小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

公政連

公明党の原点

『新・人間革命』第9巻 衆望の章 P363~

11月17日の公明党結成大会の準備は、着々と進められていた。スローガンも、「日本の柱 公明党」「大衆福祉の公明党」に決まった。

"大衆福祉"というスローガンには、党の精神が端的に表れていた。社会保障の不備、重い税負担、低い賃金・・・。病気になっても、病院に行けない人もいた。そうした人びとに接するたびに、議員たちは胸を痛めた。そして、福祉の大切さを痛感し、その充実を図るために、全力を尽くしてきたのである。

伸一が、政策について提案したことは、ただの一つであった。それは、党の外交の骨格をつくるにあたり、中華人民共和国を正式承認し、日本は中国との国交回復に努めるべきである、ということであった。

会員たちは、そんな公政連の議員たちを、誇りに思い、必死になって支援してきたが、なかには、ほんの一部ではあるが、皆が、頭を抱え込むような、傲慢でわがままな議員も出始めていたのである。

“今、激しく警鐘をならしておかなければ、公明党の将来が心配だ!”伸一は、あいさつにきた何人かの議員に語り始めた。

「真実の政治家とは、民衆を支配するためにいるのではない。民衆に奉仕し、民衆のために、命をかけて働く人です。そして、民衆のための政治を実現することが、公明党の原点ではないですか」

その精神を忘れ、傲慢になり、民衆を見下げるような態度をとる議員が出始めていることを知りながら、指摘もせず、原山委員長が 放置しておいたことに厳しく指摘をする伸一。

悪の芽に気づいたら、すぐに断ち切らなければ、手遅れになる。しかし、それができない、公明党の委員長の弱さが伸一は心配でならなかった。

さらに、結党大会の会場を 日大講堂にしたことにも、虚栄と驕りが、端的に表れていると指摘。歴史のある大政党でさえ、そんな大きな会場を使わないのに、なんの実績もない、小政党の公明党が使う都いうこと自体誤りだと指摘。

学会の会合で使い慣れているという原山に、「学会と党は別です。勘違いしてもらっては困る。学会には、誰が見ても、大会場を使うにふさわしい実績がある。しかし、明日、スタートする公明党には、党としての実績は何もない。それでいて、恰好ばかり考え、大きな会場に派手に人を集め、華々しく、結成大会をやろうとする。それ自体、虚栄ではないですか。」

「私はその心を打ち破ってほしいから、全民衆に信頼される公明党になってほしいから、あえて言っているんです。」原山は、言われて初めて、自分たちの一念の狂いに気がついた。

「学会の大発展も、一朝一夕に作られたものではありません。公明党も、その決意で、堅実に、懸命に、民衆のために働き、ねばり強く、信頼を積み上げていくんです」議員たちが頷いた。

「普通は命がけで働き、輝かしい実績をつくり上げた人でなければ、誰も、懸命な応援なんかしてくれません。学会員だから、応援してくれるんです。ですから議員は、皆の期待に応え、“さすが公明党の議員だ”と言われる働きをすることです。民衆に尽し抜き、民衆のために死んでいける、本物の政治家になることです」

伸一は、いよいよ船出する公明党の未来のために、議員の心に兆し始めた、油断と驕りの目を摘んでおきたかったのである。

いよいよ、公明党の結成大会の日を迎えた。“いよいよ、慈悲の哲理をもって、衆議院に打って出るのだ!本当の政治改革の時代を迎えたのだ!”こう思うと、皆の胸は躍った。原山は、党員の在り方として、“大衆との直結”を強調していった。

「そして、もしも、将来、その心を忘れて、名聞名利などにとらわれるような者が出たならば、直ちに、公明党から追放しようではありませんか!」結成大会の最後は、全参加者の勝鬨によって締めくくられた。


太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋

→まぐまぐ メルマガで読む 『新・人間革命』に 学ぶ

公明党結成

『新・人間革命』第9巻 衆望の章 P353~

教科書の無償配布についても、公政連の参議院議員がその推進に、懸命に力を注いできたのである。
だが、その道程は、限りなく険しかった。それは、国家の認識を、根底から覆す作業でもあったからだ。当時、義務教育の無償といっても、それは授業料に限られるというのが、政府をはじめ、大多数の人びとの認識であった。

