業が行き詰まり、橋塚が文化祭の練習会場に通う交通費を工面することさえ、容易ではなかった。彼女は、低血圧症で、目まい倦怠感に悩んでいたが、聖教新聞を配達し、主婦業、地区婦人部長、合唱団の練習と励んでいた。

夫は、仕事がないため、酒を飲んで荒れ、茶碗を投げつけることもあった。彼女は疲れ果て、文化祭の出場もやめようと思ったが、関西文化祭のテーマ「人間革命光あれ」であった。彼女は"この文化祭のテーマは、私自身のテーマなのだ。なんとしても人間革命してみせる!"寸暇を惜しんで、彼女の懸命な唱題が始まった。

体は疲れているが、心は軽やかであった。いつの間にか、低血圧症に悩まされることもなくなっていた。また、次第に、夫の仕事の状況が好転していったのである。

神奈川文化祭では、松葉杖の青年の奮闘があった。彼は、1歳の時にポリオにかかり、足が不自由であることから、消極的な性格になっていった。しかし、信心に励み、やがて学生部員になった彼は、文化祭への出演を決意する。"足が不自由だから"と挑戦をあきらめたり、自分の不幸や敗北の原因を、そこに求める"弱さ"と決別したかった。また、肉体的なハンディも、信心を根本に、懸命に頑張ることで、必ず乗り越えられるという実証を示したかったのである。

人間革命によって、変わらぬ世界はない。

太字は 『新・人間革命』第24巻より 抜粋

広宣流布の大ドラマ

『新・人間革命』第22巻 新世紀の章 139p

山本伸一は、ハワイに到着したブラジル、ペルーの代表を宿舎に招いて、懇談のひと時をもった。「すべてを変毒為薬できるのが信心です。ゆえに、『ブラジルは勝つ』と、私は宣言しておきます」

「苦難に打ち勝とうと思えば、懸命に題目を唱えるし、何事にも必死になって取り組んでいく。そうすれば、力も出るし、自分を磨き、鍛えることができる。これが、勝利のバネになる。」

「ハッピーエンドの映画やテレビドラマも、艱難辛苦があるから感動を呼ぶ。皆さんは広宣流布の大ドラマを演じているんです。大試練がなければ、物語は成り立ちません。『苦難即栄光』『苦闘即勝利』なんです」

哲学者ヒルティは明言している。「苦しみを通してのみ、人生の真の使命が実現される」「ブラジルに限らず、これまで、国や社会の理解がなかなか得られずに、苦闘していることころがたくさんあります。」

「今、ブラジルは、大発展のための根を張り巡らしているんです。地中は暗く、根を伸ばすことは労作業です。しかし、根を張り巡らしていくならば、やがて芽も出る。茎も伸び、大きな花が咲く。時をつくり、時を待つんです。絶対に負けてはいけない」

7月25日、3日間にわたる「ブルー・ハワイ・コンベンション」の開幕の日を迎えた。この日の午後、山本伸一はワイキキの浜辺近くに完成した「ポリネシア村」を訪れた。これは、ポリネシアの島々の文化遺産や伝統を、世界の人びとに知ってもらい、理解を深める一助にしたいとの目的でつくられたものだ。

「この村を建設するのに使っている竹のほとんどは、ハワイ州政府が提供してくれました。これも、山本先生への深い尊敬と信頼があったからこそです。」伸一は語った。「そうした感謝の思いをいだけるのは、心が豊かだからです。」

コンベンションの開幕となる「ゴールデン・ハワイアン・ナイトショー」が始まった。出演者は、アメリカを代表する一流の芸術家のメンバーである。会場には、来賓として、ドミニカ共和国の副大統領や、パナマの駐ドミニカ大使などが出席していた。

山本伸一は、演技の合間をぬってあいさつに回った。伸一は、すべての来賓に、SGIのこと、仏法のことを、正しく理解する契機にしてほしかった。それには、誠実なあいさつ、真心の気遣いが重要になる。人間の振る舞いの中にこそ、思想、哲学も、信念も現れるからである。ゆえに、仏法者ならば、まず、万人を包み込む、春風のような、さわやかなあいさつを心がけることだ。

ひときわ大きな喝さいを浴びたのは、ジャズピアニストのハリー・ハンクスであった。ハンクスが信心を始めたのは32歳の時、既に彼はジャズ界をリードする存在として脚光を浴びていたが、自らの音楽に行き詰まりを感じていた。

ある日、コンサートで演奏したベース奏者ブルース・ウイルマーのソロ演奏に感動したハンクスは何か心境の変化があったのかと尋ねると、交通事故の後遺症で苦しんでいた妻が信心を始めて、病を克服し、自分も入信し、ハンクスも信心できるよう祈っていたというのだ。

信じがたいと思う彼に「初めから信じる必要はない。信じられなくとも、実践してみれば結果が出る。そうなれば、必ず信じるようになるよ」ハンクスは"地球の重力は信じようと信じまいと、現実に存在する。仏法という生命の因果の法則があるのならば、確かに実践することによって、なんらかの結果が出るに違いない"そして、彼は入信を決意したのである。

