小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

学会二世

鳳雛会結成

『新・人間革命』第9巻 鳳雛の章 P177~

佐渡御書の「獅子身中の虫の獅子を食」の講義では、「広宣流布を破壊していくのは、外敵ではなく、“獅子身中の虫”です。たとえば、最高幹部であった者が、野心から、あるいは嫉妬から、学会を裏切り、造反し、躍起になって攻撃しようとする。それと戦い、学会を守っていくのが諸君です。」

「“獅子身中の虫”というのは、造反者だけではありません。仮に、立場は幹部であっても、堕落し、怠惰、無気力になったり、虚栄を張って見栄っ張りになり、すなわち自己中心主義に陥り、一念が広宣流布から離れていくならば、“獅子身中の虫”です。そうした幹部がいれば、みんながやる気を失い、学会は蝕まれていく。怖いのは内部です。恐ろしいのも内部です。」

「絶対に、“獅子身中の虫”になってはならないし、諸君のなかから、”獅子身中の虫”をわかしてもならない。」伸一の渾身の講義は、若き清らかな、高等部員の生命に注がれていった。

第二期がスタートするにあたり、受講生の男子は『鳳雛会』女子は『鳳雛グループ』を結成する。伸一は、メンバーへの講義を、青春時代の思い出に終わらせるのではなく、広宣流布のために、生涯にわたる永続的な軌道をつくっておきたかったのである。

剣豪の修行のごとき研鑽が、既に伝統となりつつあったのである。何事も、肝心なのは最初といえる。

7月16日、日蓮大聖人が『立正安国論』をもって国主諫暁をされた、意義深い日に 初の鳳雛会・鳳雛グループの野外研修が行われ、毎年集まって、成長の節を刻む記念の日となった。

伸一は、語った。「私がこれほどまでに期待しているのに、もし、諸君に広宣流布の総仕上げをしていこうという心がなく、団結もできないようならば、それは、もはや諸君が悪いのではなく、私の方に福運がないんだ。」

「私はこれからも、諸君のことを見続けていきます。何人が落ち、何人が残るか、どのように変化していくかーーその結果を見たうえで、広布の総仕上げのバトンタッチの方法を考えていきたい。」

「私は、今日、諸君に薫発の因を与えた。しかし、自ら大使命に生き抜いていこうという一念、努力がなければ、結果として、使命の芽は、出てこない。広宣流布のために何をするかです。」

皆から質問を受けることにした伸一。
工藤きみ子という、小児マヒの後遺症で片足が不自由なメンバーが、思いあぐねたような様子で尋ねた。教師になりたいが、体が不自由なうえ、経済的にも 難しい。これからどうすればいいのか、どうなっていくのかわからないと涙ぐみながら話した。

工藤は、使命の大きさを思えば思うほど、自分の置かれた現実を、どう開いていけばよいのかわからず、もがき苦しんでいたのであろう。

その時、伸一の厳しい叱咤が飛んだ。「信心は感傷ではない。泣いたからといって、何も解決しないではないか!」緊張が走った。室内は静寂に包まれた。

「あなたには、御本尊があるではないか!迷ってはいけない。ハンディを嘆いて、なんになるのか。いくら嘆いてみても、事態は何も変わりません。また、すべての人が、なんらかの悩みをかかえているものだ。いっさいが恵まれた人間などいません。学会っ子ならば、どんな立場や状況にあろうが、果敢に挑戦し、人生に勝っていくことだ。どうなるかではなく、自分がどうするかです。」

「本当に教員になりたければ、必ず、なってみせると決めなさい。もし、大学に進学することが経済的に大変ならば、アルバイトをして学費をつくればよい。夜学に通ってもよい。使命に生きていこうとすることは、理想論を語ることではない。観念の遊戯ではない。足もとを見つめて、現実を打開していくのが信心です。困難を乗り越えていく姿のなかに、信心の輝きがある。」

「いかなる状況下にあっても、誰よりも力強く、誰よりも明るく、誰よりも清らかに生き抜き、自分は、最高に幸福であると言い切れる人生を送ることが、あなたの使命なんです」

