小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

大学別御書講義

大学会結成の 意味

『新・人間革命』第13巻 金の橋の章 P49~

「大学会の意味は、仏法即社会を表した人材グループであるとし、広宣流布の指導者として生き抜くとともに「世雄」となって社会で大活躍し、人びとの幸福のために、生き抜いていっていただきたい。そこに大学会の使命がある。」

4月には、慶大会が、5月には御茶ノ水女子大学、東京女子大学、日本女子大学、実践女子大学などの女子大会が誕生した。7月には、一橋大学、京都大学、同志社大学、大阪大学、神戸大学と次々大学会が結成された。伸一は、すべての大学会の結成式に、喜び勇んで出席し、青年たちと意義ある語らいのひと時を過ごした。

1968年9月8日 新しき歴史への船出となる第11回学生部総会が、開催された。山本伸一の講演は400字詰め原稿用紙にして50数枚分の講演原稿であった。
9月8日は、戸田城聖が、原水爆禁止宣言を発表した歴史的な日であることを触れ、この恩師の遺訓を胸に再び刻んで前進したいと火を吐くような烈々たる気迫にあふれた伸一の声が参加者の胸に轟いた。

彼は、まず、全国に広がった大学紛争に言及していった。学生たちがストライキを起こした原因も、経過も、大学によってさまざまであった。大学側の対応もさまざまであったが、概して権威的、威圧的であり、学生の意見が聞き入れらることは、ほとんどなかった。

大学側の強硬策は、ますます学生の怒りに油を注ぎ、運動は全学に広がっていったのである。各大学で学生たちは、全学共闘会議を結成し、結束を固めていった。この全共闘運動は、それまでの政治党派手動の学生運動とは異なり、セクトに所属しない、「ノンセクト」の学生たちが組織した、広範な運動となったのである。この運動に通底していたのは、大学の在り方を根本的に問いただし、大学の「民主化」を主張していることであった。

山本伸一は、共通の重大問題として、教授の精神の老齢化により、情熱が欠如し、それが、学生との距離感をつくり出していることを指摘。「根本的には、学生と教授の隔絶感、すなわち、世代の断絶に本当の原因がある」として、「教育の本義は、触発にこそある。大学教育といっても、最大の教育環境は、教師自身である。教授に向上の情熱がなければ、学問のうえでも時代に取り残され、人間としても精彩を欠き、知的触発も、魂の触発ももたらしえない。」

伸一は、教師自身の改革にこそ、大学紛争の解決があることを、示しておきたかったのである。

次いで講演は先月に起こった、ワルシャワ条約機構軍が東欧のチェコスロバキアに侵攻した事件に移った。伸一は、この武力介入は、アジアにおけるアメリカのベトナム戦争と同じく、小国に対する大国の力の抑圧であり、ナチス・ドイツの武力侵略と同じ系列に立つものと断じた。

その舌鋒は鋭かった。大国が小国を支配し、蹂躙する。こんな弱肉強食の権力主義を、いったい、人類はいつまで放置しておくのか。また、社会主義といっても、自由主義といっても、本来、人間の幸福のためにあるはずのものである。

ところが、そうした制度やイデオロギーが優先され、何ものにもかえがたい、尊極無上の人間の生命が脅かされる。伸一は、この本末転倒の現実を転換し、真実の人間性の世界を開くには、どうしても生命の尊厳を裏づける「確固たる哲学」を根底とした大学運動が不可欠であることを力説していったのである。
 

太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋

学生部に託す 金の橋

『新・人間革命』第13巻 金の橋の章 P40~

"文革"の第一歩は、「反動的」「ブルジョア的」な旧地名などの変更から始まり、さらに、革命前からの知識人や著名な学者、芸術家、旧地主、香港・台湾出身者などが、次々と攻撃にさらされたのである。

"文革"の大混乱が続く1967年の8月ソ連の大使館に、中国人のデモ隊が乱入する事件が起きたり、英代理大使事務所が、紅衛兵のデモ隊に包囲される事件が相次ぎ、中国に対する国際世論の批判の声を、ますます高めていったのである。

また、9月には、中国政府は、日中記者交換で駐在が認められていた新聞社のうち3社の記者に対して、常駐資格を取り消した。これによって、日本のマスコミも、中国に対して、一段と強い警戒心をもつようになった。日本国内には、日中友好を口にするなど、もってのほかであるという雰囲気が漂ってしまった。

日中の関係打開への見通しは、依然として立たず、両国の友好への歩みは次々と挫折し、国交正常化をめざして運動を続けていた人びとの心には、絶望と敗北感が、深い闇となって広がっていたのであった。

山本伸一は、今こそ、日中国交正常化への提言を、断じて発表しなければならないと、一段と決意を固めたのである。彼は、日中国交正常化の提言に踏み切ることが、いかに危険を伴う決断であるか、よくわかっていた。

提言を行えば、当然、創価学会の本質は共産主義であるといった類の、囂々たる非難が沸き起こることを、伸一は、重々承知していた。場合によっては、これが契機となり、学会を危険視してきた勢力が、いよいよ壊滅に追い込もうと、本格的に動きを開始することも、予測されていたのである。

伸一は深く思った。"私が発言するしかない!私は仏法者だ。人びとの幸福と世界の平和の実現は、仏法者の社会的使命である。何が起こっても、断行する決意を固めるしかない!私の考えが正しかったかどうかは、後世の歴史が証明するはずだ"

伸一は、その発表の場を、学生部総会とし、若き英才たちに、呼びかけようと決めたのである。それは、日中友好の永遠なる「金の橋」を築き上げるという大業は、決して自分一代限りではできないことであるからだ。世紀を超えた、長く遠い道のりである限り、自分と同じ心で、後を受け継ぐ人がいなければ、成就はありえない。

だからこそ、伸一は、平和の波を広げゆく、後継の人材群の第一陣として、この数年間、学生部の育成に、総力をあげてきたのである。彼には、"学生部員のなかから、自分の提言の実現のために、生涯、走り抜いてくれる同志が必ず出るにちがいない"との、強い、強い、確信があった。

学生部の首脳幹部たちは、多くの学生部員が仏法の精髄に触れる機会をつくりたいと、大学別講義の開催を企画した。講師には、主に、その大学の出身者である、副理事長などの幹部がつくことになっていた。

伸一は、最高幹部会の会議の折にこう訴えた。「若い時代に教学を徹底して学び、仏法の哲理を自己の規範としておかなければ、本当の意味で広宣流布を担うことはできないからです。なぜなら、広宣流布は思想戦だからです。」

「学生部員が、真剣に教学に取り組まず、行事などの運営の真似事みたいなことだけ覚えて、リーダーになっていったら、怖いことです。たとえ、教学を学んだとしても、知識として覚えただけで実践が伴わず、自分を偉そうにみせるための教学であれば、"畜生の教学"です。そんな幹部が出てきたら、学会は食い破られてしまう。」

「したがって、最高幹部である皆さんが、全力を注いで講義し、魂の触発を与え、真の教学と大聖人の御精神を、学生部の諸君に伝え抜いていただきたい。」


さらに、卒業後も、生涯にわたって友情を育み、広宣流布の使命を確認し合えるようにと大学会の結成を提案する。


太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋

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