『新・人間革命』第26巻 奮迅の章 332p~
「功徳を受ける信心について話をしておきます。一言すれば、まじめな信心の人には、必ず功徳があります。一方、外面は、一生懸命に信心に励んでいるように見せながら、実際には怠惰で、真剣に仏道修行に励もうとしない人には、功徳はありません。他人の目はごまかせたとしても、仏法の因果の理法は、決してごまかすことはできないからです。
また、恐るべきは、すぐに人を批判したり、ねたんだりする修正です。それは自分がこつこつと積み上げてきた福運を消すだけでなく、心を暗くし、生命を重くします。さらには、広宣流布の団結を破壊することになっていく。つまり、自分で自分を、不幸の淵へと追い込んでいってしまう。
反対に、人びとに対して、善意と称賛と応援の姿勢で臨み、仏道修行に励んでいくならば、感激があり、感謝があり、人生すべてを楽しいものと実感していくことができる。実は、そこに人間革命の姿があり、幸福の実像もあるんです。立場や役職のいかんが、幸・不幸を決するのではありません。
人生の勝負は、一年や二年では決まらないものです。一生です。したがって、決して背伸びをすることもないし、見栄を張る必要もありません。平凡でいいんです。どこまでも自分らしく、"折伏精神"をたぎらせ、地道に、淡々とわが使命を果たし、所願満足の境涯を築き上げていくことです。
特に支部長、支部婦人部長は、指導部の先輩と共に、丹念に一人ひとりと会い、励ましていってください。それが最大の仏道修行と思ってください。人を動かそうなどと考えるのではなく、まず自分が動くことです」
「支部の中心者だからといって、偉く見せようなどと考える必要はありません。ありのままでいいんです。私どもは、御本尊のもと、信心の血脈に結ばれた久遠の兄弟です。その大事な仏子である弟、妹の面倒を見て、立派な広宣流布の人材に育て上げていってください。そのなかに、自身の成長も、人間革命も、幸福もあると確信して、獅子奮迅の戦いを開始しようではありませんか!
伸一は、「支部制」を導入したからには、それが本格的に作動し、見事な成果をもたらすまでは、決して手を抜いてはならないと、深く心に決めていた。彼は、支部幹部の出発に際して、リーダーの在り方などについて、語っておこうと思っていた。
伸一は、「教学」と「信心」についての話から始めた。とともに、いや、それ以上に重要なことは、教学試験に合格できなかった人や、人材育成グループに入ることのできなかった人、実績がありながら表彰されなかった人などへの励ましである。
組織というのは、何かを行う時、どこかで"線引き"をしなければならない場合がある。大切なのは、該当しなかった方々への心配り、迅速な励ましを、リーダーは決して忘れたはならないということである。それを忘れれば、組織主義に安住してしまい、早晩、組織から人間性は失われ、冷ややかな官僚主義に陥ってしまうことになる。伸一は、そのことを深く憂慮し、断じてそうはさせまいとの思いで語ったのである。
伸一は、リーダーの在り方について語っていった。「支部というのは、依正不二の原理のうえから、自身の投影であるといえます。自分の生命の心音が、そのまま組織に脈動し、反映されていく。支部の発展、衰退は、支部長・婦人部長の一念の心音によって決定づけられていくことを、知っていただきたい。
支部幹部は、皆から好かれる人になっていくことが大事です。その根本要件は、一言するならば、誠実であることです。不誠実な人には、誰もついていきません。
では、誠実であるためには何が必要かーーそれは、まず、人の利点を生かそうとする努力を続けていくことです。また、後継を生かそうと、成長を願っているリーダーの真心は、伝わるものだ。二つ目に、約束は必ず守ることです。幹部になって多忙になると、"約束を守れないことがあっても仕方ない"と、思うようになってしまうことがある。それは間違いです。
組織といても、人間と人間の結びつきであり、その結合は、"信頼"によって成り立っている。"誠実"であることは、その"信頼"を育てることなのだ。
