『新・人間革命』第23巻 敢闘の章 352p

8月24日は、山本伸一の入信29周年の記念日である。8月24日という日には、伸一の忘れがたい思い出が刻まれていた。この日は、彼の入信記念日であるだけでなく、生涯、戸田の弟子として、久遠の師弟の道に生き抜くことを、深く決意した日であったのである。

1950年(昭和25年)戸田は、学会の理事長辞任の意向を発表したのだ。戸田の経営する信用組合の事業が完全に行き詰り、業務停止となったのである。事業の破綻は、学会にも及びかねなかった。それだけは、なんとしても避けなければならぬと考えた戸田は、理事長を辞任することを告げたのである。

"創価学会は、そして、広宣流布は、どうなってしまうのか・・・"彼は、戸田に尋ねた。これから自分の師匠は新理事長になるのか、と戸田は、明確に答えた。「君の師匠は、ぼくだよ」伸一は、この一言を、全生命で確かめたかったのである。彼の胸には、言いしれぬ喜悦がほとばしった。

"ぼくの師匠は、先生なんだ。これでよし!"彼は、kの碑、戸田を生涯の師匠と定め、守り抜くことを誓ったのである。

伸一も既に壮年となった。彼は、全壮年部員が、自分と同様に、師弟共戦の誓いを立て、生涯、広宣流布の大目的に生き抜いてほしかった。そこに、無上の人生道があるからだ。また、そうなれば、学会は盤石であり、永遠に栄ゆくことは間違いないからだ。

壮年には、力がある。壮年は、一家の、社会の、学会の黄金柱である。そして、広宣流布の勝敗を決していくのは、壮年が、いかに戦うかにかかっている。ゆえに伸一は、この8月24日を、「壮年部の日」にしたいという壮年からの提案に、全面的に賛成したのだ。

大切な記念の日である。だからこそ、広宣流布のための最も大切な仕事をしたかった。一人ひとりの同志と対話し、励ましを送るーーそれは、地味な、なんの変哲もない作業である。しかし、それこそが、広宣流布を推進する原動力となるのだ。

励ましは、組織の血流である。その脈動があってこそ、皆が生き生きと活動に励むことができる。励ましを忘れれば、組織は形骸化する。絶えざる激励こそが、前進の活力となるのだ。

人は、皆、なんらかの悩みを抱えている。その悩みに、喜々として挑戦し、乗り越えていくための信心であるからだ。また、そうした問題を解決していくなかで、自身の生活の足場が固められていくし、さらに、その体験が、仏法への揺るぎない確信となっていくのである。

時田勇雄の家に向かった。「さあ、勤行をしましょう。祈るにあたって大切なことは、願いは、すべて叶うのだという強い信を込め、力強く祈ることです」

「決意、祈りは、具体的であることが大事です。"今日は、あの人に信心の話を教えたい""この人を座談会に参加させよう"といった明確な祈りです。」

「広宣流布の道には、さまざまな難が競い起こってきます。また、人生は、宿命との戦いともいえます。現世安穏というのは、なんの波風もない、順風満帆の人生を生きるということではありません。怒涛のように諸難や試練があっても、勇敢に、一歩も引かずに戦い、悠々とそれを乗り越えていける境涯をいいます。何があろうが、堂々と、人生に勝利していける姿が、現世安穏ということなんです」

「そのためには、どんなことがあっても、一生涯、学会から、御本尊から離れず、題目を唱え抜いて、勇んで、広宣流布に生き抜いていくことです。たとえ、どんなに苦しい時も、御本尊への信を奮い起こし、"絶対に負けるものか!"と、唱題し抜いていくんです。そうすれば、苦難に立ち向かう勇気が涌きます。生命が躍動し、歓喜が込み上げてきます。そこから、すべての状況が開かれていくんです」

「題目、題目、題目です。誰も見ていなくとも、日々、懸命に祈り抜いていくーーそれが、一切の原動力です」伸一は、皆が信心の大功徳を受けてほしかった。ゆえに、その源泉となる、唱題の大切さを力説していったのだ。

唱題あるところには、勇気が涌く、歓喜があふれる。確信がみなぎる。そこに、功徳の大輪が咲く。それがまた、さらに、勇気、歓喜、確信を生む。一切は、唱題から始まるのだ。それを、万人に教え、知らしめるために、創価学会があるのだ。


太字は 『新・人間革命』第23巻より 抜粋