しかし、清原も、関も、かつては教員をしていた経験のうえから、また、議員として、対話するなかで、教科書などの教育費の捻出に苦しむ声を耳にしてきた。教科書無償化を求める世論が起こり、法案は通過したが、予算の確保が不十分であり、実施は遅々として進まなかった。

文部省は、教科書代として70億円の予算を要求していたが、計上されたのは、27億円だった。清原は、昭和40年以降の無償配布計画を明らかにするよう総理に見解をもとめた。それに突き動かされるよう、政府の公式見解として、教科書無償配布の完全実施への計画が示された。

さらに、公政連では、教育費の実態調査を行った。調査なくして発言なしーーそれが、公政連の合言葉であった。公政連が積み上げてきた、さまざまな実績に対して、国民の評価は、年ごとに高まっていった。そして、学会員をはじめ、多くの支持者たちからは、一日も早く政党を結成し、衆議院にも進出してほしいという、強い要望がよせられるようになっていたのである。

公政連が政党となり、衆議院にも進出していくならば、「民衆不在」の日本の政治を、変えることができると確信していた。いや、"断じて、そうしなければならない"という、使命感に燃えていたのである。

男子部幹部会の席上、公政連は、公明党結成の時来ることを、内外に表明するとともに、秋の党結成に向けて本格的に走り出したのである。

山本伸一も、この決断を下すまでには、長い、長い呻吟があった。党を結成し、衆議院に進出するということは、政権をめざし、一国の政治を担っていくことにつながるからだ。また、もし、公明党に何か問題が生じれば、党を誕生させた母体である創価学会が、批判の矢面にさらされることも、覚悟せねばならなかったからである。

さらに、公明党が力を増せば増すほど、権力や既成政党は、学会に恐れをいだき、警戒の目を向けるに違いない。そして、さまざまな圧力をかけてくることも予測された。しかし、仏法者として、立正安国という民衆の幸福と平和を実現していくためには、日本の政治の改革を避けて通るわけにはいかなかった。日本の政治家には、何よりも、まず指導理念が欠落していた。

それゆえに、仏法の大哲理に基づく、「地球民族主義」という理念を掲げた政党の必要性を、伸一は、痛切に感じていたのである。「地球民族主義」はかつて、戸田城聖が提唱したものである。
ーー人類は、運命去同体であり、民衆や国家、あるいはイデオロギーなどの違いを超えて、地球民族として結ばれるべきであるとする考え方である。

公政連の「国連中心主義」の主張も、「地球民族主義」から導き出されたものであった。また、日本には、真実の大衆政党がなかった。民衆の手に政治を取り戻すためには、組織労働者だけでなく、さまざまな大衆を基盤とした、新たな政党の誕生が不可欠である。

多様な大衆に深く根を下ろし、大衆の味方となり、仏法の慈悲の精神を政治に反映させゆく政党が、今こそ躍り出るべきであろう。それが衆望ではないかーー山本伸一は、こう結論したのである。彼は、日本の政治の現状を検証していくなかで、公明党の結成の意思を固め、あえて嵐に向かって船出しようとしていたのである。

また、公明党の議員については、誰よりも厳しく、自らを磨き鍛えて、成長し続けていくことを念願としていた。政治の改革とは、政治家自身の人間革命を離れてはありえないからである。


太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋

→まぐまぐ メルマガで読む 『新・人間革命』に 学ぶ

公明会の議員

『新・人間革命』第9巻 衆望の章 P342~

民衆の苦悩の声が聞こえない政治家は、あまりにも無神経である。その声を聞こうとしない政治家は、傲慢である。

政治家とは、交通事故一つとっても、不運な事故であったなどと、局外者のようにとらえるのではなく、自分の問題として受けとめ、事故の絶滅のために、当事者の苦悩の解決のために、ありとあらゆる対策を講じていく人である。