「功徳を受ける信心について話をしておきます。一言すれば、まじめな信心の人には、必ず功徳があります。一方、外面は、一生懸命に信心に励んでいるように見せながら、実際には怠惰で、真剣に仏道修行に励もうとしない人には、功徳はありません。他人の目はごまかせたとしても、仏法の因果の理法は、決してごまかすことはできないからです。
また、恐るべきは、すぐに人を批判したり、ねたんだりする修正です。それは自分がこつこつと積み上げてきた福運を消すだけでなく、心を暗くし、生命を重くします。さらには、広宣流布の団結を破壊することになっていく。つまり、自分で自分を、不幸の淵へと追い込んでいってしまう。
反対に、人びとに対して、善意と称賛と応援の姿勢で臨み、仏道修行に励んでいくならば、感激があり、感謝があり、人生すべてを楽しいものと実感していくことができる。実は、そこに人間革命の姿があり、幸福の実像もあるんです。立場や役職のいかんが、幸・不幸を決するのではありません。
人生の勝負は、一年や二年では決まらないものです。一生です。したがって、決して背伸びをすることもないし、見栄を張る必要もありません。平凡でいいんです。どこまでも自分らしく、"折伏精神"をたぎらせ、地道に、淡々とわが使命を果たし、所願満足の境涯を築き上げていくことです。
特に支部長、支部婦人部長は、指導部の先輩と共に、丹念に一人ひとりと会い、励ましていってください。それが最大の仏道修行と思ってください。人を動かそうなどと考えるのではなく、まず自分が動くことです」
「支部の中心者だからといって、偉く見せようなどと考える必要はありません。ありのままでいいんです。私どもは、御本尊のもと、信心の血脈に結ばれた久遠の兄弟です。その大事な仏子である弟、妹の面倒を見て、立派な広宣流布の人材に育て上げていってください。そのなかに、自身の成長も、人間革命も、幸福もあると確信して、獅子奮迅の戦いを開始しようではありませんか!
伸一は、「支部制」を導入したからには、それが本格的に作動し、見事な成果をもたらすまでは、決して手を抜いてはならないと、深く心に決めていた。彼は、支部幹部の出発に際して、リーダーの在り方などについて、語っておこうと思っていた。
伸一は、「教学」と「信心」についての話から始めた。とともに、いや、それ以上に重要なことは、教学試験に合格できなかった人や、人材育成グループに入ることのできなかった人、実績がありながら表彰されなかった人などへの励ましである。
組織というのは、何かを行う時、どこかで"線引き"をしなければならない場合がある。大切なのは、該当しなかった方々への心配り、迅速な励ましを、リーダーは決して忘れたはならないということである。それを忘れれば、組織主義に安住してしまい、早晩、組織から人間性は失われ、冷ややかな官僚主義に陥ってしまうことになる。伸一は、そのことを深く憂慮し、断じてそうはさせまいとの思いで語ったのである。
伸一は、リーダーの在り方について語っていった。「支部というのは、依正不二の原理のうえから、自身の投影であるといえます。自分の生命の心音が、そのまま組織に脈動し、反映されていく。支部の発展、衰退は、支部長・婦人部長の一念の心音によって決定づけられていくことを、知っていただきたい。
支部幹部は、皆から好かれる人になっていくことが大事です。その根本要件は、一言するならば、誠実であることです。不誠実な人には、誰もついていきません。
では、誠実であるためには何が必要かーーそれは、まず、人の利点を生かそうとする努力を続けていくことです。また、後継を生かそうと、成長を願っているリーダーの真心は、伝わるものだ。二つ目に、約束は必ず守ることです。幹部になって多忙になると、"約束を守れないことがあっても仕方ない"と、思うようになってしまうことがある。それは間違いです。
組織といても、人間と人間の結びつきであり、その結合は、"信頼"によって成り立っている。"誠実"であることは、その"信頼"を育てることなのだ。
太字は 『新・人間革命』第26巻より 抜粋