『新・人間革命』第6巻 若鷲の章 P319~
7月22日 日比谷公会堂で第5回学生部総会が開催された。壇上には真紅と紺青の学生部旗が林立していた。山本会長からこの旗の授与が行われた後、会長の講演が始まった。
彼は、日本の各界の指導者層のなかにも、一部のマスコミによる学会への中傷や無認識と偏見に基づく報道を信じ、創価学会を批判的に見ている人たちがいつことを述べ、学生部が、学会の真実と正義をわからせてほしいと呼びかけた。
そして、講演の最後に、こう提案した。
「学生部の皆さんには、日蓮大聖人の、仏法と実存主義やマルクス主義と言った思想・哲学と、どちらが偉大であるのかを、徹底的に究明していってほしいのです。どちらが人間の生命の全体像を正しく把握しているのか、人間の苦悩を根本から解決し得るのか、現実生活のうえではどうなのか、現証の面からはどうなのかなど、大胆に、冷静に、独断に走ることなく、比較研究していってもらいたいのです」
「そして、"人類を救い得る世界最高の哲学は、確かにこれしかない"と確信したならば、その信念にしたがって、仏法の大哲理を胸に、民衆の味方となり、不幸な人びとを救うために、生涯、生き抜いていただきたい。」
伸一には、仏法への絶対の確信があった。しかし、同時、学生部員のなかには、その確信をもてないメンバーが少なくなかったのである。
1960年の"安保闘争"のころには、学生の多くはマルクス主義に傾倒していた。"安保闘争"のデモへの対応もさまざまであった。しかし、日米安保条約は自然承認され、以来、キャンバスには虚無感と挫折感が蔓延していたのである。だからこそ、日蓮仏法が新たな社会建設の大哲理であることを、力の限り叫びぬかなければならない"時"といえた。
ところが、学生部員の多くは、マルクス主義も、仏法も、徹底して掘り下げることをしなかったために、確信をもって語りきることができないでいた。
伸一は、学生ならば、強い探求心をもってほしかった。探求なくしては、仏法の大哲理の真実の価値も、わからないからだ。さまざまな思想・哲学と比較相対すればするほど、その真価が明らかになるのが仏法である。
8月の末に 第1回の御書講義をすることにし、研鑽する御書を「御義口伝」にすると決めた。
「『御義口伝』は、あらゆる思想、哲学の最高峰であり、日蓮大聖人の仏法の生命観、宗教観、宇宙観などの原理が、あますところなく説かれている。今、学会は、その仏法の原理を生かし、政治、経済、教育、芸術、言論等々、すべての分野にわたって、人類の幸福と繁栄を実現していく時代に入った。だからこそ、『御義口伝』に取り組み、仏法の大哲理を会得してもらいたい。」
「わたしは、自分が訓練した学生部員のなかから、将来の学会の跡継ぎを、大指導者を、必ず育ててみせるよ」
伸一は、戸田城聖が、東大法華経研究会で最後に行った法華経講義に、自分も同席させてもらったことが思い出された。
伸一は、いつの日か、次代の指導者となる学生部に、戸田に代わって、法華経の講義をしなければならないと思ったのである。
伸一もまた、この『御義口伝』の講義をもって、大聖人の仏法の大哲理を、新時代を建設する指導原理として示そうとしていたのである。
時代は、新しき指導原理を待望していた。
国内にあっても、経済発展の陰で公害が指摘され始めていたし、政治、教育など、あらゆる分野に歪みが生じ始めていたのである。
"仏法の生命の哲学を、人権の思想を、平和の理念を、今こそ、世界に伝えなければならない"
伸一は、"時"の到来を感じながら、日々、研鑽を重ね、講義の日を待った。
太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋
7月22日 日比谷公会堂で第5回学生部総会が開催された。壇上には真紅と紺青の学生部旗が林立していた。山本会長からこの旗の授与が行われた後、会長の講演が始まった。
彼は、日本の各界の指導者層のなかにも、一部のマスコミによる学会への中傷や無認識と偏見に基づく報道を信じ、創価学会を批判的に見ている人たちがいつことを述べ、学生部が、学会の真実と正義をわからせてほしいと呼びかけた。
そして、講演の最後に、こう提案した。
「学生部の皆さんには、日蓮大聖人の、仏法と実存主義やマルクス主義と言った思想・哲学と、どちらが偉大であるのかを、徹底的に究明していってほしいのです。どちらが人間の生命の全体像を正しく把握しているのか、人間の苦悩を根本から解決し得るのか、現実生活のうえではどうなのか、現証の面からはどうなのかなど、大胆に、冷静に、独断に走ることなく、比較研究していってもらいたいのです」
「そして、"人類を救い得る世界最高の哲学は、確かにこれしかない"と確信したならば、その信念にしたがって、仏法の大哲理を胸に、民衆の味方となり、不幸な人びとを救うために、生涯、生き抜いていただきたい。」
伸一には、仏法への絶対の確信があった。しかし、同時、学生部員のなかには、その確信をもてないメンバーが少なくなかったのである。
1960年の"安保闘争"のころには、学生の多くはマルクス主義に傾倒していた。"安保闘争"のデモへの対応もさまざまであった。しかし、日米安保条約は自然承認され、以来、キャンバスには虚無感と挫折感が蔓延していたのである。だからこそ、日蓮仏法が新たな社会建設の大哲理であることを、力の限り叫びぬかなければならない"時"といえた。
ところが、学生部員の多くは、マルクス主義も、仏法も、徹底して掘り下げることをしなかったために、確信をもって語りきることができないでいた。
伸一は、学生ならば、強い探求心をもってほしかった。探求なくしては、仏法の大哲理の真実の価値も、わからないからだ。さまざまな思想・哲学と比較相対すればするほど、その真価が明らかになるのが仏法である。
8月の末に 第1回の御書講義をすることにし、研鑽する御書を「御義口伝」にすると決めた。
「『御義口伝』は、あらゆる思想、哲学の最高峰であり、日蓮大聖人の仏法の生命観、宗教観、宇宙観などの原理が、あますところなく説かれている。今、学会は、その仏法の原理を生かし、政治、経済、教育、芸術、言論等々、すべての分野にわたって、人類の幸福と繁栄を実現していく時代に入った。だからこそ、『御義口伝』に取り組み、仏法の大哲理を会得してもらいたい。」
「わたしは、自分が訓練した学生部員のなかから、将来の学会の跡継ぎを、大指導者を、必ず育ててみせるよ」
伸一は、戸田城聖が、東大法華経研究会で最後に行った法華経講義に、自分も同席させてもらったことが思い出された。
伸一は、いつの日か、次代の指導者となる学生部に、戸田に代わって、法華経の講義をしなければならないと思ったのである。
伸一もまた、この『御義口伝』の講義をもって、大聖人の仏法の大哲理を、新時代を建設する指導原理として示そうとしていたのである。
時代は、新しき指導原理を待望していた。
国内にあっても、経済発展の陰で公害が指摘され始めていたし、政治、教育など、あらゆる分野に歪みが生じ始めていたのである。
"仏法の生命の哲学を、人権の思想を、平和の理念を、今こそ、世界に伝えなければならない"
伸一は、"時"の到来を感じながら、日々、研鑽を重ね、講義の日を待った。
太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