『新・人間革命』第25巻 共戦の章 105p~
<共戦の章 開始>
フランスの大歴史家ミシュレは言う。「歴史とは行動の報告書である」君が歩いた分だけ、道ができる。あなたが語った分だけ、希望の種が植えられる。困難に退くまい。流した汗も、涙も、すべては福運の宝玉となる。よき人生とは、人のために尽した行動の、輝ける年輪である。
1977年(昭和52年)3月19日、聖教新聞に八葉蓮華をデザインした図案が掲載された。「八葉の花模様が、幾重にも広がりをみせる姿とは、『八とは色心を妙法と開くなり』の意義を踏まえ、一人一人の生命の仏界を開き顕し、また日蓮大聖人の妙法が未来永劫に世界を包んで流布していく様相を表象している。更に、全体として豊かなふくらみをもっている姿は、人間革命の深化と功徳に満ちあふれる学会員一人一人の姿を表現したものである」それまでの鶴丸の紋章に代わって"創価の新時代"を象徴する、新しいシンボルマークが誕生したのである。
この77年は、全国各地に、県・区の中心会館となる文化会館などの建設の槌音が響き、また、完成をみていった年であった。それらの建物は、学会が21世紀という広宣流布の新時代に飛翔していくための、重要な布石であった。
山本伸一は、決意していた。"各県各区に新しい会館が完成し、広宣流布の新段階を迎えようとしている今こそ、全同志の心に、万年にわたる信心の堅固な礎を築かなくてはならない。また、人材を見つけ、育てよう!全国各地に難攻不落の人材城をつくろう!"
伸一は、東京という一つの機関車が、全国を牽引する時代は終わったと思っていた。各方面、さらには各県区が自力で走行し、他地域をリードできる力をもってこそ、各地の個性をいかんなく発揮した、広宣流布の新たな大前進が可能になるからだ。
地域があらゆる実力を備えてこそ、「地方の時代」の到来がある。
本部幹部会で伸一は、広宣流布の流れは、草創期の「渓流の時代」から、今や「大河の時代」になり、やがて、21世紀に向かって「大海の時代」となっていくことを述べた。そして、広宣流布の活動は、時代の変化を見極め、その時代に相応した価値的な実践方式を創造していくべきであると訴えた。
仏法という生命の大法も、創価の精神も、決して変わることはない。しかし、時代は、目覚ましい変化を遂げていく。したがって、研修会や会合のもち方、活動の在り方等については、常に工夫を重ね、新しい時代に即した、価値的な方法を考えていかなければならない。
伸一は、ここで、人材を育てることの大切さを力説した。「まず、優れた力ある一人の人材を育てていくことです。人の育成が遅れれば、結局、組織は弱体化し、一切が行き詰ってしまう」
「創価学会が、世界的な大仏教団体として発展してきた陰には、幾十万人もの、無名の民衆である先輩功労者の尽力がありました。皆、暮らしも貧しいなか、足を棒にして弘教に歩き、それはそれは激しい、いわれなき中傷、批判にさらされてきました。それでも、ただひたすら、広宣流布のために走り抜いてくださった。その方々がいらしゃったからこそ、今日の、堅固な創価学会ができた。そのことを、若い幹部の皆さんは、絶対に忘れないでいただきたい」
「そうした先輩同志の方々のなかには、今は高齢のため、健康上の理由などから、組織の第一線を退いている人もおられるでしょう。しかし、立場はどうあれ、かつては言語に絶する法戦を展開し、仏の使いとして御本尊への御奉公を立派に果たし、広宣流布に献身してこられた尊い方々です。創価の先駆者、開拓者であり、永遠の宝の方々です。ライン幹部の皆さんは、そうした方々を、陰に陽に大切にし、また、尊敬の念をもって、温かい配慮をめぐらしていただきたい」
77年(昭和52年)は、山口開拓指導から20年の佳節を迎えていた。山口開拓指導は、1956年10月、11月、翌57年1月にわたって、伸一の指揮のもとに実施された、広布史上に輝く大闘争である。全国各地から山口県に縁故のある同志が集い、果敢に弘教を展開していったのだ。
以来20年、開拓魂を打ち込まれた同志が核となって、山口県は大前進を遂げたのだ。自身の一切を注ぎ込む思いで、必死になって戦い抜いた体験を持つ人は強い。あの開拓指導に参加した同志は、懸命な祈りと執念の行動と力を実感し、広宣流布の新しい道を開く使命感、責任感を培い、信仰への絶対の確信を築き上げてきたのである。
