小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

大河の時代へ

ブロック組織への移行

『新・人間革命』第14巻 大河の章 P303~

立正安国の原理についても、再確認した。「"安国"とは社会の繁栄であり、民衆の幸福、世界の平和であります。"立正"が宗教の次元であるのに対して、"安国"は社会の次元であります。そして、"安国"の直接的に拠って立つ理念とは『生命の尊厳』であり『人間性の尊重』『平和主義』の原理であるといえます。」

「生命の尊厳等の理念こそ、"立正"と"安国"の接点であります。ゆえに、立正安国とは政治などの社会的な活動の次元に、直接、信仰や宗教それ自体を持ち込むことでは、決してありません。」

さらに、生命の尊厳等の普遍的理念を、いかにして具体化するかという、"技術"が政治の課題であり、公明党誕生の意味もそこにあることを語り、党と立正安国の関係を述べた。

「公明党は"安国"の次元に立つものであります。議員等が個人として"立正"の問題を考え、信仰に励むことは信教の自由でありますが、党として"立正"をテーマにし、宗教上の目的を党の目標とする必要はないし、すべきでもない」したがって、党は、あくまでも、現行憲法の定める信教の自由を順守していくべきであるとの、考えを伸一は語った。

さらに、学会の組織形態について言及した。紹介者と新入会者のつながりで構成された「タテ線」から、地域社会と密接なつながりをもち、社会に大きく貢献していく意味からも、地域を基盤としたブロック、すなわち「ヨコ線」へと移行することを発表した。

これまでの「タテ線」のような深い人間関係が、ブロックでつくれるのかという不安をいだく人もいた。この人間関係を深めることの難しさが、ブロック組織の最大の問題とされてきたのである。

伸一は、だからこそ、ブロック組織に移行し、学会員が中心になって、地域社会に人間と人間の強い連帯のネットワークをつくり上げなければならないと考えていた。それが、現代の社会が抱える、人間の孤立化という問題を乗り越え、社会が人間の温もりを取り戻す要諦であるというのが、伸一の確信であったのである。彼は、ブロック組織への移行に、学会と社会の未来をかけていたのだ。


そして、学会は新しい段階に入ったとし、一人ひとりが、"目覚めた意識"と"新しき自覚"に立ち、団結していくことこそが、未来の大発展の根本であると訴えた。

ここで伸一は、1970年代、さらには、21世紀の展望を述べていった。21世紀は人間が科学の奴隷となるのではなく、科学技術を使いこなしていく「人間の世紀」としなければならないと強調。そのために、人間の精神を高めゆく、優れた宗教が不可欠であることを語り、21世紀までの30年間を壮大な宗教運動の新しい夜明けとしたいと語った。

「創価学会は、創価文化ともいうべき新しい文化の母体として、社会に貢献してまいろうではありませんか!」第二の10年の展望と方向性が、ここに明確に示されたのである。


第33回本部総会をもって、学会は「大河の時代」の幕を開き、文化の旗を高く掲げて、広宣流布という希望の大海原をめざして、新しき前進を開始したのだ。

この新段階を迎えるにあたって、伸一が最も憂慮していたのは、皆の、なかんずく幹部の一念の改革が、十分なされていくかどうかであった。

この一念の改革とは、結論すれば、一人ひとりが「自分こそが学会の命運を担い、広宣流布を推進する主体である」との、自覚に立つことだ。つまり、"私自身が創価学会なのだ"と決めて、会長の伸一と、同じ決意、同じ責任感に立つことである。

皆が本当に主体者の自覚をもてるかどうかに、団結の要諦もあれば、すべての活動の成否も、勝敗の決めてもあるのだ。主体者の意識がなく、受け身になってしまえば、人は、全体観に立つことはできない。すると、自分が皆のために何をするかではなく、何をしてもらうかだけを考えるようになり、結局は、私利私欲に陥ってしまう。

その心に映るのは、現状への不平や不満である。果ては、中心者や周囲の人たちを批判し、尊い学会の組織を攪乱することにもなりかねない。恐るべきは、一念の置きどころといってよい。


太字は 『新・人間革命』第14巻より 抜粋

大河の時代へ

『新・人間革命』第14巻 大河の章 P294~

<大河の章 開始>

人類の幸福と平和の大海原をめざす創価の流れは、いよいよ「渓流」から、「大河」の時代へと入った。


1970年(昭和45年)5月3日。山本伸一の会長就任10周年となる第33回本部総会が、行われた。伸一は、10周年の意義に触れ、これからの10年は、「創業の時代」「建設の時代」を終え、「完成期」に入ったとして、社会での一人ひとりの活躍が、最も望まれることを訴えた。