だが、それは議員としての華々しい事績とはなりにくかった。そのためか、多くの議員は、こうした地道な努力を怠ってきたといってよい。

そのなかで、公政連の議員たちは、この交通事故の問題にも、懸命に取り組んできた。市民生活の安全を守ることは、政治家の第一の責務であるーーというのが、公政連の議員たちを貫く信念であった。

なかでも、東京都議会の公明会の活躍は、一つの模範となっていた。学会が東京都議会に初めて同志を送ったのは、1955年(昭和30年)のことであった。都議会にも、会派として公明会が結成されると、都議会議員の活動に一段と力がこもった。

そして、「伏魔殿」といわれた東京都政に、鋭いメスを入れ、"宴会政治"の追放を叫び、断固として、都政の浄化を進めたのである。それに対して、「重箱の隅をつつくようなことはするな」という転倒した批判や、「大人気ない」という揶揄もあった。

しかし、慣れあい政治や業界との癒着を一掃し、クリーンな都政を実現していく第一歩として、この"宴会政治"の追放は、大きな意味をもっていた。


し尿処理事件もあった。大量の"し尿"が、消毒もされぬまま、隅田川に不法投棄されているという事実を公明会の澤田良一が都議会でとりあげたのだ。業者が運搬料金の水増し請求をするため、船底の放流口を開け、"し尿"をそのまま隅田川に流していたというのである。

都知事も、清掃局長も、初めて耳にする話であったようだ。この問題は、一人の公政連の区議が、住民と語り合う中でキャッチした情報であった。民衆の声には、真実がある。

実態調査が行われた。公明会の議員は、糞尿僧のなかにハシゴを掛け、なかを調査した。"し尿"を抜いて、洗ってあるとはいえ、なかには、強烈な臭気が充満していた。残っているメタンガスのせいか、一瞬、頭がクラクラした。そのなかで、彼らは、鋭く業者の隠ぺい工作を見抜いていった。

開閉口のフタを閉ざすために打たれている釘が、新しく光っていることを見逃さなかった。深夜、議員の家には、脅迫電話がかかってきたが、公明会の議員は、いささかも怯まなかった。"し尿"が消毒もされぬまま、大量に川に放流されるような事態が続けば、赤痢などの病気が発生しないとも限らない。

そう思うと、彼らは、断じて、退くわけにはいかなかった。大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のなかに死んでいくーーそれが公政連の議員たちの偉大なる精神であったからだ。この精神を訴えたのは、山本伸一であった。

「偉くなったからといって、大衆から遊離して、孤立したり、また、組織の上にあぐらをかいたりするような政治家には、絶対に、なっていただきたくないのであります。どうか、公政連の同志の皆さん方だけは、全民衆のために、大衆のなかの政治家として、一生を貫き通していただきたいと、切望するものであります」以来、公政連のメンバーは、この言葉を胸に深く刻み、民衆を守り抜く決意を固めてきたのである。

民衆を守り、幸福に寄与する政治の実現ーーそれが、公政連の政治家たちの誓いであった。そして、人びとの生活を直視し、「大衆福祉」の実現に全魂を傾けていった。


太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋

→まぐまぐ メルマガで読む 『新・人間革命』に 学ぶ

公明会結成

『新・人間革命』第6巻 波浪の章 P266~

公政連推薦の候補者や学会への脅しや、嫌がらせが激しくなっていった。遊説の場で、自分の政策などは何も語らず、学会を中傷するだけの候補や、遊説中に 石をぶつけられる、ポスターが 2千枚以上破られ、はがされるなどなど。

さらに、自分は学会員に票を売ったなど、事実無根の話を吹聴する悪質な妨害や、学会員に対しては 与党候補を支持しないなら仕事を回さない、労働組合の押す社会党候補を支持しなければ、組合を除名するなどといわれる会員もいた。

