小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

創価文化会館

東京文化祭準備始まる

『新・人間革命』第12巻 天舞の章 P206~

東京文化祭の準備が本格的に始まったのは、6月下旬からであった。演技・演出の責任者は、副男子部長の久保田直広であった。文化祭を一つの舞台ととらえ、全体を貫くテーマを設けようと考え、「七つの鐘」をイメージし、全体を貫くテーマを「世界平和」にしようと思った。

舞台の進行は、間断なく流れる音楽に合わせて、流麗に場面を展開させたいと考えた。成功すれば、すばらしいが、危険度も、あまりにも高かった。しかし、これまでの壁を破って、新しいものを生み出すには、新しい挑戦が必要である。

各演目ごとに練習が開催されたのは、7月中旬のことであった。東京文化祭まで、約3か月。この日から、晴れの大舞台をめざして、自身に挑み抜く、それぞれの人生ドラマが織りなされていったのである。

国立競技場は、スタンドを埋めた、人文字メンバーも含め、7万余の人びとは、期待に胸を躍らせながら、刻一刻と迫る、午後1時の開会を待っていた。

来賓も、財界人、言論人、学者、各国の駐日大使など5千人が出席。また、外務大臣や文部大臣などの閣僚や、都知事をはじめ東京近県の知事、野党のリーダーなど政治家の顔もあった。

人文字が荘厳な鐘の音に合わせて、富士山を描き、富士を背景に、一斉に5千羽の鳩が放たれた。鳩は天高く舞い上がり、競技場の上空を旋回し、青空に吸いこまれていった。鳩たちの見事なリハーサルなしの名演技であった。この5千羽の鳩を集めることは、容易ではなかった。

男子部員は、東京、関東一帯を、くまなく歩き、鳩小屋のある家を見つけては、鳩を貸してもらえるように、交渉にあたった。

富士が消えると、人文字は、中央に一輪の牡丹を描き出した。次々色んな花が咲き、花園のなかを小鹿が駆ける。まさに、スタンドという大画面に展開された、大アニメである。

東京文化祭の人文字の関係者は"未だかつてない、最高の団結美を、新しい芸術をつくりあげよう!"そして、関西文化祭の人文字が52種類の絵であったのに対して、東京文化祭では、279種類の絵が、大スタンドに描き出されることになったのである。

この絵柄を作成したのが、洋画家や日本画家、グラフィックデザイナー、イラストレーターなど、30人ほどの芸術部員であった。

演技の内容に即して、人文字の下絵をつくり上げていくのである。芸術部員のなかには、世間に名の通った画家もいた。その著名な画家たちがつくった下絵も、容赦なくボツになった。

だが、何度、ボツになろうが、そのことで文句を言ったり、やめると言いだす芸術部員は一人もいなかった。皆、自分の画壇での立場も権威もかなぐり捨てていた。だから、絵がボツになると、自分の絵のどこに問題があったのかを真摯に思索し、挑戦の意欲をますます燃え上がらせるのであった。

「画家である前に学会員として、広宣流布の新時代を開く文化祭のために何ができるかを考え、応援させていただいている。この作業が、仏法のすばらしさを証明していくことにもなる。こうした偉業にかかわれるというのは、まさに千載一遇ですよ。この機会は、私にとっては、新しい刺激と発想が得られるチャンスだと思っています。今回の作業を通して、狭量な自分の殻を破り、境涯を開きたいと考えているんですよ」と高名が画家が語った

8月からは、下絵を人文字の座席図に、1マス1マス、色を塗り、書き写していく作業が加わる。座席図のマス数は、4万2千マス。1マスを塗るのに 3秒かかるとすると、1枚を仕上げるのに、35時間もかかることになる。

座席図を間に合わせるため、芸術部員の俳優や音楽家など、絵とは関係ないメンバーも、仕事の合間に駆けつけ、作業会場は、24時間フル回転であった。

太字は 『新・人間革命』第12巻より 抜粋

創価文化会館完成

『新・人間革命』第12巻 天舞の章 P196~

<天舞の章 開始>

1967年(昭和42年)9月1日 東京・信濃町の学会本部に隣接して、創価文化会館が完成し、この日、待望の落成入仏式が行われたのである。

建物は荘厳であり、設備は時代の先端をゆくものであった。将来、世界の一流の舞台に躍り出ていく青年たちのために、一流のものを呼吸させておきたいというのが、山本伸一の願いであったのである。

「文化会館」という新鮮な響きの名称も、伸一の提案であった。文化は、人間性の発露である。ゆえに、優れた文化を創造するには、まず、人間の精神、生命を耕し、豊かな人間性の土壌を培うことである。そして、それこそが宗教の使命といえる。その土壌のうえに、芸術、文学はもとより、教育、政治など、広い意味での優れた文化が、絢爛と花開くことを、伸一は確信していたのである。


この創価文化会館に引き続いて、関西文化会館が大阪・天王寺区に完成。9月10日には、山本伸一が出席して、盛大に落成入仏式が挙行された。その後、文化会館は、全国各地に、そして、世界各地に建設されていくことになる。それは、仏法を基調に平和と文化を推進する創価学会を、象徴するものとなったのである。

伸一は、関西文化会館の落成入仏式を終えると、四国・九州指導に向かった。そして、11日に高松で行われた四国の幹部大会の席上、四国のモットーとして、「楽土建設の革命児たれ」を発表したのである。彼は、この年を、全国を回りながら、広布の第二ラウンドの出発にあたり、活動の旗印として、各方面のモットーを示してきたのであった。


関西に対しては、再度、「常勝関西たれ」をモットーとして確認した。次いで、7月に入ると、9日の九州の幹部大会で「つねに先駆の九州たれ」を、10日の中部の幹部大会で「広布の堅塁・中部たれ」を、15日の東北の幹部大会では、「人材の牙城・東北たれ」を発表した。

さらに、8月には、21日の北海道の幹部大会で「新しき時代の開拓者たれ」を、26日の中国の幹部大会で「広布の新しき潮流たれ」を示してきた。伸一は、9月11日の四国に続いて、10月18日には、「全国の模範・東京たれ」とのモットーを、東京周辺の各県も含めた首都圏のメンバーに贈った。

これで日本国内の各方面のモットーが、すべて決まったのである。

前進には、具体的な目標とともに、使命、決意を端的に表現した合言葉が必要である。そのモットーを、常に確認し合うことで、原点に立ち返り、新しい心で出発することができる。また、使命と誇りを呼び起こしていくこともできる。彼が、各方面に示したこのモットーは、その後、各地の伝統精神となっていくのである。


1967年10月15日 東京・国立競技場で、世紀の大祭典・東京文化祭が、晴れやかに開催されたのである。出演者は人文字の4万2千人を含め6万2千人で、学会の文化祭史上、最も大規模なものとなった。

伸一は、聖教新聞紙上で訴えた「文化祭は、創価学会がいかに文化の向上に真剣であり、平和文化を愛好しているかということを示す縮図です。その姿を多数の来賓を招いて、見ていただこうではありませんか。これまでの文化祭を見た人たちは、学会に対する認識をあらためている人が多い。」

記事を見た首都圏のメンバーは、文化祭を楽しみにし、希望としながら活動を進めてきた。また、男女青年部の首脳幹部たちは「あらゆる面で、史上最高の文化祭にしていこう」と、決意し合ったのである。

さらに、文化祭の直前の10月12日に、正本堂建立発願式が行われることから、この文化祭は、世界平和の根本道場たる正本堂建立の、前夜祭と意義づけられたのだ。


太字は 『新・人間革命』第12巻より 抜粋

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