彼は祈っては、いろいろな音楽スタイルに思いをめぐらせた。唱題で開いた新境地であった。ほどなく、ハンクスらのレコードは150万枚の大ヒットとなった。

伸一は、ハンクスをこう励ました。「あなたはジャズ界の王者になる人です」それはハンクスの永遠の指針となった。

どんな人でも、その存在には重要な価値があり、誰もが、その人でなければできない使命を持っているということも実感できるようになった。ハンクスは新しい視野が開け、自分が大きく変わっていくのを感じた。


太字は 『新・人間革命』第22巻より 抜粋

ヒロシマの心

『新・人間革命』第22巻 新世紀の章 125p 

メンバーは設営作業の総仕上げに、全力を注いでいた時、浮島に地元テレビ局が突然取材にやってきた。スタッフが不在で、舞台設営の責任者であるチャーリー・マーフィーが応対した。

キャスターは「どうして仏教徒が、アメリカの建国二百年を祝うのか」などを尋ねたあと、皮肉めいた口調で言った。「相当な費用がかかっているが、そのお金をベトナムの孤児とかに使おうとは思いませんか」

マーフィーは確信をもって答えた。「そうした活動も、もちろん大事です。でも、そのためには、市民の一人ひとりが、勇気と希望をもって、平和のために行動していこうという心を、呼び覚ましていくことが必要です。つまり、多くの市民に、生命の輝き、生命の尊さを伝え、平和への決意を触発するメッセージを送ることです。それがあってこそ、平和への大きな潮流が広がっていきます。その催しこそが、コンベンションなんです」

マーフィーは、経済的に不自由はなかったが、常に空虚さをかかえていた。その頃、美大の学友が入信し、日ごとに明るく、はつらつと変わっていく姿を目の当たりにして、自分も入信した。

音楽隊に入隊した時、山本会長が音楽隊に贈った指針の英文を、皆で朗読した。「偉大な哲学の実践は、とうとうと流れる大河のごとく、民衆の息吹となり、躍動となって、必ず偉大なる音楽とあらわれ、その民族の大いなる前進のエネルギーとなってきたのである」彼は衝撃を覚えた。


マーフィーは、芸術に限らず、科学、教育、政治など、文化のすべてが、人間のため、民衆のためにあり、民衆こそが時代を建設する力なのだとの確信を深めていった。この考えは、彼の信念となっていった。

伸一は、交流団の代表と懇談のひと時をもった。「信心の要諦について、話をさせていただきます。信心したからといっても、人生には平坦な道などありません。むしろ、苦楽の起伏があり、波浪も逆巻くのが、人間社会の実相です。その時こそ、ただひたすら、題目を唱え抜いていくんです。それを生涯にわたって繰り返し、広宣流布のために戦い続けていくなかに、人間革命があり、絶対的幸福境涯を築き上げていくことができる。それが信仰の道です。だから、何があっても、信心からはなれるようなことがあってはならない。」

「また、広宣流布を進めるうえで重要なのは団結です。わがままな自分と戦い、広宣流布のために心を合わせ、団結していこうという一念のなかに、信心の血脈がある。仲良くしていくことが信心の鉄則です。」

「"原爆は悲惨である。戦争なんて絶対に起こしてはならない"ということは誰もが思う。では、"そのために、どうしていくのか""いかなる哲理が必要なのか"」

「今こそ、万人が『仏』の生命を持ち、尊厳無比なる存在であることを説いた仏法を、慈悲の哲理を、世界に伝えていかなければならない。平和創造の使命を担う中核となるのが、広島の皆さんです。」「広島の皆さんは、どうか『対話の勇者』となって、世界に本当緒の平和思想を広げていってください」

「ヒロシマの心」とは「平和の心」であり、それは「創価の心」だ。だから、私たちには、世界平和への波を起こしていく使命がある」

メンバーのなかには、何人もの被爆者がいた。被爆者である松矢は、被爆という宿命を使命に転じて決然と立ったのである。それが、広島のまた、長崎の同志たちの決意であったのだ。

仏法では「願兼於業」と説く。われらは本来、末法濁悪の世に妙法を弘めんがために出現した、地涌の菩薩である。そのために、自ら願い求めて、あえて苦悩多き宿命を背負い、妙法の偉大さを証明せんと、この世に出現したのだ。ゆえに、地涌の菩薩の使命に目覚め、広宣流布に生き抜くならば、転換できぬ宿命など、絶対にないのだ。

彼女は人の長所を見いだせる自分になろうと思った。それには、自分を磨くしかないと結論し、常に唱題を重ねてきた。自分の生命が澄んだ鏡のようになれば、人の長所が映し出されるからだ。一個の人間の、自分自身の「人間革命」から、「世界の平和」が始まるのである。


太字は 『新・人間革命』第22巻より 抜粋

カテゴリー


新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


→メルマガで届く 『小説 新・人間革命』に学ぶ
ブログでは 言えないこと

メルマガ『勝利の哲学 日蓮大聖人の御書に学ぶ』