『新・人間革命』第6巻 波浪の章 P266~
公政連推薦の候補者や学会への脅しや、嫌がらせが激しくなっていった。遊説の場で、自分の政策などは何も語らず、学会を中傷するだけの候補や、遊説中に 石をぶつけられる、ポスターが 2千枚以上破られ、はがされるなどなど。
さらに、自分は学会員に票を売ったなど、事実無根の話を吹聴する悪質な妨害や、学会員に対しては 与党候補を支持しないなら仕事を回さない、労働組合の押す社会党候補を支持しなければ、組合を除名するなどといわれる会員もいた。
マスコミは、学会への中傷記事が続き、学会を"暴力宗教"や"ファッショ"と決めつけるなどの記事が 地方新聞にも書かれていた。
6月度本部幹部会では、弘教の結果が発表されたが、弘教はなんと、5万世帯を上回っていた。選挙支援の活動を展開してきたにもかかわらずの結果だ。それは、何があっても、仏道修行の基本である、自行化他を実践し抜くという生き方が、一人ひとりに定着したことを意味している。
また、すべてに勝利する力を、皆がつけ始めたのだ。
7月1日、投票日がやってきた。投票率は、全国平均で68.13%となり、昭和25年の第2回選挙に次ぐ高投票率となった。
3日未明には、9人全員の当選が決まった。公政連は、合計15議席になった。
17年前の7月3日は、戸田が獄中生活を終えて出獄し、権力の魔性との、生涯の闘争を開始した日である。そして、5年前のこの日、伸一が選挙違反の容疑で、大阪府警に不当逮捕された。
それは、学会という新しき民衆勢力の台頭を恐れる権力の謀略であり、この事件が伸一の生涯にわたる人権闘争の出発点となっていったのである。
伸一は、この意義深き7月3日に、同志である公政連推薦の候補者が全員当選の快挙を成し遂げ、民衆の手に政治を取り戻すための新たな船出ができたことが、このうえなく嬉しかった。
伸一は、直弟子の自分が、師の正義の歩みを『人間革命』の続編として書きとどめ、永遠に顕彰していかなくてはならないと、強い決意をみなぎらせた。
ペンネームは 既に決めていた。「法悟空」である。戸田のペンネームは「妙悟空」だった。
仏法では、妙は仏界、法は九界。妙は本源、法は現象。その原理からいえば、妙は師、法は弟子となる。ゆえに、伸一は、師弟の不二の誓いを込めて「法悟空」としたのである。
公政連では、参議院に院内交渉団体として独自の会派「公明会」を結成することを決定した。
今回の選挙の結果、社会党、民社党、共産党の革新政党は憲法改定阻止に必要な、三分の1にあたる84議席を確保することができず、したがって、この「公明会」が護憲の鍵を握る存在としてクローズアップされることになる。
7月3日、臨時本部幹部会が開催された。会員たちは、自分たちの支援が、民衆のための新たな政治勢力を誕生させた、歓喜と誇りに胸を高鳴らせていた。
会員の多くは、いまだ貧しかった。そうした人びとが、社会を、政治をよくしようと、時間をやり繰りして、手弁当で支援活動に参加し、この勝利を獲得したのだ。
信仰によって覚醒した民衆の力を、満天下に示した選挙戦であったといえる。
山本伸一は、今後の学会の、政治への基本姿勢について語っていった。
「宗教団体である学会が担う第一の使命は、正しき仏法の流布であります。したがいまして、政策の問題については、公政連、並びに公明会に、すべてお任せをしたいと考えております。」
「また、私自身は、政界に入ることはありませんし、今後も、どこまでも創価学会の会長として、信心第一に仏道修行に励み、いっさいの根本である日蓮大聖人の仏法をもって、民衆を救いゆくために、皆さんとともに、広宣流布に邁進してまいります」
伸一がこう言明した背景には、当時、学会の政界進出の狙いは、政治を支配することであり、やがて山本会長は自ら政界入りして、総理大臣の座を手に入れようとしているという、あらぬ憶測が世間に流されていたからである。
学会が、えたいの知れない野望集団であるかのような印象を植えつけようとする、謀略といえる。もとより、彼には、そんな考えは微塵もなかった。彼は、それを、この席で明らかにしておきたかったのである。
「さらに、衆望を担って、全国民から『私たちが期待していた政治家は、この学会員の人たちである』と言われ、称賛される政治家に育っていっていただきたい」
「あくまでも、全民衆のための議員として、活躍していただきたい。それが学会精神です。」
民衆のために生き、民衆のために戦うことこそ、全学会員の、公明政治連盟の議員への期待である。
太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋
