小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

基本的人権侵害

日本人の民主主義と人権感覚

『新・人間革命』第4巻 春嵐の章 P62~


村八分事件は、社会的に見れば、日本という国の、未成熟な民主主義と
人権感覚を物語るものであったといってよい。


古来、日本には土俗的な氏神信仰があり、地域の共同体と宗教とが、
密接に結びついてきた。

江戸時代になると、幕府の宗教政策によって寺檀制度がつくられ、
寺院によって民衆が管理されるようになった。
そのなかで、寺院の言うがままに従うことが、本来の人間の道であるかのような意識が、
人びとに植えつけられていった。

明治以降、神社神道が、事実上、国教化されたことで、神社はもとより、
宗教への従属意識は、ますます強まっていった。

地域の寺院や神社に従わなければ、罪悪とするような日本人の意識の傾向は、
いわば、政治と宗教が一体となり、民衆を支配してきた、日本の歴史のなかで、
培われてきたものといえよう。



戦後、日本国憲法で信教の自由が 法的にも認められても国民の意識は変わらなかった。

そして、昔からの地域の寺院神社への寄付や宗教行事への参加が、
すべての地域住民の義務であるかのように考えられてきた。


なぜ、人びとは民主主義を口にしながらも 旧習から脱することができなかったのか。


それは、民主主義の基本となる「個」の確立がなされていなかったからにほかならない。
一人ひとりの「個」の確立がなければ、社会の制度は変わっても、精神的には、
集団への隷属を免れない。



さらに、日本人には、「個」の自立の基盤となる哲学がなかったことである。
本来、その役割を担うのが宗教であるが、日本の宗教は、村という共同体や
家の宗教として存在してきたために、個人に根差した宗教とは なりえなかった。


日本人は、寺院や神社の宗教行事には参加しても、教義などへの関心はいたって低い。
これも、宗教を自分の生き方と切り離して、村や家のものと、
とらえていることの表れといえる。



もし、個人の主体的な意思で、宗教を信じようとすれば、教えの正邪などの
内実を探求し、検証していかざるをえないはずである。



こうした、宗教への無関心、無知ゆえに、
日本人は、自分宗教につい尋ねられると、どこか恥じらいながら、家の宗教を答えるか、
あるいは、無宗教であると答える場合が多い。


それに対して、欧米などの諸外国では、誇らかに胸を張って、
自分がいかなる宗教を信じているかを語るのが常である。


宗教は自己の人格、価値観、生き方の根本であり、新年の骨髄といえる。
その宗教に対する、日本人のこうした姿は、世界の常識からすれば、
はなはだ異様なものといわざるをえない。


そのなかで、日蓮仏法は個人の精神に深く内在化していった。
そして、同志は「個」の尊厳に目覚め、自己の宗教的信念を表明し、主張してきた。


いわば、一連の学会員への村八分事件は、民衆の大地に兆した「民主」の萌芽への、
「個」を埋没させてきた旧習の抑圧であったのである。



これらの「村八分事件」をうけ、信教の自由、人権を守るため、
国会の 参院予算委員会で 取り上げることにした参議院議員。

自治大臣は 個人の自由だからとやかく言う問題ではないと答弁。
しかし、水道を止められたり、共有林の財産権剥奪など深刻な問題が起きていることを 指摘。
警察も 地元有力者と 結託し、取り調べをしないなどの点を 警察庁保安局の見解も尋ねる。

調査する姿勢を示すも、学会員への有形無形の圧力や差別はなくならなかった。


それらの報告を受ける山本伸一は、常にこう話した。
「長い人生から見れば、そんなことは一瞬です。むしろ、信心の最高の思い出になります。
 仏法は勝負です。最後は必ず勝ちます。決して、悲観的になってはならない。
 何があっても、堂々と、明るく、朗らかに生きていくことです。」



伸一は、同情は その場しのぎの慰めでしかないことを、よく知っていた。
同志にとって大切なことは、何があっても、決して退くことのない、
不屈の信心に立つことである。そこにこそ、永遠に栄光の道があるからだ。



