『新・人間革命』第21巻 共鳴音の章 225P~
<共鳴音の章 開始>
1975年(昭和50年)5月3日は、山本伸一の会長就任15周年の佳節であった。彼が第三代か町会長に就任して以来、創価学会は未曽有の大発展を遂げ、15年前と現在とでは、隔世の感があった。
今や、事実上、日本第一の大教団に発展し、世界各地にメンバーのスクラムは広がっていた。また、東京の創価牛学・高校、創価大学、大阪の創価女子中学・高校、民音、富士美術館などが相次いで創立され、教育・文化面でも、社会に大きく貢献してきた。
さらに、政治の分野では公明党が結成され、福祉をはじめ、民衆のための政治を推進し、日本の政治を支える柱の一つとなった。
創価学会の目的は広宣流布にあり、さらには「立正安国」の実現にある。「安国」なき「立正」は、宗教の無力さを意味していよう。また、「安国」がなければ、個人の幸福の実現もない。ゆえに、「立正安国」にこそ、仏法者の使命がある。
伸一は「立正安国」を実現するために、仏法の人間主義の旗のもと、教育、文化、政治など、あらゆる分野の建設に着手してきた。それは、苦闘の歳月であった。
5月3日には、東京・八王子の創価大学中央体育館で「5・3」記念式典が開催された。「祝典序曲」の力強い演奏で幕を開けた式典は、「創価功労章」「国際功労賞」「広布文化賞」「広布功労賞」の受賞が行われた。これらの賞は、"功労のあった同志を最大に顕彰したい"との思いから、伸一が提案し、設けられたものである。
伸一は、共に学会のため、広宣流布のために奮闘してくれた同志を賞讃し、顕彰していく流れを厳然とつくっておきたかったのである。
「日興遺誡置文」には『身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信教を致す可き事』と認められている。広宣流布の功労者、実践者、智者を敬いなさいという、こうした遺誡は、26箇条のうち4箇条もあるのだ。
伸一は、青年部のリーダーであった時から、戸田の精神を継承し、同志の賞賛と励ましには最も心を配ってきたのだ。貯金をはたいてノートや筆記用具などを大量に購入し、健気に奮闘する同志にプレゼントし、激励してきた。持ってきた品々がなくなると、自分が使っている万年筆や、ネクタイ、時にはベルトまで贈って励ますことさえあった。
一度の励ましや顕彰が、人生の大きな転機となることもある。ゆえに伸一は、物を惜しむ気にはなれなかった。
伸一が「戸田大学」で懸命に学んでいたある時、戸田は、机の上にあった一輪の花を取って伸一の胸に挿した。「この講義を終了した優等生への勲章だ。伸一は、本当によくやってくれているな。金時計でも授けたいが、何もない。すまんな」広宣流布の大師匠からの真心の賞賛である。伸一は、その花こそ、世界中のいかなるものにも勝る、最高に栄誉ある勲章であると思った。感動を覚えた。
伸一は、後年、世界各国から、多くの国家勲章を受けている。彼は、その根本原因こそ、生命の因果の法則のうえから、師匠より賜った一輪の花に対する感謝と、ますますの精進を誓った「心」にそあったと、深く、強く、確信しているのである。
式典は、伸一の話となった。「・・・前進が加速すればするほど、風も強くなるのは道理であります。したがって、ますます発展しゆく創価学会に、さまざまな試練が待ち受けているのは当然であります。"まさか!"と思うような予想外の大難も必ずあるでしょう。だからこそ、日蓮大聖人は『魔競わずは正法と知るべからず』と仰せなんです」未来を予見するかのような言葉であった。
「私は、いかなる事態になろうとも、情勢がどう変わろうとも、今までの10倍、20倍、30倍、50倍と力を尽くし、皆さんを、創価学会を守り抜いてまいります。」
このあと、伸一は、海外からの来賓と会談し、さらに創価大学の構内で行われた男子部、学生部の代表の集いに出席したのである。
