小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

人生

黄金の輝きに満ちた日々

『新・人間革命』第4巻 凱旋の章 P88~

1950年の秋
戸田城聖の事業が行き詰まり、
生きるか死ぬかという窮地にたたされていた。
会社の給料も遅配が続き、社員も 一人、二人と 去って行った。


戸田を守り抜こうと決めていた山本伸一の体も ますます悪くなっていた。
事業の打開の糸口を求めて 戸田と大宮方面にやってきたが、不調に終わる。

その帰り道、美しい夜空を見上げ、体の寒さと 世間の冷たさを身に染みていた伸一。
師匠を守り抜くことができない自分のふがいなさに、何気なく、当時流行していた
「星の流れに・・・こんな女に誰がした」という歌をもじって、
「こんな男に誰がした」と口ずさんだ。

その時、戸田が振り返って、「俺だよ!」こう言って屈託なく笑う戸田だった。

明日をも知れぬ苦境のさなかにありながら、悠然と笑い、“責任は俺だよ”という戸田の、
大確信にあふれた率直な言葉に、伸一は熱いものを感じた。


“師の確信は、いつでも真実を語る。されば弟子も真実で応えねばならない”
それは苦闘の時代ではあったが、師弟の道を歩む一日一日は、黄金の輝きに満ちていた。



以来10余年の歳月が流れた。


伸一は、人生の勝負は、一時の浮沈ではなく、10年、20年あるいは、
一生という流れのなかで明確になるものであることをのべるとともに、
生命力の大切さを語る。


「人生には、山もあれば谷もある。そして、同じ道であっても、強い生命力がある人は、
 悠々と歩いていけるものです。ある時は桜の花を見て、また、途中でオニギリを食べ、
 坂道も楽しみながら、朗らかに進んでいくことができる。しかし、生命力が弱ければ、
 疲れきって、周りの風景も目に入らず、苦しみにしか感じることができない。」


「私たちは、この世界に、楽しむために生まれてきました。それには生命力が必要であり、
 その源泉が唱題です。ゆえに、皆さんは、唱題を根本に、人がどう見ようが、
 どう言おうが、自分自身はこう生き抜くのだと決めて、堂々と信心に励んでいってください。
 
 その人が幸福者なのです。そして、“ああ、楽しいな”といえる人生を、また、
 支部を築いていっていただきたいのであります。」




太字は 『新・人間革命』第4巻より抜粋

人間の真価

『新・人間革命』第2巻 「先駆」の章 p36


幹部会で伸一は戸田城聖の仕事が暗礁に乗り上げた時、
戸田先生に世話になりながら、「戸田から離れろ」と言った二人の幹部と
「今こそ戸田先生を守り切って信心で立て」と言った
一人の幹部のその後を対比して指導した。


 
「人間の真価は、いざという時にすべて現れる。
学会が難を受け、避難と中傷の集中砲火を浴びたときに、
いかに行動するかが、いっさいの分かれ目です。

難こそ自身の成長のチャンスであり、大飛躍の時です。
ゆえに、ひとたび難があったならば、それを喜びとし、
また、誇りとして、敢然と戦う師子王の如き皆さんであっていただきたい。」

伸一が、敢えて難に触れたのは、学会の未来に競い起こるであろう法難を、
ひしひしと感じていたからである。


・・・その時に一人たりとも脱落させてはならないとの、強い願いを込めての
指導であった。
しかし、単なる彼の追憶談として、話を聞いていた人もあった。


「では、いざという時に頑張れば、普段はどうでもよいかというと、
そうではありません。常日頃からいい加減な信心の人が、大変な時に
戦えるわけがありません。


大切なのは 今です。
永遠といっても、一瞬一瞬の連続です。
今、戦わずして いったい何年後に戦おうと言うのですか。


ゆえに、この一瞬を、そして、今日という一日を、最善を尽くして戦い、
悔いなき人生の、1ページ1ページを開いていってください。」


第三代の 会長就任から、わずか2か月間のうちに、
山本伸一の行動は、ほぼ日本全国に及んだ。


太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋


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