<共戦の章 開始>
フランスの大歴史家ミシュレは言う。「歴史とは行動の報告書である」君が歩いた分だけ、道ができる。あなたが語った分だけ、希望の種が植えられる。困難に退くまい。流した汗も、涙も、すべては福運の宝玉となる。よき人生とは、人のために尽した行動の、輝ける年輪である。
1977年(昭和52年)3月19日、聖教新聞に八葉蓮華をデザインした図案が掲載された。「八葉の花模様が、幾重にも広がりをみせる姿とは、『八とは色心を妙法と開くなり』の意義を踏まえ、一人一人の生命の仏界を開き顕し、また日蓮大聖人の妙法が未来永劫に世界を包んで流布していく様相を表象している。更に、全体として豊かなふくらみをもっている姿は、人間革命の深化と功徳に満ちあふれる学会員一人一人の姿を表現したものである」それまでの鶴丸の紋章に代わって"創価の新時代"を象徴する、新しいシンボルマークが誕生したのである。
この77年は、全国各地に、県・区の中心会館となる文化会館などの建設の槌音が響き、また、完成をみていった年であった。それらの建物は、学会が21世紀という広宣流布の新時代に飛翔していくための、重要な布石であった。
山本伸一は、決意していた。"各県各区に新しい会館が完成し、広宣流布の新段階を迎えようとしている今こそ、全同志の心に、万年にわたる信心の堅固な礎を築かなくてはならない。また、人材を見つけ、育てよう!全国各地に難攻不落の人材城をつくろう!"
伸一は、東京という一つの機関車が、全国を牽引する時代は終わったと思っていた。各方面、さらには各県区が自力で走行し、他地域をリードできる力をもってこそ、各地の個性をいかんなく発揮した、広宣流布の新たな大前進が可能になるからだ。
地域があらゆる実力を備えてこそ、「地方の時代」の到来がある。
本部幹部会で伸一は、広宣流布の流れは、草創期の「渓流の時代」から、今や「大河の時代」になり、やがて、21世紀に向かって「大海の時代」となっていくことを述べた。そして、広宣流布の活動は、時代の変化を見極め、その時代に相応した価値的な実践方式を創造していくべきであると訴えた。
仏法という生命の大法も、創価の精神も、決して変わることはない。しかし、時代は、目覚ましい変化を遂げていく。したがって、研修会や会合のもち方、活動の在り方等については、常に工夫を重ね、新しい時代に即した、価値的な方法を考えていかなければならない。
伸一は、ここで、人材を育てることの大切さを力説した。「まず、優れた力ある一人の人材を育てていくことです。人の育成が遅れれば、結局、組織は弱体化し、一切が行き詰ってしまう」
「創価学会が、世界的な大仏教団体として発展してきた陰には、幾十万人もの、無名の民衆である先輩功労者の尽力がありました。皆、暮らしも貧しいなか、足を棒にして弘教に歩き、それはそれは激しい、いわれなき中傷、批判にさらされてきました。それでも、ただひたすら、広宣流布のために走り抜いてくださった。その方々がいらしゃったからこそ、今日の、堅固な創価学会ができた。そのことを、若い幹部の皆さんは、絶対に忘れないでいただきたい」
「そうした先輩同志の方々のなかには、今は高齢のため、健康上の理由などから、組織の第一線を退いている人もおられるでしょう。しかし、立場はどうあれ、かつては言語に絶する法戦を展開し、仏の使いとして御本尊への御奉公を立派に果たし、広宣流布に献身してこられた尊い方々です。創価の先駆者、開拓者であり、永遠の宝の方々です。ライン幹部の皆さんは、そうした方々を、陰に陽に大切にし、また、尊敬の念をもって、温かい配慮をめぐらしていただきたい」
77年(昭和52年)は、山口開拓指導から20年の佳節を迎えていた。山口開拓指導は、1956年10月、11月、翌57年1月にわたって、伸一の指揮のもとに実施された、広布史上に輝く大闘争である。全国各地から山口県に縁故のある同志が集い、果敢に弘教を展開していったのだ。
以来20年、開拓魂を打ち込まれた同志が核となって、山口県は大前進を遂げたのだ。自身の一切を注ぎ込む思いで、必死になって戦い抜いた体験を持つ人は強い。あの開拓指導に参加した同志は、懸命な祈りと執念の行動と力を実感し、広宣流布の新しい道を開く使命感、責任感を培い、信仰への絶対の確信を築き上げてきたのである。