太字は 『新・人間革命』第21巻より 抜粋
<共鳴音の章 開始>
1975年(昭和50年)5月3日は、山本伸一の会長就任15周年の佳節であった。彼が第三代か町会長に就任して以来、創価学会は未曽有の大発展を遂げ、15年前と現在とでは、隔世の感があった。
今や、事実上、日本第一の大教団に発展し、世界各地にメンバーのスクラムは広がっていた。また、東京の創価牛学・高校、創価大学、大阪の創価女子中学・高校、民音、富士美術館などが相次いで創立され、教育・文化面でも、社会に大きく貢献してきた。
さらに、政治の分野では公明党が結成され、福祉をはじめ、民衆のための政治を推進し、日本の政治を支える柱の一つとなった。
創価学会の目的は広宣流布にあり、さらには「立正安国」の実現にある。「安国」なき「立正」は、宗教の無力さを意味していよう。また、「安国」がなければ、個人の幸福の実現もない。ゆえに、「立正安国」にこそ、仏法者の使命がある。
伸一は「立正安国」を実現するために、仏法の人間主義の旗のもと、教育、文化、政治など、あらゆる分野の建設に着手してきた。それは、苦闘の歳月であった。
5月3日には、東京・八王子の創価大学中央体育館で「5・3」記念式典が開催された。「祝典序曲」の力強い演奏で幕を開けた式典は、「創価功労章」「国際功労賞」「広布文化賞」「広布功労賞」の受賞が行われた。これらの賞は、"功労のあった同志を最大に顕彰したい"との思いから、伸一が提案し、設けられたものである。
伸一は、共に学会のため、広宣流布のために奮闘してくれた同志を賞讃し、顕彰していく流れを厳然とつくっておきたかったのである。
「日興遺誡置文」には『身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信教を致す可き事』と認められている。広宣流布の功労者、実践者、智者を敬いなさいという、こうした遺誡は、26箇条のうち4箇条もあるのだ。
伸一は、青年部のリーダーであった時から、戸田の精神を継承し、同志の賞賛と励ましには最も心を配ってきたのだ。貯金をはたいてノートや筆記用具などを大量に購入し、健気に奮闘する同志にプレゼントし、激励してきた。持ってきた品々がなくなると、自分が使っている万年筆や、ネクタイ、時にはベルトまで贈って励ますことさえあった。
一度の励ましや顕彰が、人生の大きな転機となることもある。ゆえに伸一は、物を惜しむ気にはなれなかった。
伸一が「戸田大学」で懸命に学んでいたある時、戸田は、机の上にあった一輪の花を取って伸一の胸に挿した。「この講義を終了した優等生への勲章だ。伸一は、本当によくやってくれているな。金時計でも授けたいが、何もない。すまんな」広宣流布の大師匠からの真心の賞賛である。伸一は、その花こそ、世界中のいかなるものにも勝る、最高に栄誉ある勲章であると思った。感動を覚えた。
伸一は、後年、世界各国から、多くの国家勲章を受けている。彼は、その根本原因こそ、生命の因果の法則のうえから、師匠より賜った一輪の花に対する感謝と、ますますの精進を誓った「心」にそあったと、深く、強く、確信しているのである。
式典は、伸一の話となった。「・・・前進が加速すればするほど、風も強くなるのは道理であります。したがって、ますます発展しゆく創価学会に、さまざまな試練が待ち受けているのは当然であります。"まさか!"と思うような予想外の大難も必ずあるでしょう。だからこそ、日蓮大聖人は『魔競わずは正法と知るべからず』と仰せなんです」未来を予見するかのような言葉であった。
「私は、いかなる事態になろうとも、情勢がどう変わろうとも、今までの10倍、20倍、30倍、50倍と力を尽くし、皆さんを、創価学会を守り抜いてまいります。」
このあと、伸一は、海外からの来賓と会談し、さらに創価大学の構内で行われた男子部、学生部の代表の集いに出席したのである。
太字は 『新・人間革命』第21巻より 抜粋