マスコミは、学会への中傷記事が続き、学会を"暴力宗教"や"ファッショ"と決めつけるなどの記事が 地方新聞にも書かれていた。

6月度本部幹部会では、弘教の結果が発表されたが、弘教はなんと、5万世帯を上回っていた。選挙支援の活動を展開してきたにもかかわらずの結果だ。それは、何があっても、仏道修行の基本である、自行化他を実践し抜くという生き方が、一人ひとりに定着したことを意味している。

また、すべてに勝利する力を、皆がつけ始めたのだ。

7月1日、投票日がやってきた。投票率は、全国平均で68.13%となり、昭和25年の第2回選挙に次ぐ高投票率となった。

3日未明には、9人全員の当選が決まった。公政連は、合計15議席になった。

17年前の7月3日は、戸田が獄中生活を終えて出獄し、権力の魔性との、生涯の闘争を開始した日である。そして、5年前のこの日、伸一が選挙違反の容疑で、大阪府警に不当逮捕された。

それは、学会という新しき民衆勢力の台頭を恐れる権力の謀略であり、この事件が伸一の生涯にわたる人権闘争の出発点となっていったのである。

伸一は、この意義深き7月3日に、同志である公政連推薦の候補者が全員当選の快挙を成し遂げ、民衆の手に政治を取り戻すための新たな船出ができたことが、このうえなく嬉しかった。

伸一は、直弟子の自分が、師の正義の歩みを『人間革命』の続編として書きとどめ、永遠に顕彰していかなくてはならないと、強い決意をみなぎらせた。

ペンネームは 既に決めていた。「法悟空」である。戸田のペンネームは「妙悟空」だった。

仏法では、妙は仏界、法は九界。妙は本源、法は現象。その原理からいえば、妙は師、法は弟子となる。ゆえに、伸一は、師弟の不二の誓いを込めて「法悟空」としたのである。

公政連では、参議院に院内交渉団体として独自の会派「公明会」を結成することを決定した。
今回の選挙の結果、社会党、民社党、共産党の革新政党は憲法改定阻止に必要な、三分の1にあたる84議席を確保することができず、したがって、この「公明会」が護憲の鍵を握る存在としてクローズアップされることになる。


7月3日、臨時本部幹部会が開催された。会員たちは、自分たちの支援が、民衆のための新たな政治勢力を誕生させた、歓喜と誇りに胸を高鳴らせていた。

会員の多くは、いまだ貧しかった。そうした人びとが、社会を、政治をよくしようと、時間をやり繰りして、手弁当で支援活動に参加し、この勝利を獲得したのだ。

信仰によって覚醒した民衆の力を、満天下に示した選挙戦であったといえる。

山本伸一は、今後の学会の、政治への基本姿勢について語っていった。
「宗教団体である学会が担う第一の使命は、正しき仏法の流布であります。したがいまして、政策の問題については、公政連、並びに公明会に、すべてお任せをしたいと考えております。」

「また、私自身は、政界に入ることはありませんし、今後も、どこまでも創価学会の会長として、信心第一に仏道修行に励み、いっさいの根本である日蓮大聖人の仏法をもって、民衆を救いゆくために、皆さんとともに、広宣流布に邁進してまいります」

伸一がこう言明した背景には、当時、学会の政界進出の狙いは、政治を支配することであり、やがて山本会長は自ら政界入りして、総理大臣の座を手に入れようとしているという、あらぬ憶測が世間に流されていたからである。

学会が、えたいの知れない野望集団であるかのような印象を植えつけようとする、謀略といえる。もとより、彼には、そんな考えは微塵もなかった。彼は、それを、この席で明らかにしておきたかったのである。

「さらに、衆望を担って、全国民から『私たちが期待していた政治家は、この学会員の人たちである』と言われ、称賛される政治家に育っていっていただきたい」

「あくまでも、全民衆のための議員として、活躍していただきたい。それが学会精神です。」

民衆のために生き、民衆のために戦うことこそ、全学会員の、公明政治連盟の議員への期待である。



太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋

カテゴリー


新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


→メルマガで届く 『小説 新・人間革命』に学ぶ
ブログでは 言えないこと

メルマガ『勝利の哲学 日蓮大聖人の御書に学ぶ』