『新・人間革命』第12巻 新緑の章 P~42

「もう一つ忘れてならないのは、青年時代は結婚をはじめ、さまざまな悩みをかかえているということです。青年の悩み事をよく聞き、きちんと相談にのって、激励していく必要がある。そして、悩みを信心のバネにしていくように励ますことが大事だ。たとえば、職場の人間関係で悩んでいる青年がいたら、その解決を願って、広布の活動に励むよう指導する。」

「広宣流布の大願への前進が公転だとしたら、各人の悩みの解決や願いの成就は自転といえる。この自転と公転が相まっていくなかに、幸福の軌道が開かれる」

ニューヨーク会館では、集った参加者に深々と頭を下げ、感謝の気持ちを伝える伸一。その姿を見て泣く、何人かの日系人女性がいた。彼女たちは、広布草創の開拓者たちであった。伸一の指導のままに、運転免許を取り、車でどこまでも布教に出かけていった。アメリカ人に仏法対話すると「ジャップ」と怒鳴られた人もいた。

しかし、彼女たちは、広宣流布という大偉業をなしとげようと、歯を食いしばって頑張ってきたのだ。その苦労を、すべて山本会長がわかってくれていたのだと思うと、嬉しさが込み上げ、涙があふれてくるのだ。悲しみに耐え抜いてきた人ほど、人の心の温かさが、よく胸に染み入るのであろう。

ともあれ、学会活動で苦労した分だけ、自分自身の生命を磨き、宿命を転換し、福運を積み幸せになることができる。ゆえに、学会活動は断じて守り抜かねばならない。自身の人間としての権利なのである。

参加者のなかで、7年前にトロントの空港にただ一人出迎えてくれた泉谷照子は、当時、未入会であったが、アレルギー性の疾患を 題目を唱えることで克服したことから、入会した。日本に一時帰国した時、山本会長から、「カナダの広宣流布をよろしくお願いします」と激励され、その時から、広布の大使命に立ち上がったのだ。

7年前に植えた励ましの種子が、今、見事に結実したのだ。種を蒔かなければ、芽は出ない。ゆえに、未来のために、今日も対話の種子を蒔くのだ。今の行動の中にのみ、明日の実りがある。

伸一は、5月19日、次の訪問地フランスのパリに向かった。空港に川崎鋭治と長谷部彰太郎が出迎えた。川崎夫妻は、1年前、交通事故を起こし、重傷を負い、半年以上入院していたのだ。

夫妻は、メンバーの激励に300キロ離れたポワティエへ向かい、夜遅く、帰途についたが、一瞬の睡魔に襲われ、道路脇の大木に激突。大腿骨骨折、膝の皿も砕け、助手席にいた妻の良枝は、大腿骨と脛の骨が複雑骨折するという大怪我であった。

事故には必ず予兆があるものだ。川崎は、以前、雨のなかハンドルを切り損ね、大きな石に乗り上げ車が転倒する事故を起こしていた。怪我はなかったが、車は廃車せざるをえなかった。

この直後、伸一は、こう指導した「これは、さらに大きな自己の前兆と受け止めるべきです。リーダーというのは、神経を研ぎ澄まし、一つの事故を戒めとして、敏感に対処してかなくてはならない。これからは、もう交通事故など、二度と起こすものかと決めて、真剣に唱題し、徹して安全運転のための原則を守り抜くことです。だから、常にベストコンディションで運転できるように、工夫しなければならない。」

「幹部は、自分だけでなく、会合が終わったあとなどに、無事故と安全運転を呼びかけていくことも大事です。その一言が注意を喚起し、事故を未然に防ぐ力になる」日蓮大聖人は、門下の四条金吾に「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」と仰せである。
そして、具体的な注意もしていた。

伸一も具体的に、「今度は、大型で頑丈なものにするんだよ」などとアドバイスしていたのだ。


太字は 『新・人間革命』第12巻より 抜粋