小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

国土大清掃運動

韓国SGIへの表彰

『新・人間革命』第8巻 激流の章 P368~

1979年(昭和59年)12月、食糧増産と農作物災害克服への尽力が高く評価され、メンバーは農水産部長官から表彰された。それは韓国社会からの最初の顕彰であった。そして、84年1月には「農村助け合い運動」による、農漁村所得の増大への貢献に対して、当時の全斗煥大統領から、表彰状が贈られている。96年6月には、環境保全への献身的な努力が称えられ、環境部長官から表彰を受けた。さらに、各地の行政機関等からの顕彰も相次いでいる。

まさに、“仏教会”が韓国社会になくてはならぬ“希望の存在”となった証左といってよい。メンバーの粘り強い努力が、厚い誤解の壁を打ち破っていったのである。

一方、山本伸一も、韓国の敬愛する同志の、幸福と活躍を念じ、「功徳の雨よ降れ!」と、日々題目を送り続けてきた。さらに、日本と韓国の間に、信義と友情の、永遠の「宝の橋」を架けようと、文化・教育の交流に、力を注いでいったのである。

そうした努力が実り、1990年秋、東京富士美術館所蔵「西洋絵画名品展」が、ソウルで開催されることになった。そのオープニングの式典に出席するため、彼は東京富士美術館の創立者として、この時、初めて、念願の韓国を訪問したのである。

そして、97年5月、伸一は、創価大学の創立者として、名門、慶熙大学から招かれ、「名誉哲学博士号」を贈られたのである。伸一の「世界平和への献身的努力」と、「韓国の文化と歴史への深い洞察を通し、韓日の友好に大きく寄与した」ことを称えての授与であった。

この韓国訪問中の5月18日、伸一は、ソウルにある、SGI韓国仏教会本部を初訪問したのである。
同志は、待っていた。あの試練の嵐が吹き荒れて以来34年、メンバーは、この日が来ることを夢に見、祈り、待ちわびてきたのである。それは、伸一も同じであった。

彼は、韓国の“信心の大英雄”たちに、万感の思いを込めて呼びかけた。「皆さまは勝ちました。社会に奉仕し、人間性を広げていく。21世紀の仏法ルネサンスは、韓国から始まっています。私は嬉しい。全世界が皆様を 賛嘆しています!」一言一言に、全生命を注ぐ思いで、伸一は語った。

誰もが泣いていた。誰もが大歓喜に包まれていた。そして、誰もが新たな旅立の誓いに燃えていた。



元駐日韓国大使の権哲賢氏は 聖教新聞紙上の「私の読後感」で語っている。
「韓国と日本の間には、過去に不幸な歴史がありました。いまだに韓日の友好を築くには、幾つもの困難があります。しかし、だからこそ、『真の韓日友好』を願われる池田先生の心と言葉が、多くの人びとに伝わり、韓日関係の改善の力となることを心から望んでいます。」

「現代社会のさまざまな問題を克服するためには、『人間の変革』を避けては通れません。その人間に対する不信や失望が今、世界に渦巻いています。しかし、先生は決して、人間に対する信頼を手放すことはありません。これが、先生の真骨頂でありましょう。一人の人間革命から人類の宿命転換が始まる、との小説のテーマは、先生の信念そのものと感じます」

「創価学会は、日本で発展した宗教団体として、韓国国内では、多くの人が批判的に見ていました。そのような状況の中で、韓国SGIの方々は誠実に、社会に貢献してきました。韓国SGIの方々は誠実に、社会に貢献してきました。韓国SGIが今日、ここまで発展していることは、まさに『不可能を可能にした』といえましょう」

「その発展の原動力こそ、池田先生にほかなりません。先生には韓国国内から数多くの顕彰が贈られています。しかし、それでもなお、先生がなされた韓日友好の業績をたたえるには 足りないと感じています。」
と。

新・人間革命 8巻終了 


太字は 『新・人間革命』第8巻より

正義の証明

『新・人間革命』第8巻 激流の章 P360~

他の同志も、こうした信仰ゆえの迫害を、さまざまなかたちで味わった。メンバーを見る社会の目は、一段と冷たくなっていった。付き合いを断たれた人もいた。職場を追われた同志もいた。

しかし、メンバーは、“いよいよ本当の信心を奮い起こすんだ”と、学会と仏法の正義を叫び、必死に、嵐に耐えた。皆、懸命に唱題に励んだ。韓国の同志の“信心の火”は、激しい嵐にも決して消えることはなかった。

1966年10月 韓国の大法院の判決がおり、「回答書」は、創価学会に対する認識を知らせるためだけの内容にすぎず信教に対する行政処分としての性格のものではないというのである。

メンバーは 釈然としないものを感じたが、「回答書」は、信教を法的に規制するものではないとしたこの判決によって、憲法上、宗教の自由は保障されているとの確認がなされたことは大きな意味を持っていた。

とはいえ、創価学会への認識に変わりはなかったし、学会本部から幹部を派遣できないなどの宗教活動に対する方針も変わらなかった。そのなかで、韓国の同志は、皆で力を合わせ、自分たちの手で、信心の松明を守っていくしかなかった。まだ、「冬」の季節は続いていたのだ。

メンバーは、以前に入手していた学会の出版物を、皆で貪るように読み、信心を学んでいった。
「根深き木は日照りを寄せつけぬ」と、韓国のことわざにある。同胞を幸福にしたいという、メンバーの熱き思いは逆境をもはねのけ、祖国の大地に根を張り、着実に、同信の友の輪を広げていったのである。なんと1969年には、メンバーは3万世帯へと大発展し、功徳と喜びの花が各地に開いていった。

そうしたなか、1970年代の半ばごろになると、韓国政府は、違法行為がない限り、学会の活動を静観するという方針をとるようになっていった。

その間も、韓国のメンバーは増えていたが、組織として全体がまとまることはなかった。あるグループでは、幹部の野心によって、メンバーの純粋な信心を利用する動きが現れ、中心者が自分のために供養も集めるようになっていた。

1975年グアムでSGI(創価学会インターナショナル)が発足したが、韓国の幹部は 代表を出せる状態ではなかった。一部の幹部が、我流の信心に陥って、「自分中心」になってしまった結果であった。そこに、確固たる指導原理が、法を中心とした厳正なる広宣流布の師の存在が不可欠なゆえんがある。

その後も韓国の同志は、さまざまな風雪にさらされた。だが、そのたびに、むしろ、信仰の純度は高まっていった。

韓国の同志は、この日蓮仏法の、また、創価学会の「真実」と「正義」を、なんとしても証明していかなければならないと思った。誤解が誤解のままであれば、「真実」は 葬り去られてしまう。誤解を放置しておくことは「正義」の死を意味する。

“私たちが実際に何をなし、どれだけ社会に貢献できるかだ。その行動のなかに、学会の正しさを証明する道がある”こう考えたメンバーは、各地域で、自主的に、また、地道に、社会貢献の歩みを開始していったのである。

1970年代から、韓国では「セマウル(新しい村)運動」という農村の近代化政策が推進された。メンバーは、その社会奉仕の諸活動に勇んで参画し、田植えや刈り入れを手伝う「農村助け合い運動」や、自然保護運動に取り組んでいった。さらに、1990年代に入ると、メンバーは、大規模な「国土大清掃運動」を展開していったのである。


太字は 『新・人間革命』第8巻より
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