公政連推薦の候補者や学会への脅しや、嫌がらせが激しくなっていった。遊説の場で、自分の政策などは何も語らず、学会を中傷するだけの候補や、遊説中に 石をぶつけられる、ポスターが 2千枚以上破られ、はがされるなどなど。
さらに、自分は学会員に票を売ったなど、事実無根の話を吹聴する悪質な妨害や、学会員に対しては 与党候補を支持しないなら仕事を回さない、労働組合の押す社会党候補を支持しなければ、組合を除名するなどといわれる会員もいた。
マスコミは、学会への中傷記事が続き、学会を"暴力宗教"や"ファッショ"と決めつけるなどの記事が 地方新聞にも書かれていた。
6月度本部幹部会では、弘教の結果が発表されたが、弘教はなんと、5万世帯を上回っていた。選挙支援の活動を展開してきたにもかかわらずの結果だ。それは、何があっても、仏道修行の基本である、自行化他を実践し抜くという生き方が、一人ひとりに定着したことを意味している。
また、すべてに勝利する力を、皆がつけ始めたのだ。
7月1日、投票日がやってきた。投票率は、全国平均で68.13%となり、昭和25年の第2回選挙に次ぐ高投票率となった。
3日未明には、9人全員の当選が決まった。公政連は、合計15議席になった。
17年前の7月3日は、戸田が獄中生活を終えて出獄し、権力の魔性との、生涯の闘争を開始した日である。そして、5年前のこの日、伸一が選挙違反の容疑で、大阪府警に不当逮捕された。
それは、学会という新しき民衆勢力の台頭を恐れる権力の謀略であり、この事件が伸一の生涯にわたる人権闘争の出発点となっていったのである。
伸一は、この意義深き7月3日に、同志である公政連推薦の候補者が全員当選の快挙を成し遂げ、民衆の手に政治を取り戻すための新たな船出ができたことが、このうえなく嬉しかった。
伸一は、直弟子の自分が、師の正義の歩みを『人間革命』の続編として書きとどめ、永遠に顕彰していかなくてはならないと、強い決意をみなぎらせた。
ペンネームは 既に決めていた。「法悟空」である。戸田のペンネームは「妙悟空」だった。
仏法では、妙は仏界、法は九界。妙は本源、法は現象。その原理からいえば、妙は師、法は弟子となる。ゆえに、伸一は、師弟の不二の誓いを込めて「法悟空」としたのである。
公政連では、参議院に院内交渉団体として独自の会派「公明会」を結成することを決定した。
今回の選挙の結果、社会党、民社党、共産党の革新政党は憲法改定阻止に必要な、三分の1にあたる84議席を確保することができず、したがって、この「公明会」が護憲の鍵を握る存在としてクローズアップされることになる。
7月3日、臨時本部幹部会が開催された。会員たちは、自分たちの支援が、民衆のための新たな政治勢力を誕生させた、歓喜と誇りに胸を高鳴らせていた。
会員の多くは、いまだ貧しかった。そうした人びとが、社会を、政治をよくしようと、時間をやり繰りして、手弁当で支援活動に参加し、この勝利を獲得したのだ。
信仰によって覚醒した民衆の力を、満天下に示した選挙戦であったといえる。
山本伸一は、今後の学会の、政治への基本姿勢について語っていった。
「宗教団体である学会が担う第一の使命は、正しき仏法の流布であります。したがいまして、政策の問題については、公政連、並びに公明会に、すべてお任せをしたいと考えております。」
「また、私自身は、政界に入ることはありませんし、今後も、どこまでも創価学会の会長として、信心第一に仏道修行に励み、いっさいの根本である日蓮大聖人の仏法をもって、民衆を救いゆくために、皆さんとともに、広宣流布に邁進してまいります」
伸一がこう言明した背景には、当時、学会の政界進出の狙いは、政治を支配することであり、やがて山本会長は自ら政界入りして、総理大臣の座を手に入れようとしているという、あらぬ憶測が世間に流されていたからである。
学会が、えたいの知れない野望集団であるかのような印象を植えつけようとする、謀略といえる。もとより、彼には、そんな考えは微塵もなかった。彼は、それを、この席で明らかにしておきたかったのである。
「さらに、衆望を担って、全国民から『私たちが期待していた政治家は、この学会員の人たちである』と言われ、称賛される政治家に育っていっていただきたい」
「あくまでも、全民衆のための議員として、活躍していただきたい。それが学会精神です。」
民衆のために生き、民衆のために戦うことこそ、全学会員の、公明政治連盟の議員への期待である。
太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