小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

初等教育の重要性

創価一貫教育の意味

『新・人間革命』第27巻 若芽の章 58p~

山本伸一は、東京創価小学校の入学式終了後、1本の桜の前に立った。小学校の校舎建設の責任者を務めた所長の鈴木元雄を顕彰する桜である。伸一は、桜を見ながら、児童たちに語っていった。「この桜は、小学校の校舎を建ててくださった人たちへの、感謝の思いを込めて植えたものです。

みんなの周りには、みんなのために、陰で、いろいろな苦労をして働いてくれている人が、たくさんいるんです。学校を建ててくださった方もそうです。お父さんやお母さんもそうです。これからお世話になる学校の先生や職員の方たち、また、通学で利用することになる電車の運転手さんや駅員さんもそうです。

みんなのために、朝早くから夜遅くまで頑張ってくださっている。その方々のご恩を忘れない人になってください」恩を知ることによって人間の道を知り、恩を返すことから人間の生き方が始まる。

入学記念の昼食会がランチルームで行われた。伸一は校長の新木に言った。「食事は楽しく、皆で和やかに語り合ってすることが大事ですね。しかし、大人になり、社会に出ると、食事は、親睦を深める場であったり、交渉の場であったりする。特に、世界では、食事の際の語らいが大事です。

したがって、若い時から、しっかりとした食事のマナーや、何を話題にして、どう語るかなどを身につけていく必要があります。将来、一流のレストランで食事をしながら交渉事にあたるようになるかも知れない。その時に、気後れしてしまうようでは、十分な働きができないからです。

私は、常に若い世代を未来のリーダーと信じ、敬意を表し、誠意をもって育んできました。それが、教育の根本姿勢ではないでしょうか。人を育てましょう。皆が逸材です。未来の希望は、教育のなかにしかありません」

彼は、会う人すべてを全力で励ました。“創価一貫教育が完成するまでに、どれほど多くの人びとのご尽力を賜ったことか”そう思うと伸一は、関係者一人ひとりに、深い感謝を捧げずにはいられなかった。また、創価の学舎を巣立った同窓生にも、同じ心をもってほしかった。

教育にかける自分の真情を語っていった。「人類の未来のために、最も大切なものは何か。それは、経済でも政治でもなく、教育であるというのが、私の持論です。人類の前途は、希望に満ちているとは言いがたい現実があります。

社会の在り方、さらには、文明の在り方そのものが問われる大転換期を迎えざるを得ないのではないかと、私は見ています。したがって、深い哲学と広い視野をもち、人類のため、世界の平和のために貢献できる人間を、腰をすえて育てていく以外に未来はありません。そのための一貫教育です」

伸一は、教員たちに、一貫教育を行うことの、本当の意味をわかってほしかった。教育は、未来を見すえることから始まる。

“この子たちの未来のために、断じて平和の大道を開かねばならない…”彼は固く決意しながら、皆に
言った。「こうやって一つ一つ、創価小学校の歴史を創っていこうね。生きるということは、自分の歴史を創っているということなんだよ。そして、最高の歴史を創るためには、勇んで困難に挑戦していくことが大事です。偉人というのは困難に挑んだ人なんです」

伸一は、教職員の代表との懇談会に出席した。校歌を作っていただきたいとの要望に、「皆さんで作ってください」と言った。教員たちに、“すべて自分たちが責任をもって、最高のものをつくり上げていくのだ”という、決意と自覚を持ってほしかったのである。

伸一が最も詳細を聞きたかったのは、児童の現況であった。さまざまな配慮をするようアドバイスを重ねた。「経済的に大変ななか、苦労に苦労を重ねて、子どもさんを創価小学校に通わせてくださっている、ご一家もあるでしょう。ありがたくて涙が出ます。それだけに、期待も大きい。ご家族が“本当に創価小に通わせてよかった”と心の底から喜んでいただける教育をしなければ申し訳ない。どうか皆さんも、そのつもりで、日本一、世界一の小学校をめざしてください」


