『新・人間革命』第13巻 楽土の章 P347~
伸一は、自分も夜学に通い、また、30歳まで生きられないといわれていた病弱な体で、貧しかったが、知恵を絞り、時間を捻出して、徹底して学んできた経験を通し、話した。
「鍛えのない青年は、軟弱になり、人生を滅ぼしかねない。ゆえに二部の学生は、最高の修行の場を得ているということなんです。頑張りなさい。」と激励した。
高等部には、人材の要件とは、広宣流布の使命を自覚することであり、人材とは、人格の人であるから、人への思いやり、包容力、自分を律する精神の力、正義への信念と意思等々人格の輝きこそ、人間として最も大事なので、自己の精神を磨き上げ、何か一つでよいから、これだけは誰にも負けない力をつけることが必要だと指導した。
「鍛えのない青年は、軟弱になり、人生を滅ぼしかねない。ゆえに二部の学生は、最高の修行の場を得ているということなんです。頑張りなさい。」と激励した。
高等部には、人材の要件とは、広宣流布の使命を自覚することであり、人材とは、人格の人であるから、人への思いやり、包容力、自分を律する精神の力、正義への信念と意思等々人格の輝きこそ、人間として最も大事なので、自己の精神を磨き上げ、何か一つでよいから、これだけは誰にも負けない力をつけることが必要だと指導した。
高見は、伸一の行動にまばゆいばかりの真心と大誠実を感じていた。高見は決意した。"今回、山本先生が示してくださった、この真心をもって、沖縄中の人びとを包もう。"
伸一一行が、本島の北に向かっていくと百人ほどの学会員が待ち受けていた。高齢の方も多く、元気な姿そのものが信心の証明になると話し、集った人たちとお弁当を分け合い食べることにした。
そこに、岸山富士子があいさつにきた。彼女は、息子が悪性リンパ腫と診断され、2、3か月の命と診断された時、藁にもすがる思いで、信心を始めたのだ。祈りが通じたのか、長男は退院し、学校にも歩いていけるようになったが、4月半ば、眠るように息を引き取った。安らかな臨終の相であった。
彼女は、"息子が私たちに仏法を教えるためにあえて、難病にかかって生まれてきてくれた。仮死状態で生まれてきた子だった。御本尊様は、治らない病気を治してくれ、生かしてくれという無理難題を聞き入れ、半年も寿命を延ばしてくださった。"彼女は息子は他界したが、寿命を延ばすことができた喜びを、語り、勇んで弘教に歩いた。
年の瀬も押し迫った夜、岸山は、会合のあと、学会員の家に寄って話し込んでいると、家が火事だと連絡が入る。家は全焼し、次男と三男は、無事だったが二人の娘は遺体で発見された。あまりにも過酷な出来事であった。宿命の嵐は、容赦なく岸山一家に襲いかかったのだ。
富士子は号泣したが、"この事故は魔なのだ"と感じ、御本尊への不信をいだくことはなかった。しかし、自分を責め苛み続けていた。留守中に出荷して、大事な二人の娘を亡くしてしまったことが、悔やんでも、悔やんでも、悔やみきれなかった。
"なぜ、すぐにランプを新しくしなかったのだろう。きっと心のどこかに、信心しているから大丈夫だという思いがあったのだ。それが油断であり、魔であったのだ"また、地区担当員でありながら、地域の人たちにも、学会にも迷惑をかけてしまったことが、たまらなく辛かった。
火事依頼、地域の学会に対する風当たりは強くなっていた。学会員が折伏に訪れると、「あの岸山のところを見てみろ!家を焼き、子どもも亡くしたじゃないか。」組織のなかに動揺が広がっていった。
岸山は唱題したかったが、御本尊も火事で焼失してしまったのである。山本伸一は、報告を聞くと涙をにじませ、胸を痛めた。
「私たち凡夫は、自分が、どんな宿業をもっているかわかりません。大聖人は、本来なら、その罪の報いを未来永遠にわたって一つずつ受けるべきところを、法華経の敵を強く責めたので、大難となって一時に集まり起こったのだと言われている。それは、今世で成仏するためです。」
「しかも、その難は、仏法の功徳の力によって、過去の重罪の報いを現世で軽く受けているのだと、断言なされている。これを転重軽受ということです。つまり、信心をして苦しみを受けるということは、一生成仏への道を進んでいる証拠です。それは、絶対に間違いない。」
伸一一行が、本島の北に向かっていくと百人ほどの学会員が待ち受けていた。高齢の方も多く、元気な姿そのものが信心の証明になると話し、集った人たちとお弁当を分け合い食べることにした。
そこに、岸山富士子があいさつにきた。彼女は、息子が悪性リンパ腫と診断され、2、3か月の命と診断された時、藁にもすがる思いで、信心を始めたのだ。祈りが通じたのか、長男は退院し、学校にも歩いていけるようになったが、4月半ば、眠るように息を引き取った。安らかな臨終の相であった。
彼女は、"息子が私たちに仏法を教えるためにあえて、難病にかかって生まれてきてくれた。仮死状態で生まれてきた子だった。御本尊様は、治らない病気を治してくれ、生かしてくれという無理難題を聞き入れ、半年も寿命を延ばしてくださった。"彼女は息子は他界したが、寿命を延ばすことができた喜びを、語り、勇んで弘教に歩いた。
年の瀬も押し迫った夜、岸山は、会合のあと、学会員の家に寄って話し込んでいると、家が火事だと連絡が入る。家は全焼し、次男と三男は、無事だったが二人の娘は遺体で発見された。あまりにも過酷な出来事であった。宿命の嵐は、容赦なく岸山一家に襲いかかったのだ。
富士子は号泣したが、"この事故は魔なのだ"と感じ、御本尊への不信をいだくことはなかった。しかし、自分を責め苛み続けていた。留守中に出荷して、大事な二人の娘を亡くしてしまったことが、悔やんでも、悔やんでも、悔やみきれなかった。
"なぜ、すぐにランプを新しくしなかったのだろう。きっと心のどこかに、信心しているから大丈夫だという思いがあったのだ。それが油断であり、魔であったのだ"また、地区担当員でありながら、地域の人たちにも、学会にも迷惑をかけてしまったことが、たまらなく辛かった。
火事依頼、地域の学会に対する風当たりは強くなっていた。学会員が折伏に訪れると、「あの岸山のところを見てみろ!家を焼き、子どもも亡くしたじゃないか。」組織のなかに動揺が広がっていった。
岸山は唱題したかったが、御本尊も火事で焼失してしまったのである。山本伸一は、報告を聞くと涙をにじませ、胸を痛めた。
「私たち凡夫は、自分が、どんな宿業をもっているかわかりません。大聖人は、本来なら、その罪の報いを未来永遠にわたって一つずつ受けるべきところを、法華経の敵を強く責めたので、大難となって一時に集まり起こったのだと言われている。それは、今世で成仏するためです。」
「しかも、その難は、仏法の功徳の力によって、過去の重罪の報いを現世で軽く受けているのだと、断言なされている。これを転重軽受ということです。つまり、信心をして苦しみを受けるということは、一生成仏への道を進んでいる証拠です。それは、絶対に間違いない。」
太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