小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

会長就任3周年

創価学会は保守か革新か

『新・人間革命』第8巻 布陣の章 P18~

会長就任3周年の本部総会での山本伸一の講演となった。
伸一は、この席で、4月に行われた統一地方選挙の際に、一部の評論家やマスコミが盛んに取り上げた、”学会は保守か、革新か”という問題を明らかにしておきたかった。

「創価学会は、どれほど社会のために貢献しても、決して、ほめられることはなく、常に批判にさらされてまいりました。しかし、その批判の根拠は何かを見ていきますと、極めてあいまいなものにすぎません。」

「世間は、学会を保守か革新かに立て分けたいと思いながらも、確かな答えを出せないでいるのが実情のようです。そもそも、保守・革新という枠にあてはめ、物事をとらえようとする考え自体が、いかに革新を口にしようが、既に保守的な思考に凝り固まった行き詰まった姿であると、私は思うのであります。」

ついで伸一は、学会の根本的な立場について、言及していった。「経文には、『無量義とは一法より生ず』と仰せですが、南無妙法蓮華経を、御本尊を根本とし、日蓮大聖人の生命の大哲理を根底に、全世界の民衆を幸福にし、永遠の平和を築いていくのが、学会の精神であります。」

「したがって、保守の人であろうが、革新の人であろうが、三世のうえから、すべて平等に幸福の道を教えていくのが、私どもの使命といえます。」

「自由主義も社会主義も、保守も、革新も、ともに指導していく大哲理に生きるのが、わが創価学会です。」

伸一は、大事な会員が、学会を政治の次元でとらえようとする世間の論評に惑わされ、信仰の王道を見失っていくことを憂慮していたのである。
さらに、公明政治連盟の拡大につれ、学会を利用したり、便乗して、学会の組織をせんきょのために上手に操ろうとする人間が、出てくることを警戒していた。

「私どもは、どこまでも、信心第一に進んでまいりたいと思うのであります。」「人間の本当の輝きは、なんによって決まるか。」「日蓮大聖人の弟子として、仏の使いとして、不幸な人びとの味方となりゆくことです。そのわが使命に生き抜く時に、最高最大の歓喜と輝きの人生を歩むことができる。」

「この内なる生命の燃焼こそが、色褪せぬ人間性の輝きであり、三世を荘厳する光彩であります。ゆえに、生涯、流れる水のごとき信心を貫き、自身を成長させながら、また、一家の和楽を築きながら、尊き使命の大道を、誉の大道を、ともどもに前進していこうではありませんか」

今、会長就任三周年の、新しき旅立の号砲は鳴りわたった。決意を込めた拍手が、ドームに響きわたった。

山本会長が上着を脱ぎ、扇を手にして、すっくと立ち上がた。伸一は大空を舞う大鷲のように、悠々と、堂々と舞い始めた。

この日から、また再びの伸一の陣頭指揮が始まったのである。
彼は、自らの行動を通して、学会の真実の精神を、幹部の在り方を、皆に教えようとしていたのである。

太字は 『新・人間革命』第8巻より

会長就任3周年

『新・人間革命』第8巻 布陣の章 P7~

<新・人間革命 8巻 開始>
<布陣の章 始まる>

創価学会の精神の光源は 初代会長牧口常三郎と第二代戸田城聖が織り成した、燦然と不滅の光を放つ、師弟の不二の道である。

「獅子の道」とは、正義に生き抜く、”師”と“弟子”の「師子の道」でもある。何ものをも恐れず、一人立つ「勇者の道」である。邪悪を打ち砕く、「勝利の道」である。また、どこまでも民衆を守り抜く、「慈悲の道」である。

この戸田の心を分かちもつ、人びとの連帯を築き、崩れざる幸福と平和の建設に立ち上がった獅子の集いが創価学会である。

山本伸一は、会長就任三周年となる、1963年(昭和38年)、5月三日の本部総会を前にして、今なすべきことは何かを考え続けていた。

この5月3日は、伸一が第一の指標と定めた、恩師戸田城聖の七回忌に向かう総仕上げの一年となる。

次の飛翔のためには、さらに、各地に本部、総支部の布陣を整え、組織の強化を図る必要があることはわかっていた。

しかし、伸一は、もっと重要な課題があることを痛感していた。それは、殉難をも恐れず、民衆の幸福と人類の平和に生涯を捧げた、牧口常三郎と戸田城聖の精神を、いかにして永遠のものにしていくかということであった。

学会のため、広宣流布のために、自分が何をするのかではなく、できあがった組織の上に乗っかり、学会に何かしてもらうことを期待する幹部が出始めていることを、彼は感じとっていた。

また、学会のなかで、より高い役職につく、ことが立身出世であるかのように勘違いし、いわゆる”偉くなる”ことに執心し、人事のたびごとに、一喜一憂している者もいた。

名聞名利の心をいだき、自分のために学会を利用しようとするようなものが幹部になれば、会員が不幸である。やがては、学会自体が蝕まれ、内部から崩壊していく要因となることは必定である。

伸一は、未来の大発展のために、この兆候の根を断ち、まず幹部の胸中に、学会精神をみなぎらせることから始めようと、密かに決意したのである。

5月3日第25回本部総会の日を迎えた。やがて、人事の発表となった。女子部長になった渡道代は、学生部長の渡五郎の妻であり、夫妻ともに、山本伸一が手塩にかけて育ててきた人材であった。

彼女は、朝鮮(当時)で生まれ終戦とともに日本に帰ってきたが、秩父の親戚の牛小屋に床を張った一間の家で家族6人で暮らす。家計を支えるため、女学校に通いながら、山から柴を運び出す仕事をする。

一家は、大宮に移転すると入学金を蓄え、道代は 早稲田大学の法学部に進学する。彼女は社会主義の運動に参加するが、世の中には、不治の病や家庭不和など、社会制度の改革だけでは、解決しようのない苦悩が 数多くあることを思うと、その運動にも限界を感じた。

そんな時、学会の話を聞き、一年間、信心に励んで、思うような結果が得られなければやめようとの考えで、大学在学中に 入会した。彼女は何かをつかもうと、真剣に信心に励んだ。そうしたなかで、民衆を苦悩から開放できるものは仏法しかないとの、強い確信をもつようになった。

一年たった時、彼女は、生涯、学会とともに生き抜く決意を固めていた。大学を卒業すると、本部職員となり聖教新聞の記者となった。自分のかかわった仕事を完璧なものにしていこうという、強い向上心があった。

彼女の発想は、斬新であった。しかし、それゆえに、婦人部や女子部の先輩達には、受け入れられないこともあった。行き詰まった道代は、山本伸一に、指導を求めに来ることがよくあった。彼は、道代の資質を女子部のためにも生かしたいと思い、時には、あえて厳しい指導もした。

「信仰というのは、人間性の錬磨であることを忘れてはいけない」
道代は、女子部のリーダーの一人として、着実に成長していった。


太字は 『新・人間革命』第8巻より

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