『新・人間革命』第3巻 平和の光の章 P296~
20世紀は 「戦争」と「革命」にあけくれ、どの国も
「民族」や「国民」のためと言いながら、結局は、
権力が人間を利用し、手段としてきた。
1903年(明治36年)創価教育学会会長牧口常三郎は、
『人生地理学』において、社会と社会、国家と国家の生存競争に触れている。
牧口は「軍事的競争」「政治的競争」「経済的競争」「人道的競争」の
4つをあげて、人類史が「人道的競争」に向かうことを待望していた。
日露戦争が勃発する前年のことである。驚くべき、先見といってよい。
しかし、その後の世界は「軍事的競争」に狂奔し、戦争を繰り返してきた。
戦前の日本を軍国主義一色に塗り固め、戦争へと暴走させる大きな要因となったのが、
思想統制の問題といえよう。
なかでも、その代表的な例が、治安維持法の成立である。
第一次世界大戦後、戦争景気により、資本家を潤した一方、物価高騰により、
民衆の生活は 逼迫し、さまざまな大衆による、運動が広がる。
いわゆる「大正デモクラシー」だ。
内閣は 普通選挙法により政治的自由を拡大する果実を取り入れる一方で、
自由を踏みじる 思想統制に乗り出し、1925年(大正14年)治安維持法を可決した。
多くの国民は、早い時期に、治安維持法の 危険な本質を見極めることができなかった。
この悪法は、改正が行われ、自由と人権の根幹を食い破っていく。
権力が暴走し、猛威を振るう時には、必ず思想や信教への介入が始まる。
ゆえに、思想・信教の自由を守る戦いを忘れれば、時代は暗黒の闇の中に
引きずり込まれることを知らねばならない。
これこそ、時代の法則であり、歴史の証明である。
太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋
20世紀は 「戦争」と「革命」にあけくれ、どの国も
「民族」や「国民」のためと言いながら、結局は、
権力が人間を利用し、手段としてきた。
1903年(明治36年)創価教育学会会長牧口常三郎は、
『人生地理学』において、社会と社会、国家と国家の生存競争に触れている。
牧口は「軍事的競争」「政治的競争」「経済的競争」「人道的競争」の
4つをあげて、人類史が「人道的競争」に向かうことを待望していた。
日露戦争が勃発する前年のことである。驚くべき、先見といってよい。
しかし、その後の世界は「軍事的競争」に狂奔し、戦争を繰り返してきた。
戦前の日本を軍国主義一色に塗り固め、戦争へと暴走させる大きな要因となったのが、
思想統制の問題といえよう。
なかでも、その代表的な例が、治安維持法の成立である。
第一次世界大戦後、戦争景気により、資本家を潤した一方、物価高騰により、
民衆の生活は 逼迫し、さまざまな大衆による、運動が広がる。
いわゆる「大正デモクラシー」だ。
内閣は 普通選挙法により政治的自由を拡大する果実を取り入れる一方で、
自由を踏みじる 思想統制に乗り出し、1925年(大正14年)治安維持法を可決した。
多くの国民は、早い時期に、治安維持法の 危険な本質を見極めることができなかった。
この悪法は、改正が行われ、自由と人権の根幹を食い破っていく。
権力が暴走し、猛威を振るう時には、必ず思想や信教への介入が始まる。
ゆえに、思想・信教の自由を守る戦いを忘れれば、時代は暗黒の闇の中に
引きずり込まれることを知らねばならない。
これこそ、時代の法則であり、歴史の証明である。
太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