小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

大ブロック

創価学会は 校舎なき総合大学

『新・人間革命』第24巻 人間教育の章 201p

「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」の御文を拝した。「この御文は、社会の繁栄、平和を実現するために、さまざまな方法、手段を講ずるよりも、まず、不幸の根本原因である、誤った教えという一凶を絶つことが大事だと述べられているところです。それは、私どもの生き方についても言えます」

「私たちが、人間革命し、幸せになっていくうえでも、それを阻んでいる一凶というものがあります。自分の失敗や不幸を人のせいにする生き方や、広宣流布のために皆と心を合わせられないというのも一凶でしょう。また、困難に出くわすと物事を投げ出したり、逃げてしまうという傾向性も一凶です。」

「そこで、自分の一凶は何かを見極め、それを絶とうと決め、懸命に唱題し、自身に挑戦していくことです。そこから、人間革命の戦いが始まるんです」

青年期に、自らを鍛錬し、一凶を絶っていくことが、人生の幸福を勝ち取っていくうえで、極めて重要であると訴えた。

時代は、どんどん変わってていく。信心という根本は、決して変わってはいけないが、運営の仕方や、感覚というものは、時代とともに変わるものだ。学会は、その時代感覚を、青年から吸収し、先取りして、新しい前進の活力を得てきた。

社会の流れや時代感覚は、青年に学んでいく以外にない。その意味からも、男子部や女子部が、壮年や婦人にも、どんどん意見を言える学会でなくてはならない。伸一は、あらゆる角度から、未来を、21世紀を、見すえていた。

たとえば、仏法には、個人や社会のかかえる、あらゆる問題を解決する原理が説かれている。それを、いかなる角度から、どう語っていくかも、時代によって異なろう。初代会長・牧口常三郎は、価値論を立て、「罰」という反価値の現象に苦しまぬよう警鐘を鳴らすことに力点を置いた。

第二代会長・戸田城聖は、戦後、広く庶民に、仏法の偉大さを知らしめるために、経済苦、病苦、家庭不和等の克服の道が、仏法にあると訴え、御本尊の功徳を強調した。

では、これからは、人びとは、仏法に何を求め、私たちは、どこに力点を置いて、仏法を語るべきなのか。若い世代のテーマは自己の変革、生き方の転換に、重点が置かれていくにちがいない。つまり、『人間革命の時代』が来ているのだ。

21世紀には、人間の寿命はますます延び、高齢化が進むであろう。それにともない、人びとの死への関心は高まり、永遠の生命を解き明かした仏法の死生観が、クローズアップされる時代が来ることは間違いない。

学会の組織を堅固にしていくための伸一の照準は、第一線組織に合わせられていた。広宣流布運動の大勝利といっても、最前線組織を離れてはない。そこが、広宣流布の主戦場であるからだ。その最前線組織で、友の激励に根気強く足を運び、何人の人を立ち上がらせたのかーーそこにこそ、幹部の使命がある。

広宣流布も、仏道修行の道場も、すべては、最前線組織のなかにこそあるのだ。創価学会は、自分を磨き高め、真の人間の生き方と、社会建設の道を教える、人間教育の場である。戸田は、「創価学会は、校舎なき総合大学である」と語った。その総合大学のいわば"教室"であり、"実習場"となるのが、第一線組織なのである。

大ブロックを、いかにして強化するかが話題になった。「最も重要なことは、幹部同士の団結です。団結というのは、互いに、"他人任せ"にするのではなく、自分が、この大ブロックの一切の責任を担おうと、心を定めることから始まります」

「それぞれの幹部が『ここに真実の創価学会あり!』と、胸を張れる組織を、断じてつくろうという、強い一念をもつことです。そのうえで、幹部が力を合わせて、一人ひとりを徹底して励ますんです。

特に、大ブロック長、大ブロック担当員の方々は、厳たる創価の大ブロック城の城主であり、会長である私の分身であるという自覚をもってください。私に代わって、皆さんに声をかけ、悩みに耳を傾け、勇気づけ、元気づけ、抱きかかえるようにして励ましていただきたい。"会長だったら、どうするか。どういう思いで、同励ますか"を考え、私をしのぐような激励をしてください。」

「皆が功徳を受けられるようにすることです。それには、一人ひとりと、じっくり対話し、唱題と弘教の実践を教えなければならない。広宣流布の使命に生きることを教えるんです。


