『新・人間革命』第19巻 凱歌の章 191P~ 

山本伸一が夕食を終えた頃、サンマルコス大学のゲバラ総長が、ホテルを訪れたのである。伸一の体を心配して、見舞ってくれたのだ。

総長夫人は ホテルの玄関で待っていた。一緒に訪ねたのでは山本会長を疲れさせてしまうと考えての配慮であった。総長夫人は総長を送って来た峯子を強く抱きしめ旅の無事を祈ると言った。

この時、ペルーで結ばれた、山本伸一とゲバラ総長との友情の絆が源流となり、サンマルコス大学と創価大学の交流が始まる。また、1981年4月、同大学は、伸一の世界的な平和活動と、科学、哲学、宗教、文化への貢献を高く評価し、南米の大学として初めて、彼に名誉教授の称号を贈っている。


出発の日、ペルー最後の一日を精力的に動いた。
なすべきことをしなければ、必ず悔いが残る。使命に生き抜こうと心を定めた人間にとっては、後悔は恥辱となる。

伸一は、出発までの時間を使い、前日訪問できなかった「ペルー中央日本人会」を訪ねた。肝心なのは、最後である。そこで手を抜いてしまえば、「九仭の功を一蕢に虧く」ことになる。

一行は空港へ向かう途中、「宗教裁判所博物館」に立ち寄った。インカ帝国を征服したスペインが1570年に開設したものである。スペインは「キリスト教の布教」による心の支配を考えていた。ペルーは300年近くにわたってスペインの植民地となり、この間、ローマ・カトリックの信仰に反する行為は、すべて禁じられたのである。

宗教裁判所では、キリスト教のカトリック以外の教えを信ずる異教徒や、異端と見なされた人たちは、厳しく審問され、拷問を受けた。

「人間の救済を掲げてスタートした宗教が、やがて異教徒を迫害、弾圧したり、宗教同士が戦争を引き起こしているのが、残念ながら人類の歴史といえる。本来、宗教は人間のためのものだ。ところが、その原点を忘れ、宗教のための宗教や、権威・権力のための宗教になってしまえば、宗教が人間を抑圧するという本末転倒が起こってしまう」

「人類の未来を考えるなら、宗教差別や宗教戦争を根絶していくために、人間という原点に立ち返って、宗教間、文明間の対話を展開していくことが、何よりも重要な課題になる。その突破口を開いていくのが、仏法者としての私の使命であると思っている。仏法の本義は、一言すれば、"人間宗"ともいうべき、人間生命の尊重の思想だよ」伸一の言葉には、なみなみならぬ決意があふれていた。

「宗教の名において、人間が抑圧されたり、尊い血を流す。そんなことは、絶対にあってはならない。」

宗教紛争には、長い歴史がある根深い憎悪や怨恨があり、一筋縄ではいかないかもしれない。しかし、憎み合い、人を殺し合っていれば、憎悪はますます深まり、その連鎖は果てしなく続く。

未来のために、これから生まれてくる人たちのために、そんな連鎖は、絶対に断ち切らねばならない。憎悪を友情に、反目を理解に変えるのだ。人間は皆、平和を求めているのだ。ゆえに、互いに一念を転換し、勇気の対話に踏み出すのだ。自身の心に巣くう、不信と憎悪と恐怖を打ち破るのだ。

伸一は、同行のメンバーに強い決意を込めて語った。「宗教間の紛争もそうだが、国家間の争いや、イデオロギーの対立をどう超えるかも、原理は同じだ。人間という根源にたって対話し、粘り強く、人間の心と心を結んでいく以外に解決の道はない。そこに、真実の平和の道、立正安国の道、人間の勝利の道があることを、私は生涯をかけてしめしていく覚悟だ」

午後4時過ぎ、飛行機は離陸し、空高く上昇していった。新しき、希望の明日に向かって。

< 凱歌の章 終了 >

太字は 『新・人間革命』第19巻より 抜粋