『新・人間革命』第14巻 智友の章 P39~
学生部の書記局には、全国の大学から、連日のように、大学立法を阻止する広範な運動を展開すべきであるとの要請が寄せられた。そして、「大学立法粉砕全国連絡協議会」(略称「全協」)が結成され、結成大会が杉並公会堂で行われた。
大学のさまざまな矛盾や不合理の解決のために、全共闘などの学生運動に参加している学生部員もいた。また、仏法者の立場から、反戦平和をはじめ、社会の諸問題に対して、新しい運動を起こすべきだと考える学生部員も少なくなかった。
宗教は人格を陶冶し、陶冶された人格は、他者への同苦の心をもつ。そして、不幸や矛盾、不平等をなくそうと、社会的使命を自覚するに至る。まさに、「全協」は、社会的使命を自覚した学生たちの、新しき人間主義運動の発火点となったのである。
全協は、大阪で抗議集会を行ったのに続いて、東京でも代表1万人が集って、野外抗議集会を最大に開催したのである。しかし、そんな学生たちの叫びをせせら笑うかのように、「大学法案」は衆院文教委員会で強行採決され、衆院本会議でも可決され、大学法案は、参院に送付されたのである。
学生部員たちは、圧倒的多数の学生が反対している法案が、強引に可決されていく様子に、憤りと悔しさを覚えた。そして、政治を動かしている、議席の「数」という現実を思い知らされ、選挙の重要性を痛感するのであった。
男子学生部では、7月から8月にわたって、夏期講習会が行われた。グラウンドで全国野外統一集会が開かれた。参院で可決されれば、大学法案は成立してしまうことから、この統一集会は、立法の阻止に学生部員の最後の総決起を促す集いとなった。
全国から集った学生たちは各宿坊からデモの隊列を組んで、大学の旗やプラカードを掲げて、グラウンドに向かった。山本伸一は、自分も出席して、知勇兼備の若き同志を見守ろうと思った。
伸一は、グラウンドに向かう途中、学生たちのデモの隊列に出くわすと、旗を自ら握って、デモ先頭にたち、笛を吹きならしながら、行進をし始めた。グラウンドの入り口で、学生から"ヘルメット"は私たちにとっては、"反権力"の象徴だと聞くと、自ら、ヘルメットを被り、紐に学生の汗にまみれたタオルをくくりつけ、再び高々と旗を掲げた。
集会では、議長から、全協をさらに拡大、発展させ、今秋には、新しい学生同盟を結成しようとの提案がなされる。学生とともにシュプレヒコールを叫ぶ伸一。
後期の夏期講習会で、沖縄学生部を見かけるとデモのなかに飛び込み、旗竿をもち、学生たちとともに、先頭に立ちデモ行進を始めた。
沖縄の本土復帰の運動は日ごとに高まりを見せていたが、新左翼といわれる各セクトの学生たちが加わるにつれて、運動は次第に過激さを増していったのである。学生部員は、武闘闘争や暴力革命を主張する、学生たちに訴えた。「暴力を肯定することは間違いだ。人間性を喪失した革命では、人間の幸福を約束することなんかできない。学会の運動こそ、最も平和的で、根源的な革命だ」
山本伸一は、基地をかかえた沖縄の学生部員の奮闘を、誰よりもよく知っていた。伸一は、思っていた。"今の学生部員の親たちは、沖縄戦の惨禍に苦しみ、生死の淵をさまよってきた。そして、戦後は、アメリカの施政権下で辛酸をなめながら、懸命にわが子を育て、平和への夢を託した。そうして育まれた彼らには、沖縄に平和と繁栄をもたらし、人びとを幸せにする責任と義務がある。いわば、彼らこそ、「沖縄の幸福責任世代」といってよい"
旗を高く掲げて振りながら、かけ声を発し続ける伸一の体には、汗が噴き出していた。いつの間にか、伸一の声は、「沖縄・返せ!」から「沖縄・頑張れ!」に変わっていた。
大学のさまざまな矛盾や不合理の解決のために、全共闘などの学生運動に参加している学生部員もいた。また、仏法者の立場から、反戦平和をはじめ、社会の諸問題に対して、新しい運動を起こすべきだと考える学生部員も少なくなかった。
宗教は人格を陶冶し、陶冶された人格は、他者への同苦の心をもつ。そして、不幸や矛盾、不平等をなくそうと、社会的使命を自覚するに至る。まさに、「全協」は、社会的使命を自覚した学生たちの、新しき人間主義運動の発火点となったのである。
全協は、大阪で抗議集会を行ったのに続いて、東京でも代表1万人が集って、野外抗議集会を最大に開催したのである。しかし、そんな学生たちの叫びをせせら笑うかのように、「大学法案」は衆院文教委員会で強行採決され、衆院本会議でも可決され、大学法案は、参院に送付されたのである。
学生部員たちは、圧倒的多数の学生が反対している法案が、強引に可決されていく様子に、憤りと悔しさを覚えた。そして、政治を動かしている、議席の「数」という現実を思い知らされ、選挙の重要性を痛感するのであった。
男子学生部では、7月から8月にわたって、夏期講習会が行われた。グラウンドで全国野外統一集会が開かれた。参院で可決されれば、大学法案は成立してしまうことから、この統一集会は、立法の阻止に学生部員の最後の総決起を促す集いとなった。
全国から集った学生たちは各宿坊からデモの隊列を組んで、大学の旗やプラカードを掲げて、グラウンドに向かった。山本伸一は、自分も出席して、知勇兼備の若き同志を見守ろうと思った。
伸一は、グラウンドに向かう途中、学生たちのデモの隊列に出くわすと、旗を自ら握って、デモ先頭にたち、笛を吹きならしながら、行進をし始めた。グラウンドの入り口で、学生から"ヘルメット"は私たちにとっては、"反権力"の象徴だと聞くと、自ら、ヘルメットを被り、紐に学生の汗にまみれたタオルをくくりつけ、再び高々と旗を掲げた。
集会では、議長から、全協をさらに拡大、発展させ、今秋には、新しい学生同盟を結成しようとの提案がなされる。学生とともにシュプレヒコールを叫ぶ伸一。
後期の夏期講習会で、沖縄学生部を見かけるとデモのなかに飛び込み、旗竿をもち、学生たちとともに、先頭に立ちデモ行進を始めた。
沖縄の本土復帰の運動は日ごとに高まりを見せていたが、新左翼といわれる各セクトの学生たちが加わるにつれて、運動は次第に過激さを増していったのである。学生部員は、武闘闘争や暴力革命を主張する、学生たちに訴えた。「暴力を肯定することは間違いだ。人間性を喪失した革命では、人間の幸福を約束することなんかできない。学会の運動こそ、最も平和的で、根源的な革命だ」
山本伸一は、基地をかかえた沖縄の学生部員の奮闘を、誰よりもよく知っていた。伸一は、思っていた。"今の学生部員の親たちは、沖縄戦の惨禍に苦しみ、生死の淵をさまよってきた。そして、戦後は、アメリカの施政権下で辛酸をなめながら、懸命にわが子を育て、平和への夢を託した。そうして育まれた彼らには、沖縄に平和と繁栄をもたらし、人びとを幸せにする責任と義務がある。いわば、彼らこそ、「沖縄の幸福責任世代」といってよい"
旗を高く掲げて振りながら、かけ声を発し続ける伸一の体には、汗が噴き出していた。いつの間にか、伸一の声は、「沖縄・返せ!」から「沖縄・頑張れ!」に変わっていた。
太字は 『新・人間革命』第14巻より 抜粋