『新・人間革命』第13巻 光城の章 P241~
「今回の出来事は、みんなが純粋に戦い抜いたから、三障四魔が競い起こってきたことは間違いない。魔は、権力者、父母、師匠、妻子など、あらゆる姿を現じて、衆生の心を惑わします。」
「学会活動に出ようとしたら、娘が行かないでと言って泣いたする。それで、やめてしまえば、魔に負けた姿です。では、娘さんという存在自体が魔なのか。そうではない。自分にとって魔の働きになっただけで、娘さん自体は魔でも、敵でもない。愛すべき対象です。」
「人間は、魔の働きをすることもあれば、諸天善神の働きをすることもあります。また、一つの現象が魔となるのか、人間革命への飛躍台になるのかは、自分の一念の問題です。」
「大弾圧が起こっても、御書の仰せ通りであると各韻を深め、歓喜する人もいる。逆に功徳を受け、生活が豊かになったことで真剣に信心に励まなくなる人もいる。結局、外の世界のすべての現象は、魔が生ずる契機にすぎず、魔は己心に宿っているんです。」
「この問題の根本的な解決は、奄美の同志の境涯革命にある。大聖人は、『我を損ずる国主等をば最初に之を導かん』と仰せです。自分を迫害した権力者たちを、最初に救おうという、この御境涯になれるかどうかです。」
「大聖人は、弾圧を加える者がいたからこそ、法華経の行者となることができたとも言われている。奄美の同志も、その考えに立って、人びとを大きく包容し、皆の幸福を願いながら、仲良く進んでいってほしいんです。そのための武器は、誠実な対話です。」
「私も、必ず、もう一度、奄美に行きます。奄美の皆さんには、『私に代わって、地域広布を頼みます。』と伝えてください。伸一の深き心を知った派遣幹部たちは、速やかな事態の収拾を決意し、東京を発った。
派遣幹部は、村役場で代表と会談したが、話は平行線をたどり、結局デモは行われることになった。
「学会活動に出ようとしたら、娘が行かないでと言って泣いたする。それで、やめてしまえば、魔に負けた姿です。では、娘さんという存在自体が魔なのか。そうではない。自分にとって魔の働きになっただけで、娘さん自体は魔でも、敵でもない。愛すべき対象です。」
「人間は、魔の働きをすることもあれば、諸天善神の働きをすることもあります。また、一つの現象が魔となるのか、人間革命への飛躍台になるのかは、自分の一念の問題です。」
「この問題の根本的な解決は、奄美の同志の境涯革命にある。大聖人は、『我を損ずる国主等をば最初に之を導かん』と仰せです。自分を迫害した権力者たちを、最初に救おうという、この御境涯になれるかどうかです。」
「大聖人は、弾圧を加える者がいたからこそ、法華経の行者となることができたとも言われている。奄美の同志も、その考えに立って、人びとを大きく包容し、皆の幸福を願いながら、仲良く進んでいってほしいんです。そのための武器は、誠実な対話です。」
「私も、必ず、もう一度、奄美に行きます。奄美の皆さんには、『私に代わって、地域広布を頼みます。』と伝えてください。伸一の深き心を知った派遣幹部たちは、速やかな事態の収拾を決意し、東京を発った。
派遣幹部は、村役場で代表と会談したが、話は平行線をたどり、結局デモは行われることになった。
6月10日、デモは予定通りに実行に移された。デモの規模は前回の倍以上であった。奄美総支部長の野川は、中学三年生の娘の輝子を連れ、デモを見に行った。
輝子は、怖かった。でも、それ以上に憤りを覚えた。「なぜ、学会がこんな目に合わなければいけないの!」父は、「この光景をよく胸に焼き付けておくんだ。父さんも、島の学会員さんも、島の人たちの幸福のために懸命に戦ってきた。正しいことをしてきた。」
「お前は、この悔しさを決して忘れずに、学会の正義と真実を語り抜け!そして、いつか必ず、お前たちの手で、奄美を幸福の楽園にするんだ。広宣流布の理想郷にするんだ。それが、学会っ子の使命だぞ」
多くの中等部員や高等部員が、このデモを目にした。その衝撃的な光景は、痛憤の思い出として、若い魂に焼き付けられていったのである。
地元各紙は、翌日、デモの模様を大々的に報じた。新聞を見た同志たちは、喜々として、「これで、奄美中の人たちの関心は、完全に学会に向いた。」「今こそ、学会のことを、大いに語り抜くチャンスだ。奄美中の人と仏法対話しようじゃないか」でも騒ぎは、同志の広宣流布への闘魂に火をつけたのである。
あのデモから1年数か月後、伸一は、奄美に向かった。"もっと早くきてあげたかった"胸は張り裂けんばかりであった。しかし、この奄美訪問も極めて危険であると幹部は、反対し、時期を伸ばしてはどうかといわれていたのだ。
伸一は、「今だからこそ、行くんです。むしろ、遅いぐらいです。私は奄美の同志に申し訳なかったと思っています。」と強い語調で言った。この烈々たる決意を聞くと、もはや、誰も何も言えなかった。
太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋
輝子は、怖かった。でも、それ以上に憤りを覚えた。「なぜ、学会がこんな目に合わなければいけないの!」父は、「この光景をよく胸に焼き付けておくんだ。父さんも、島の学会員さんも、島の人たちの幸福のために懸命に戦ってきた。正しいことをしてきた。」
「お前は、この悔しさを決して忘れずに、学会の正義と真実を語り抜け!そして、いつか必ず、お前たちの手で、奄美を幸福の楽園にするんだ。広宣流布の理想郷にするんだ。それが、学会っ子の使命だぞ」
多くの中等部員や高等部員が、このデモを目にした。その衝撃的な光景は、痛憤の思い出として、若い魂に焼き付けられていったのである。
地元各紙は、翌日、デモの模様を大々的に報じた。新聞を見た同志たちは、喜々として、「これで、奄美中の人たちの関心は、完全に学会に向いた。」「今こそ、学会のことを、大いに語り抜くチャンスだ。奄美中の人と仏法対話しようじゃないか」でも騒ぎは、同志の広宣流布への闘魂に火をつけたのである。
あのデモから1年数か月後、伸一は、奄美に向かった。"もっと早くきてあげたかった"胸は張り裂けんばかりであった。しかし、この奄美訪問も極めて危険であると幹部は、反対し、時期を伸ばしてはどうかといわれていたのだ。
伸一は、「今だからこそ、行くんです。むしろ、遅いぐらいです。私は奄美の同志に申し訳なかったと思っています。」と強い語調で言った。この烈々たる決意を聞くと、もはや、誰も何も言えなかった。
太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