『新・人間革命』第4巻 凱旋の章 P125~
山本伸一は 総本山の大客殿、各地の寺院や会館の建設など、
今後の広宣流布の為の展望を考えると、いずれも実現させるには、
財源をどうするかが、最大の課題であった。
そのために財務部員の枠広げることを考えねばならなかったが、
同志は、功徳を受けたとはいえ、生活苦や病苦に悩んで、信心を始めたばかりの人が多かった。
それゆえ、会員には なるべく負担を かけたくないというのが伸一の気持ちであった。
もともと学会の財源は、牧口初代会長の時代は 戸田城聖がいっさいの責任を担い、
戸田が私財を投じて経費にあて、会員には 金銭的な負担はかけさせなかった。
しかし、戸田が会長に就任して間もなく、何人かの会員から、自分たちにも、
学会の経費の一端を担わせてほしいとの、強い要請があり、
未来の広宣流布の広がりを考えると いつまでも 戸田一人でまかないきれるものではなかった。
また、学会活動の経費を担うことは、広宣流布への供養である。戸田は同志の要請から、
その門戸を、いよいよ開くべき時が来たことを感じたのである。
だが、戸田は極めて慎重に 広宣流布の財源は真心の浄財でなければないとの考えから、
メンバーを厳選した。
供養の功徳は、計り知れないものがある。
自分の食べるものをすべて、供養した須達多長者、『白米一俵御書』にかかれた、
雪山童子、薬王菩薩、聖徳太子。
「上野殿御返事」に書かれた、南条時光などの例もある。
喜捨の心は、境涯を高め、無量の功徳をもたらし、それがまた、信心の確信を深める。
そこに、幸福の軌道を確立する。仏法の方程式がある。
学会が推進する供養、財務は、すべて日蓮大聖人の御遺命である広宣流布のためのものである。
大聖人の立てられた大願を成就するために行う供養は、御本仏への供養に通じよう。
ならば、これに勝る供養もなければ、大善もない。ゆえに、
これに勝る大功徳もないはずである。そう思うと、伸一自身、一人の学会員として、
その機会に巡り合えたことに、無量の福運と喜びを感じるのであった。
広宣流布に尽くすことは、福田に善根の種を蒔くことである。
それは、伸一が青春時代から、強く確信してきたことでもあった。
彼は、自分の生活費は極限まで切り詰め、給料は少しでも、広布のため、学会のために
使うことを信条としてきた。それは、伸一の喜びであり、密かな誇りでもあった。
そして、その功徳と福運によって、病苦も乗り越え、今、こうして、会長として
悠々と指揮をとれる境涯になれたことを、伸一は強く実感していた。
彼は、長い思索の末に、御聖訓に照らし、また、自らの体験のうえからも、
大客殿の建立に際しては、生命の福田に善根の種を蒔く供養の門戸を、全同志に開こうと、
決断したのである。
同志は、広宣流布のために、生活費を切り詰めてまで、供養してくれている。
それは、かつて、学会の財源を自ら支えた戸田城聖と、同じ決意、同じ自覚をもつ、
あまたの同志が誕生したことを意味しているといってよい。
伸一は、そこに尊い菩薩の姿を見る思いがした。
「たとえ、今は貧しくとも、未来は必ずや大長者となることは間違いない。また、
断じてそうさせていくのだ。私は、仏を敬うように、この人びとに接し、その真心を称え、
励ましていかねばならない。」
それには、何よりも、供養の意義と精神を誤りなく伝え、一人ひとりが広宣流布の使命を、
深く自覚していくことである。
太字は 『新・人間革命』第4巻より抜粋
山本伸一は 総本山の大客殿、各地の寺院や会館の建設など、
今後の広宣流布の為の展望を考えると、いずれも実現させるには、
財源をどうするかが、最大の課題であった。
そのために財務部員の枠広げることを考えねばならなかったが、
同志は、功徳を受けたとはいえ、生活苦や病苦に悩んで、信心を始めたばかりの人が多かった。
それゆえ、会員には なるべく負担を かけたくないというのが伸一の気持ちであった。
もともと学会の財源は、牧口初代会長の時代は 戸田城聖がいっさいの責任を担い、
戸田が私財を投じて経費にあて、会員には 金銭的な負担はかけさせなかった。
しかし、戸田が会長に就任して間もなく、何人かの会員から、自分たちにも、
学会の経費の一端を担わせてほしいとの、強い要請があり、
未来の広宣流布の広がりを考えると いつまでも 戸田一人でまかないきれるものではなかった。
また、学会活動の経費を担うことは、広宣流布への供養である。戸田は同志の要請から、
その門戸を、いよいよ開くべき時が来たことを感じたのである。
だが、戸田は極めて慎重に 広宣流布の財源は真心の浄財でなければないとの考えから、
メンバーを厳選した。
供養の功徳は、計り知れないものがある。
自分の食べるものをすべて、供養した須達多長者、『白米一俵御書』にかかれた、
雪山童子、薬王菩薩、聖徳太子。
「上野殿御返事」に書かれた、南条時光などの例もある。
喜捨の心は、境涯を高め、無量の功徳をもたらし、それがまた、信心の確信を深める。
そこに、幸福の軌道を確立する。仏法の方程式がある。
学会が推進する供養、財務は、すべて日蓮大聖人の御遺命である広宣流布のためのものである。
大聖人の立てられた大願を成就するために行う供養は、御本仏への供養に通じよう。
ならば、これに勝る供養もなければ、大善もない。ゆえに、
これに勝る大功徳もないはずである。そう思うと、伸一自身、一人の学会員として、
その機会に巡り合えたことに、無量の福運と喜びを感じるのであった。
広宣流布に尽くすことは、福田に善根の種を蒔くことである。
それは、伸一が青春時代から、強く確信してきたことでもあった。
彼は、自分の生活費は極限まで切り詰め、給料は少しでも、広布のため、学会のために
使うことを信条としてきた。それは、伸一の喜びであり、密かな誇りでもあった。
そして、その功徳と福運によって、病苦も乗り越え、今、こうして、会長として
悠々と指揮をとれる境涯になれたことを、伸一は強く実感していた。
彼は、長い思索の末に、御聖訓に照らし、また、自らの体験のうえからも、
大客殿の建立に際しては、生命の福田に善根の種を蒔く供養の門戸を、全同志に開こうと、
決断したのである。
同志は、広宣流布のために、生活費を切り詰めてまで、供養してくれている。
それは、かつて、学会の財源を自ら支えた戸田城聖と、同じ決意、同じ自覚をもつ、
あまたの同志が誕生したことを意味しているといってよい。
伸一は、そこに尊い菩薩の姿を見る思いがした。
「たとえ、今は貧しくとも、未来は必ずや大長者となることは間違いない。また、
断じてそうさせていくのだ。私は、仏を敬うように、この人びとに接し、その真心を称え、
励ましていかねばならない。」
それには、何よりも、供養の意義と精神を誤りなく伝え、一人ひとりが広宣流布の使命を、
深く自覚していくことである。
太字は 『新・人間革命』第4巻より抜粋