工藤は、唇を噛み締め、何度も、何度も頷いた。「そうだ。負けてはいけない。何があっても、負けてはだめだよ。強くなれ!頑張れ!頑張れ!頑張るんだよ」

伸一の言葉には、厳しさのなかにも、優しさがあふれていた。


太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋

高等部員への御書講義

『新・人間革命』第9巻 鳳雛の章 P169~

伸一は、高等部員の本格的な成長を図るために、年明けから、毎月、御書の講義を行うことを決意したのであった。研鑽する御書を「諸法実相抄」とした。


メンバーは予習に力を注いだが、通解をすることさえ容易ではなかった。ある女子高等部員は、講義録を見つけ、研鑽に励んだ。あるメンバーは事前に130回も拝読して臨んだ。

伸一は、そこに高等部員の、力の限り、体当たりでぶつかろうとする、一途な求道の心を実感した。確かな手応えを感じた。彼は、メンバーの拝読と、すばらしき通解を聴き、ことさら、平易に語る必要はないと思った。

しかし、観念的な理解にならないように、高校生の生活に即して、説明するように心がけた。例えば、「依正不二」についてはこう語った。

「諸君だって、頑張って勉強し、成績がよくなって、喜び勇んで家に帰ったような時には、家のなかの感じも違うでしょう。お父さんお母さんの、目つきも違ってくるし、お小遣いも多くなるかもしれない。」

「自分の一念、生命が変われば、周囲の感じ方も変わってくるし、環境そのものが変化していく。その原理を示しているのが、『依正不二』ということです。」

「戦争といっても、本当の要因は人間の心のなかにある。人間の支配欲、征服欲、権力欲、憎悪、怨念等々から起こるものです。だから、平和といっても、人間革命が根本になる。」

「また、最近、深刻になっている公害も、現代人の欲望の産物です。便利さ、豊かさばかりを追い求め、自然との調和を忘れた人間の生き方に、その大きな原因がある。」

「依正不二という考え方にたつならば、結局は、環境の破壊は、人間自身の苦しみに繋がることは明らかになる。だからこそ、正しい哲学を確立し、人間の生き方、考え方、そのものを変えていかなくてはならない。それが人間革命です。」若き鳳雛たちは、仏法の深遠な思想に触れ、感動に瞳を輝かせていた。講義が終わると、彼は皆にタイ焼きをごちそうした。そこには家族のような温かさが漂っていた。

伸一は、この日の夜、当時の佐藤栄作首相を、鎌倉の別邸に尋ね、会談することになっていた。“私は、皆を、生涯、守り続けていかねばならない。そして、この高校生たちが、自在に活躍できる大舞台を開くのだ。そのために、佐藤首相とも、日本の将来のこと、教育の問題、国際問題について、十分に語り合おう”

伸一は、このころから、日本の、そして、未来のために、各界の要人たちとの対話を、心がけていたのである。

「生死一大事血脈抄」の講義の折であった。「諸君は、この御文を胸に刻み、一生涯忘れずに、互いに戒め合い、異体同心の団結で、広宣流布の総仕上げをしていただきたい。そうすれば、広宣流布の不滅の流れができる。」

「大聖人亡きあと、なぜ、日蓮教団は分裂していったか。それは、日興上人を中心に、団結することができなかったからです。」

「人間は、年とともに、権力に心を奪われ、自分の地位、立場などに強い執着をもち、名聞名利に流されていく。『自己中心』になっていくものです。すると、信心をもって団結することができなくなる。それでは、どんな学会の役職についていたとしても、信心の敗北だ。信心というのは、結局は、この『自己中心』の心との戦いなんです。」

彼の講義は、時に遺言のように、メンバーの胸に鋭く迫った。
「佐渡御書」では、「悪は徒党を組んで、正法を滅ぼそうとする。学会憎しの一点で、政治権力も、宗教も合同して、攻撃の牙をむいてくるにちがいない。しかし、たとえ、一人になっても“師子王”のごとき心をもって、広布の使命を果たしていくのが本当の弟子です。」

「真実の団結というのは、臆病な人間のもたれ合いではない。一人立つ獅子と獅子との共戦です。」
彼の講義には、側近の最高幹部に指導するかのような、厳しい響きがあった。


