『新・人間革命』第27巻 求道の章 382p~
山本伸一は、6月8日には、北の大地に立っていた。北海道指導の開始である。幹部会に臨み、指導した「指導を受けた人が“身も心も軽くなる”“希望が湧く”と実感し、喜々として広宣流布ヘ進んでいけるように、最大の配慮と激励をお願いしたい。
指導することによって、後輩を追い込んだり、苦しめたりすることがあってはならない。それでは学会の指導ではありません。一人ひとりに心から愛情を込め、手取り足取り、抱きかかえるような慈悲の指導者であっていただきたいんです」
彼は、この訪問では、これまでに足を運んだことのない地域も訪れ、陰で学会を支えてきた功労の同志を、草の根を分けるようにして探し、讃え励まそうと、心に決めていた。
11日午後には、墓地公園内の戸田記念広場で開催された、北海道青年部の第六回総会に出席した。恩師の故郷・厚田村に、後継の精鋭6千人が集ってきたことを思うと、伸一は、熱い感動を覚えた。師の構想実現を誓うだけでは弟子たり得ない。誓いの成就こそ、真の弟子の証明となる。
「地位も、名誉も、財産もない、一人の無名の青年が、一人の人生の恩師をもったことにより、なんの悔いもない大満足の人生を歩むことができたーーそれが、私の偽らざる心境です」
「次は、諸君であります!本日から30年先をめざし、それぞれが広宣流布を誓い、その実現に生き抜いていただきたい」
師匠の示した構想を、弟子が、わが誓いとし、わが使命として実現していく。その継承があってこそ慈折広宣流布大願成就の大道を開くことができる。つまり、師弟不二の永遠の闘争なくして広宣流布はない。伸一は、そのために、いかなる生き方が重要になるのかについて、言及していった。
「それは、地道な実践です。大事なことは、しっかりと、自身を磨き鍛え、社会に、深く信頼の根を張っていくことです。長い目で見た時、時代の流れは、地道さが求められる時代にならざらるを得ない。基礎がしっかりと築かれていなければ、時代の変化のなかで、はかなく崩れ去っていきます。人生も広宣流布も持久戦です。
したがって、地道に精進を重ね、持続の信心、水の流れるような信心を貫いた人が、最後は勝ちます。堅実な戦いの積み重ねが、広宣流布の新しい時代を開いていくんです。そして、人生を勝利するための信心の土台、哲学の土台を築き上げていくのは、青年時代しかないことを心に刻み、広布大願に生き抜いていただきたいのであります」
伸一が、青年時代に、恩師・戸田城聖との語らいのなかで、世界広布への雄飛を心に決めた師弟誓願の天地・厚田ーー今、その厚田に集った若き勇将たちは、三十年後をめざして、新たな旅たちを開始したのである。
妻の峯子もまた、伸一と同じ心で、同志の激励に走った。伸一と峯子は、“一心同体”であった。広宣流布の“盟友”であり、“戦友”でもあった。人と会い、交流を結び、学会理解の輪を広げていくーーその積み重ねが地域広布の堅固な土壌をつくる。友好なくして広布はない。
道東指導のために、飛行機で釧路へ向かった。空港から、北海道研修道場までは、車で140キロほどの道のりである。途中、釧路市の石沢清之助・ヤス夫妻の家を訪問した。清之助は、脳出血で倒れ、右半身麻痺になり、医師からトイレに行けるようになれば、幸いだと思うようにと言われていた。伸一の釧路指導に駆けつけ、伸一から強い確信を込めた指導を受け、決意を新たにした。
次男の心臓病を直したい一心で入会したが、願いはかなった。入会後、大小さまざまな試練があったが、御本尊を疑わず、広宣流布に生きようと決め、唱題と弘教に励むことによって、すべてを乗り越え、変毒為薬してきた。脳出血で倒れたことが、嘘のように健康になり、伸一と再会したのだ。
伸一は、ぎゅっと清之助の手を握った。「本当に良かった。真面目にやってきた人が最後は勝つーーそれが仏法です。広宣流布を使命とする創価学会とともに生き抜くなかにこそ、信心の正道があります。だから、こうして病に打ち勝てたんです」伸一は、夫妻の信心の勝利をたたえた。