太字は 『新・人間革命』第4巻より抜粋

村八分事件

『新・人間革命』第4巻 春嵐の章 P47~


このころ、創価学会への不当な村八分が、各地で深刻さを増していた。


兵庫県のある山間の地域では、神社の守り番を、
毎年、住民が順番で行うことが慣習になっていた。


学会員の組長は 神社への奉仕や 参拝をしなければならないことが、
自分の宗教的な信条から納得できなかった。


そこで、地域の総会で、宗教は自由なので、他の行事には 喜んで協力させてもらうが、
守り番のような宗教的な行事には しないと発言。


すると、地域の臨時総会を 学会員抜きで開催し、地区規約の改正を行い、
神社行事の係りをすることを規約に 盛り込ませた。


そして、その義務を果たさない者は、地区民としての一切の権利を失うことを
明記したのだ。

地域の責任者は その規約をたてに、学会をやめるよう迫った。
学会員たちが「絶対やめない」と答えると、地域の水道委員が
学会員の家の簡易水道の元栓を止めた。


地域の義務を果たさない者は水道も使えないというのだ。
さらに、地域の行事の連絡に使われていた有線放送の設備も取り外され
共有の 山林の権利も剥奪。


学会員は 川まで水を汲みに行ってそれを飲んで暮らさなければならなかった。
近所の人たちは、挨拶もしなくなり、子どもへのいじめも始まった。


一地域で起こった学会員への 村八分事件は、憲法に保障された、信教の自由、
基本的人権を脅かすものであることは明白である。


他の地域でも 同様の村八分が 行われていた。
地元の警察署に 人権侵害、名誉棄損で告訴し、法務局にも、
規約には 憲法違反の疑いがあることを告げ、調査を要請した。


法務局は、すぐに調査を開始し、区長に対し地区規約を破棄するよう勧告。
しかし、地元の警察は、地区の役員らと密接な繋がりがあるせいか、
いくら窮状を訴えても、なかなか動きだそうとはしなかった。


地区の役員は、考えを改めようとはせず、
「憲法違反であろうが、なかろうが、地区のことは地区の規約によって
運営するものだ」といってはばからず、さらに 学会員に圧力をかけた。


そんな中、3月16日に 開催された 青年部第1回音楽総会で、山本伸一は
戸田城聖が 広宣流布の模擬試験としてしめした、式典が終了した時、
「我々は戦おうじゃないか!」と言われた意味を話す。


この日のあいさつは、聖教新聞に掲載され、全国の会員は、
決然と奮い立った。
「我々は戦おうじゃないか!」との言葉は、同志の合言葉ともなった。


村八分にあっていた学会員たちは、この指導に勇気を得て、
「村八分は 大きな魔が競い起こって 信心を試しているのだ」と、
とらえ、負けなかった。


こうした事件は 宗教色の強い行事に、半ば強制的に参加させられることへの
同志の拒否に始まっている。
それは、彼らが学会員となることによって信教の自由に目覚めたからにほかならない。



村八分は 共有林などの財産権の剥奪や 農業に必要な共同機材などを使用させない、
祭りの神輿を 店に乱入させるなど 悪質な暴力をふるわれるケースもあった。


伸一は、なんの罪もない同志が、理不尽な圧迫を受けていることが、
かわいそうでならなかった。
しかし、それは仏法の法理に照らして考えれば、当然のことでもあった。


村八分の理由は いずれも、寺院や神社への行事の不参加や、寄付の拒否であったが、
それらは、むしろ、口実にすぎなかったようだ。



本当の理由は、それぞれの地域で、本格的な折伏が始まったことへの
“恐れ”にあったといってよい。


学会の布教によって、まず、既成宗派の寺院や神社が、檀家や氏子が奪われてしまうという
危機感をいだいた。さらに、寺院や神社にかかわりのある地域の有力者たちが、
学会員が増えていけば、地域の秩序が乱され、自分たちの立場も危うくなるかのような
錯覚を持ち、学会員を締め出しにかかったのである。


そこには、他宗派や一部のマスコミの喧伝による、学会への歪められた認識もあった。



大聖人は、「大難なくば法華経の行者にはあらじ」と仰せである。
難がなければ、まことの信心ではない。広宣流布が進めば、
必ず嵐が競い起こるはずだ。

確かに嵐は吹き始めたが、それは、まだまだ本格的な嵐というには、
ほど遠いことを伸一は感じていた。

全同志を、どんな大難にも、喜び勇んで立ち向かっていける、強き信仰の人に
育て上げなくてはならないと思った。


伸一は、この村八分事件を、そのためのステップととらえていたのである。



太字は 『新・人間革命』第4巻より抜粋

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