太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋

初等教育の新しい道

『新・人間革命』第27巻 若芽の章 32p~

学歴偏重から、国立や有名私立大学の付属中学校、中高一貫の有名校への受験が過熱し、進学塾通いや模擬テストに追われる小学生が少なくなかった。

また、都市開発などによって、遊び場は失われ、皆で遊ぶ子どもたちの姿は、ほとんど見られなくなっていた。

学齢期にあたる小学生は、学校生活や交友関係の中で、社会への適応力を培っていくとともに、知的興味も増し、思考力も一段と発達する年代である。また、体力的にも基礎をつくる大切な時期といってよい。

過熱化する受験競争の中で、知育ばかりが重視され、徳育、体育はなおざりにされていたのだ。それによって教育は、大きなほころびを見せ始めていたのである。

教育の根本には、人間をいかにとらえるかという、正しい人間観がなければならない。

児童の多くの親たちは、“有名中学に入ることが、偏差値の高い有名大学に進むことにつながり、それが一流企業など、社会的評価も高く、高収入で安定した職業に就く道である。そして、そこに人生の幸福がある”との考えに立っていた。

しかし、社会は常に変化を遂げ、企業の永続的な安定を保証するものなど何もない。希望する企業に入ったとしても、必ずしも、希望する仕事に就けるとは限らない。また、長い人生にあっては、人間関係で苦しむこともあれば、病に倒れることもあろう。

したがって、子どもたちが幸福を築き上げるには、知識だけでなく、どんな事態に遭遇しようが、怯まずに困難を乗り越えていける精神の力や知恵、向上心、挑戦心などを培うことが大切な要件となる。そして、そのための基盤をつくる時代の始まりが学齢期であると、山本伸一は考えていた。

そもそも、牧口常三郎の創価教育学は、教育の目的は子ども自身の幸福にあるとし、“どうすれば障害、幸福生活を送らせることができるか”をテーマにしている。

自身のなかの無限の創造性を開花させて、価値創造の喜びの人生を歩むことが、幸福生活であると考えたのである。したがって彼は、知識の切り売りや、暗記中心の「詰め込み教育」に厳しい眼をむけた。

教育は、知識を与えることを目的とするのではなく、自分で考え、自分で得た知識を生かしていく方法を会得するためにあるのだ。

児童が勉強への興味、関心をいだき、自ら学べる素地をつくらなければ、「ゆとり教育」は、結果的に、学力の低下をもたらすだけになりかねないからである。ゆえに、彼は、初等教育の新しい道を開こうと、創価教育を実践する小学校の創立を決断したのだ。

1974年(昭和49年)7月に創価小学校設立準備委員会がスタートした。この年、伸一は、中国とソ連を初訪問している。世界の初等教育の現場を視察して、子どもたちと交流を図り、さまざまな角度から小学校の在り方を考えてみたかったのである。

そのなかで彼は、創価小学校は日本一国という視点ではなく、世界の平和に貢献できる、世界市民を育てる学校にしなければならないとの思いを、強くするのであった。

教育は、子どもたちが、より良い人生を生き抜くためにある。ただ知識の習得に終わるのではなく、人間の心を育まねばならないというのが、彼の一貫した考え方であった。

建設予定地が史跡指定地となったり、児童の健康を考えた間取りを考えて、敷地や設計の変更が繰り返され、工事が始まったのは、開校まで、1年を切った時だった。工事は急ピッチで進められていった。かなりの突貫工事になることが予想された。

伸一は関係者にかなりのご苦労をおかけするのではないかと考え、作業服に身を包んだ鈴木所長に語りかけ、自分の思いを率直に語り、握手を交わした。東京創価小学校を建設する意義に、深く感銘してくれたようであった。

物事の意義を深く理解し、共感することから、ますます大きな活力と闘魂が生まれる。“工事は、なんとしても間に合わせる!”その鈴木の一念と気迫に打たれ、現場の作業員も懸命に努力してくれた。

優れたリーダーの要件とは何か。それは、まず自らが、絶対に目的を成就すると決めて、率先垂範で物事に取り組むことである。そして、自分と同じ思いで、共に行動してくれる人たちへの、感謝と配慮を忘れぬことである。



太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋
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