太字は 『新・人間革命』第24巻より 抜粋

これが創価学会だ

『新・人間革命』第24巻 人間教育の章 193p

<人間教育の章 開始>

創価学会はどこにあるのかーー。遠く彼方にあるのではない。自分が暮らし、日々戦い、励ましの歩みを運ぶ、わが地域、わが地区、わがブロックにこそ、絢爛たる創価の大城があるのだ。ゆえに、そこに、「わが組織を見よ。これが創価学会だ!」と胸を張れる、歓喜と麗しき人間共和の実像をつくらねばならない。

わが組織に、功徳の体験の花は咲き薫っているか!信心の歓喜と確信はあふれているか!宿命の嵐に敢然と挑み立つ、勇気はみなぎっているか!仏道修行への挑戦と、切磋琢磨はあるか!粘り強い
励ましの対話はあるか!信頼の絆と団結はあるか!皆に創価の師弟の誇りは脈打っているか!

御聖訓には、「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり」と仰せである。自分が今いる活動の舞台が、「当詣道場」、すなわち、一生成仏のための仏道修行の場となるのだ。したがって、どこか別の世界に、本当の「創価学会」があるなどと考えるのは誤りである。

"広宣流布の建設とは、まず、自分のいる組織を、盤石に築き上げていくことだ。それには、自身が、建設の勇者となることだ。誰かではない。自分が立つのだ。一人立つーーそこから、すべては始まる。それが、創価の永遠の精神だ。皆が山本伸一の分身だ。皆が会長だ!"これが、伸一の生命の叫びであった。

1977年(昭和52年)「教学の年」は、大ブロックの教化をめざし、活動方針の一つに「座談会運動で魅力ある大ブロックの建設」を掲げてスタートした。さらに、毎月、「大ブロック建設週間」を設け、座談会を中心に、全幹部が大ブロックに入り、協議会や家庭指導に力を入れていくことになったのである。

山本伸一は、大ブロック担当員勤行会で訴えた。「私たちの現実の日々は、悩みだらけでしょう。学会活動の場でも、"わからずや"ばかりで、もうやっていられないと思うこともあるかもしれない。病苦と闘っている方もいるでしょう。しかし、戸田先生は、大確信をもって、よく、こう言われておりました。『朝晩の勤行を励行し、懸命に唱題氏、折伏を行っていくならば、人間革命できないわけがない。幸福にならないわけがない。これだけは断言しておきます』」

伸一は、集った大ブロック担当員の生命の奥深く、仏法への大確信を打ち込んでおきたかった。彼に話は一転して、家庭での振る舞いに移った。「人間革命といっても、決して特別なことではないんです。一例をあげれば、・・・いつも怒りっぽかったのに、怒らなくなった。笑顔で接するようになった。よく気遣いできるようになった。ーーそれが、人間革命なんです。

幸せといっても、自分の身近なところにあるんです。家庭で、隣近所との付き合いの中で、あるいは、職場で、いい人間関係をつくれるかどうかです。そして、心から感謝でき、幸せだと思えるーーそこに、幸福があるんです。」

最後に彼は、「愚痴」について語っていった。「せっかく頑張っても、愚痴ばかり言っていると、その福運を消してしまうし、功徳もありません。卑近な例でいえば、風邪を治そうと薬を飲みながら、薄着をして、雨に打たれて歩いているようなものです」

「愚痴の怖さは、言うたびに、胸中に暗雲を広げていくことです。心を照らす太陽が闇に覆われ、希望も、感謝も、歓喜も、次第に薄らいでいってしまう。御聖訓にも『わざわいは口より出でて身を破る』と仰せです。さらに、愚痴っぽい人というのは、自分では気づかぬうちに、全体の空気を重くし、人のやる気をも奪っていく」

「つまり、広宣流布への勢いを削ぎ、戦いの力がみなぎるのを止めてしまっているんです。それでは、功徳どころか罰を受ける結果になりかねない。だから、皆で、互いに戒め合っていくことが大事なんです。大聖人が『心こそ大切』と仰せのように、大事なことは、どういう一念で信心に励んでいくかです。どうせ信心をするなら、愚痴を言いながらではなく、自ら勇んで、実践していかなければ損です」

婦人部は、創価学会の太陽である。その婦人たちの、はつらつとした姿が、包容の微笑みが、幸の光源となって、暗く閉ざされた友の心に降り注いでいくのだ。


太字は 『新・人間革命』第24巻より 抜粋

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