『新・人間革命』第11巻 開墾の章 P132~

入会者が 増えるにつれ、新たな課題が生まれた。その一つが仏法用語をどうスペイン語に翻訳し理解させるかであった。たとえば、「宿業」について説明しても、ペルーでは、過去世からの罪業という考え方がないため、「私は報いを受けるような罪は犯した覚えはない」という人が少なくなかった。

そして、カトリックの影響が強いだけに、「宿業」を、神に背いた人間が、生まれながらに背負った「原罪」のように考えてしまうのである。

さらに、勤行を教えるのがまた一苦労だった。ローマ字をそのままスペイン語で読むと、「HOBENPON」は、スペイン語は「H」は 発音しないことから、「オウペンポン」となってしまう。

ザ行の発音が難しかったり、「ッ」という促音がないため、かなりの練習を積まないと、正確な発音はできない。そこで、先輩が新入会のメンバーの横について声を出し、一対一で勤行を教えた。

仏法用語の翻訳や勤行指導をどうするかは、ペルーに限らず、世界各国で広宣流布の先駆けとなった人人の、共通の課題であり、悩みであった。

しかし、いずれの国も、試行錯誤を重ね、そうした問題と一つ一つ乗り越えていった。そして、仏法が、その国に定着し、人びとの生活に根ざしていったからこそ、今日の世界広宣流布の大潮流がつくられたのである。

これほどの世界広布への苦労を、宗門はどれだけ知っていたか。わが同志が苦しみ抜いて世界広布を断行してきた努力に、最大の敬意を表すべきではなかったか。

山本伸一は尊き先駆けの友に、敬愛の思いを込めて、視線を注いで語り始めた。「開墾した人がいるからこそ、作物を育てることができる。偉大なのは、原野を開いた人です。ゆえに、先駆者の功徳というのは、一番大きい。」

「人がどうあれ、自分が広宣流布のために苦労し、働いた分は、すべて自身の功徳となり、福運となっていくのが仏法です。人の目はごまかすことができても、峻厳な、仏法の因果の理法は、絶対にごまかせない。」

「周囲の人がいい加減だから、自分も適当にやろうと思ったり、遊んでばかりいる人を羨んだりすることは間違いです。その考え方は、仏法ではありません。」

「最後に、永遠の幸福を築くのは誰か。人生の勝利を収めるのは誰か。それは生涯を、妙法とともに、広布とともに、学会とともに生き、真剣勝負で戦い抜いた人です。皆さんは、全員人生の大勝利者になっていただきたい。」

そのための要諦は何か。それは、第一にお題目です。健康ということも、勇気も、智慧も、歓喜も向上心も、あるいは、自分を律するということも、生命力のいかんで決まってしまうといえる。その生命力を無限に湧現しゆく源泉こそが唱題なんです。ゆえに、唱題根本の人には行き詰まりがない」

「素直な心で御本尊にぶつかっていけばいいんです。自分自身が願っていること、悩んでいること、希望することを、ありのままに祈っていくことです。苦しい時、悲しい時、辛い時には、子どもが母の腕に身を投げ出し、すがりつくように、『御本尊様!』と言って、無心にぶつかっていけばいいんです。」

「もし、自分の過ちに気づいたならば、心からお詫びし、あらためることです。二度と過ちは繰り返さぬ決意をし、新しい出発をするんです。」

「また、勝負の時には、断じて勝つと心に定めて、獅子の吼えるがごとく、阿修羅の猛るがごとく、大宇宙を揺り動かさんばかりに祈り抜くんです。そして、喜びの夕べには「本当にありがとうございました」と、深い感謝の題目をささげることです。」

「何があっても、ただひたすら、題目を唱え抜いていくことです。これが幸福の直道です。このお題目ということが、人生を勝利する第一の要諦なんです。」
皆が頷くのを確認して、伸一は話を続けた。


太字は 『新・人間革命』第11巻より 抜粋