指導することによって、後輩を追い込んだり、苦しめたりすることがあってはならない。それでは学会の指導ではありません。一人ひとりに心から愛情を込め、手取り足取り、抱きかかえるような慈悲の指導者であっていただきたいんです」
彼は、この訪問では、これまでに足を運んだことのない地域も訪れ、陰で学会を支えてきた功労の同志を、草の根を分けるようにして探し、讃え励まそうと、心に決めていた。
11日午後には、墓地公園内の戸田記念広場で開催された、北海道青年部の第六回総会に出席した。恩師の故郷・厚田村に、後継の精鋭6千人が集ってきたことを思うと、伸一は、熱い感動を覚えた。師の構想実現を誓うだけでは弟子たり得ない。誓いの成就こそ、真の弟子の証明となる。
「地位も、名誉も、財産もない、一人の無名の青年が、一人の人生の恩師をもったことにより、なんの悔いもない大満足の人生を歩むことができたーーそれが、私の偽らざる心境です」
「次は、諸君であります!本日から30年先をめざし、それぞれが広宣流布を誓い、その実現に生き抜いていただきたい」
師匠の示した構想を、弟子が、わが誓いとし、わが使命として実現していく。その継承があってこそ慈折広宣流布大願成就の大道を開くことができる。つまり、師弟不二の永遠の闘争なくして広宣流布はない。伸一は、そのために、いかなる生き方が重要になるのかについて、言及していった。
「それは、地道な実践です。大事なことは、しっかりと、自身を磨き鍛え、社会に、深く信頼の根を張っていくことです。長い目で見た時、時代の流れは、地道さが求められる時代にならざらるを得ない。基礎がしっかりと築かれていなければ、時代の変化のなかで、はかなく崩れ去っていきます。人生も広宣流布も持久戦です。
したがって、地道に精進を重ね、持続の信心、水の流れるような信心を貫いた人が、最後は勝ちます。堅実な戦いの積み重ねが、広宣流布の新しい時代を開いていくんです。そして、人生を勝利するための信心の土台、哲学の土台を築き上げていくのは、青年時代しかないことを心に刻み、広布大願に生き抜いていただきたいのであります」
伸一が、青年時代に、恩師・戸田城聖との語らいのなかで、世界広布への雄飛を心に決めた師弟誓願の天地・厚田ーー今、その厚田に集った若き勇将たちは、三十年後をめざして、新たな旅たちを開始したのである。
妻の峯子もまた、伸一と同じ心で、同志の激励に走った。伸一と峯子は、“一心同体”であった。広宣流布の“盟友”であり、“戦友”でもあった。人と会い、交流を結び、学会理解の輪を広げていくーーその積み重ねが地域広布の堅固な土壌をつくる。友好なくして広布はない。
道東指導のために、飛行機で釧路へ向かった。空港から、北海道研修道場までは、車で140キロほどの道のりである。途中、釧路市の石沢清之助・ヤス夫妻の家を訪問した。清之助は、脳出血で倒れ、右半身麻痺になり、医師からトイレに行けるようになれば、幸いだと思うようにと言われていた。伸一の釧路指導に駆けつけ、伸一から強い確信を込めた指導を受け、決意を新たにした。
次男の心臓病を直したい一心で入会したが、願いはかなった。入会後、大小さまざまな試練があったが、御本尊を疑わず、広宣流布に生きようと決め、唱題と弘教に励むことによって、すべてを乗り越え、変毒為薬してきた。脳出血で倒れたことが、嘘のように健康になり、伸一と再会したのだ。
伸一は、ぎゅっと清之助の手を握った。「本当に良かった。真面目にやってきた人が最後は勝つーーそれが仏法です。広宣流布を使命とする創価学会とともに生き抜くなかにこそ、信心の正道があります。だから、こうして病に打ち勝てたんです」伸一は、夫妻の信心の勝利をたたえた。
太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