太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋

学会二世への指導

『新・人間革命』第9巻 鳳雛の章 P163~

全国高等部員会で、伸一は、「正義」「親切」「勇気」など、すべては「信心」の二字のなかに収まり、信心強盛な人こそ、最高に立派な人であると訴えた。

指導後、ともに勤行・唱題を終えると場内から 歌の指揮をとってくださいとの注文が。伸一はそれに応え、「武田節」を3回、「日本男子の歌」をと休む間もなく、指揮をとった。幹部たちは、際限のない高等部員の要望に、ハラハラし始めた。しかし、当の伸一が、その要望に応え、「なんでもやります!」と言っている限り、制するわけにもいかなかった。

彼に、息の乱れはなかった。堂々とした、鳳を思わせる指揮であった。自分たちの要望をどこまでも聞生き入れ、何局も何曲も、指揮をとってくれる伸一の姿に、メンバーは、目を潤ませながら熱唱した。

“先生は、お疲れであるはずだ。しかし、ここまでやってくださる・・・”この部員会は、参加者にとって、生涯、忘れえぬ思い出となった。

さらに、首都圏の高等部員会に出席した伸一は、自身の胸に込み上げる思いを、率直に語っていった。
「私は、皆さんが出現するのを待っていました。師匠と弟子というのは、『針』と『糸』の関係にあたります。師匠が『針』、弟子は『糸』です。針は、着物を縫う時、先頭を切っていきますが、最後は不要になり、後に残った糸に価値がある。私は針です。最後に広宣流布の舞台に立つのは皆さんです。
諸君のために、完璧な布石をしていくことが、私の本門のなかの本門の活動であると決意しております。」

ここで山本伸一は、民族の解放のために戦い政府軍に捕らえられて銃殺された、20歳のベトナムの青年と、1920年に16歳で獄死した「韓国のジャンヌ・ダルク」といわれる、女子学生・柳寛順(ユクワンスン)について語っていった。彼女は、日本の過酷な植民地支配に抗し、韓国の独立のために立ち上がった乙女である。

伸一が二人の青年の話をしたのは、命を賭して祖国を守ろうとした、ほぼ同世代の若者の心を知ってほしかったからである。また、世界には、戦火に苦しみ、自由を奪われ、貧困に喘ぐ、たくさんの民衆がいる。その苦悩に目を向け、同苦する人に育ってほしかったからでもある。

特に柳寛順について語ったのは、日韓の友好のためには、日本人が日韓の歴史を、正しく認識する必要があると考えていたからであった。

伸一は、両国民が、末長く、信頼と友情で結ばれていくには、若い世代に、真実の歴史を伝えていかなければならないと、痛感していた。

日本の若者たちは、韓国のことも、かつて、日本が韓国で何をしたかも、あまりにも知らなすぎた。教育の場でも、ほとんど教えられることがなかったからであろう。だから、伸一は、高校生たちが隣国・韓国を知る“深き触発”になればと、あえて柳寛順について語ったのである。

彼はこの話のあと、こう訴えた「私は、皆さん方には、そんな苦しい戦いは絶対にさせません。体を張って守り、苦労は全部、私が引き受けていくつもりでおります。ただし、広宣流布の決意という面では、殉難の覚悟が必要です。遊び半分では、尊き世界の平和を築くことも、不滅の民衆の時代を開くこともできない。広宣流布の活動というのは、権力の魔性との厳しき戦いであり、人生をかけた、断じて負けられぬ、真剣勝負の戦いであることを、申し上げておきたい」

1月8日山本伸一の、男女高等部員の代表に対する御書講義が始まった。高等部員の大多数は、いわゆる「学会二世」で、親が先に入会し、いつの間にか、自分も信心をするようになっていたというメンバーであった。したがって、信心で生活苦や病苦を乗り越えたといった自分自身の体験を持っている人は少なかった。

そうした世代が、仏法への確信を深めていくには、教学を身につけることだ。教学という理は、信を生み、高められた信は、さらに仏法への理解を深めていくからである。

太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋
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