小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

僧侶

僧侶の在り方

『新・人間革命』第2巻 民衆の旗 p319~


創価学会が 拡大するにつれ、宗門の僧侶の横暴ぶりが 各地で頻繁に報告される。


学会は宗門を外護し、赤誠をもって、その発展につくしてきた。
登山会の開始や 大客殿建立を掲げたのも 宗門を外護するのも、
日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を願ってのことだ。


しかし、僧侶の中には、広布の使命を忘れ、私利私欲を貪り、
果ては酒色に溺れるものが各地に出始めていた。


しかも、折伏に汗を流す学会員を、ただ供養を運ぶ奴隷のようにしか考えず、
見下すような態度を取る僧侶もいた。


もし、それを放置しておけば、今後、宗門は腐敗と堕落の坂道を転げ落ち、
さらには、広宣流布を瓦解させる最大の要因となるにちがいない。
また、何よりも同志がかわいそうである。



山本伸一は 彼らが“聖僧”となることを信じ、願って
僧侶の本来の在り方に言及した。



「もしも、日蓮正宗のなかで、寺院の法要や参詣のたびに、
 半ば命令のように供養を持って来いなどということがあったら、
 私は大変な問題ではないかと思います。
 また、信徒を家来や小僧のように思う、
 ずるがしこい僧侶が出たならば、由々しき事態であります。


 日蓮正宗は本来、世界でただ一つ、日蓮大聖人の教えのままに、
 広宣流布を民衆の救済をめざす、清浄な宗派であるはずです。


 それゆえに、私たちは寺院を守り、供養し、僧侶を大事にするのです。


 仮に、その学会員を軽んじるような僧侶、悪侶が出たならば、
 それは、日蓮大聖人の仰せに反し、日蓮大聖人のお心にも反するものであり、
 学会は断固、戦っていかねばなりません。」


伸一は、皆、平等であるべき人間が、“衣の権威”によって差別され、
仏法の根本思想が歪曲されてしまうことを、最も懸念していたのである。


また、仏弟子である僧侶を、腐敗堕落させたくはなかった。
それは、彼の仏法者としての信念であり、良心であった。


太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋


2巻読了

日蓮仏法の精神 日興遺誡置文

『新・人間革命』第2巻 「錬磨」の章 p146

民衆の側にたつ宗教  3

1994年11月 創価学会は 宗門から独立した。
この時期に執筆された中では 宗門に対する記述がみられる。

伝統の夏期講習会で 山本伸一は『日興遺誡置文(にっこうゆいかいおきもん)』を
熟慮の末 講義することにした。


『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用うべ可からざる事』

・・・戦時中の神札事件が 頭をよぎった。

軍部政府から神札をまつるよう強要された宗門は、それに屈して、
1943年6月、会長の牧口常三郎、理事長の戸田城聖をはじめ、
幹部に登山を命じ、法主立ち会いのもとに、
「学会も一応、神札を受けるようにしてはどうか」と言い出したのである。


それは、二年前の1941年9月に、御書の一部を削除する通達を出したのをはじめ、
保身のために、権力への迎合をなし崩し的に進めてきた宗門の、
至るべくして至った帰結といえた。


しかし、牧口は、その申し出を決然と拒否した。


当時、牧口は、・・・国家神道を精神の支柱として、
戦争の泥沼に突き進む軍部政府に対して、国家諫暁する好機ととらえていた。


しかし、それを行うべきは、牧口ではなく、
日蓮大聖人の法灯を受け継ぐ門流の代表者である法主であり、
そのことを僧侶が進言するのが筋であると考えていた。


だが、宗門の僧侶にその気はなかった。


時の法主日恭に 国家
諫暁を進言するが、軍部政府をひたすら恐れる法主には
国家諫暁など思いもよらなかったにちがいない。


その直後
牧口、戸田ををはじめとする学会の幹部が、次々と逮捕されていったのである。


牧口の一門が逮捕されると、宗門は、慌てて学会を信徒から除名し、
登山禁止とした。



『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用うべ可からざる事』


山本伸一は、『貫首』でありながら、正法に背き、我見の邪説を建てる人間が出ることを、
既に 日興聖人が予見されていたと思うと、深い感慨にとらわれてた。


彼は、未来もまた同じ事態が起こるかもしれないことを憂慮した。



太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋


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