『新・人間革命』第8巻 宝剣の章 P131~

学生たちは、西洋的な帰納法の思考には慣れていても、東洋的な演繹法の思考には慣れていない。御書は、西洋的なものの考え方だけでは、決してとらえることはできない。その仏法の発想に立っていくためにも、帰納法的な論理を超えた相伝書の「百六箇抄」は、最もふさわしい御書といえた。

しかし、この日、集った受講生たちにしてみれば、一応、「百六箇抄」の勉強はしてみたが、ちんぷんかんぷんで全く理解しがたいというのが本音であった。

伸一は、それぞれが自己紹介をすることから始めた。母親に勧められ、親孝行のために入会したもの、病気に苦しんでいた時に、折伏されたものなど、ほとんどが、信心して、一、二、年ほどで、学会活動の経験もない人が少なくなかった。

この日の参加者に、司法修習生になっているOBがいた。名前を山脇友政といった。病気で療養生活をしている時に、折伏され、病気を信心で克服し、司法試験に合格したのだ。彼は、自己紹介で誇らしげに、司法修習生であることを語った。そこには、どこか卑屈さに裏打ちされた傲慢さが、感じられた。

しかし、伸一は、学生部のなかから、難関といわれた司法試験の合格者が出たことが嬉しかった。

仏法という人間の尊厳の哲理をいだき、人道と正義のために戦う弁護士が育ちゆくことを、待ち望んでいた。

山脇に対しても、弁護士になると、初めから学会の顧問弁護士のように遇していった。ところが、山脇友政は、信頼で結ばれた学会の世界を、自己の野望実現の恰好の場所と、考えるようになっていったようだ。

信仰とは、己心における仏と魔、善と悪の闘争だ。魔、悪に打ち勝つためには、仏道修行という生命の錬磨が絶対に不可欠である。しかし、真剣に、また地道に信心に励むことのなかった山脇の心はいともたやすく、第六天の魔王に支配されていくのである。

後に、学会の顧問弁護士となった彼は、宗門の法主に取り入り、学会を宗門に隷属させ、自分が学会を支配しようと計画する。そして、その野望が破たんすると、顧問弁護士であった立場を利用し、学会を恐喝するという、驚くべき犯罪を起こし、極悪人の本性をさらけ出す。

しかも、懲役刑を受けたあとも、山脇は、宗門や政治権力、一部のマスコミなどを巧妙に巻き込み、学会潰しに躍起となるのである。

伸一は、山脇の振る舞いに、不純さ、傲慢さ、狡猾さを感じることが少なくなかった。だから、時には厳しく指導することもあったが、大きく包み込んできた。人間なら誰しも、欠点はある。切り捨てることはたやすいが、欠点があるからといって、次々と排斥していってしまえば、人を育てることなどできない。人間の善性を信じるところに、人を育てる要諦があり、仏法者の心もある。

伸一は、欠点の多い、癖のある人物ほど、心を砕いて指導し、使命を全うできる道を考え、活躍の場も与えてきた。また、彼は、山脇に限らず、その人物が人間の信義に目覚め、広宣流布に奮い立つならば、たとえ、騙されても、許しもしたし、包容もしてきた。この、人のよさゆえに、彼は、利用されることも少なくなかった。しかし、自分が傷つくことを恐れず、人の育成に努めてきたからこそ、広宣流布のあらゆる分野の、多彩な人材を育てることができたのである。

「広宣流布の道には、さまざまな誘惑をもある。信心を磨き抜かなければ、自分に負けていってしまう。このなかからも、退転する者、反逆する者が出るかもしれない。しかし、たった一人しか残らなくても、私はその人を励まし、その人とともに、広宣流布を成し遂げていくつもりだ。でも、みんな最後まで残ってほしい。そして、一緒に、生涯、広宣流布のために生き抜いていこうよ」と話した。


太字は 『新・人間革命』第8巻より