そこから、彼の話は、広宣流布観へと移った。「広宣流布とは決してゴールではありません。何か特別な終着点のように考えるのは、仏法の根本義からしても、正しくないと思います。大聖人の仏法は本因妙の仏法であり、常に未来に広がっていく正法であります。」

「広宣流布は、流れの到達点ではなく、流れそれ自体であり、生きた仏法の、社会への脈動なのであります。」広宣流布が「流れそれ自体」ということは、間断なき永遠の闘争を意味する。ゆえに、広布に生きるとは永遠に戦い続けることだ。

さらに伸一は、「宗教は文化の土台であり、人間性の土壌である」と述べ、広宣流布とは"妙法の大地に展開する大文化運動"であると定義づけたのである。そして、「いっさいの人びとを包容しつつ、民衆の幸福と勝利のための雄大な文化建設をなしゆく使命と実践の団体が創価学会である」と語り、こう呼びかけた。

「私どもは『社会に信頼され、親しまれる学会』をモットーに、再び、さっそうと忍耐強く進んでいきたいと思いますが、皆さん、いかがでありましょうか!」参加者は、崇高な社会建設の使命を、一段と深く自覚したのである。

伸一は、あの「言論・出版問題」に言及していった。「今度の問題は、学会のことを『正しく理解してほしい』という、極めて単純な動機から発したものであり、個人の熱情からの交渉であったと思います。ゆえに、"言論妨害"というような陰険な意図は全くなかったのでありますが、結果として、これらの言動がすべて"言論妨害"と受け取られ、関係者の方に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまい、まことに申し訳なく、残念でなりません。」

「名誉を守るためとはいえ、私どもはこれまで、批判に対して神経過敏にすぎた体質があり、それが寛容さを欠き、わざわざ社会と断絶をつくってしまったことも認めなければならない。関係者をはじめ、国民の皆さんに、多大なご迷惑をおかけしたことを、率直にお詫び申し上げるものであります」伸一は、頭を下げた。

"先生が、なぜ謝らなければならないのだ!"ある人は、学会の会長として、すべて自分の責任ととらえ、真摯に謝罪する伸一の姿に、申し訳なさと感動を覚えながら、心に誓った。"私たちは、社会に迷惑をかけるようなことは絶対にしてはならない。それは、学会に迷惑をかけることになるのだ"

言論の自由の尊さを述べた伸一は、さらに、「本門の戒壇」は「国立戒壇」の必要などまったくないこと、政治進出は戒壇建立のための手段では絶対にないことを改めて確認したのである。

次いで、学会と公明党の関係についても明らかにしていった。学会は、公明党の支持団体として、党を支援するが、組織的には双方を明確に分離することを述べたのである。今後も、学会と党は一線を画し、社会的にも、分離のかたちが明らかになるように5点にわたる原則を発表したのである。

さらに、自分自身、宗教人として生き抜く決意であり、政界に出るようなことは決してないと、重ねて明確に語った。これまでにも、折に触れて、語ってきたことであった。しかし、謀略的な噂を打ち破るために、再度、その考えを明らかにしたのである。

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<一言コメント>

「大河の章」の連載中、「新・人間革命」執筆開始より10年となった2003年8月に

池田先生は「寄稿10周年」と題する随筆を発表した。

その中で、執筆に対する思いを記されている。

「私の胸には、言論の闘争の決意がたぎっている。広宣流布の大道は、今つくるしかないからだ」
「『真実』を明確に書き残すことが、未来の人びとの明鏡となる」と。

言論・出版問題は「広宣流布の流れは、渓流より大河の流れ」となり、
「広宣流布の波が広がり、人間主義に目覚めた民衆勢力が台頭し、時代の転換点を迎えた」
転換期に起こった、会長就任以来、初めての大試練だった。

しかし、池田先生は、
「最も理想的な社会の模範となる創価学会をつくろう」という決意を一段と強くし、

障魔の嵐を、「未来への新たな大飛躍台」としていったのだ。

逆風を追い風に転じるところに、「学会の強さがある」


太字は 『新・人間革命』第14巻より 抜粋

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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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