小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

交換留学生

先師牧口常三郎生誕100年

『新・人間革命』第15巻 開花の章 300P~ 

<開花の章 開始>

1971年(昭和46年)6月6日は、先師牧口常三郎の生誕百年にあたり、牧口の胸像の除幕式が、東京・信濃町の聖教新聞社で行われた。

誤った思想、宗教は人間を不幸にする。正法に目覚め、大善生活を送れーーというのが、牧口の叫びであった。正義によって立つ彼の批判は、国家神道にも、容赦なく向けられた。

しかし、思想統制を行い、国家神道を精神の支柱にして戦争を遂行する軍部権力が、それを許すはずがなかった。会長の牧口常三郎、理事長の戸田城聖が拘束され、最終的には、逮捕者は幹部21人に上ったのである。

だが、牧口は屈しなかった。拘置所の係官は何度も牧口に、病監に移るように進めたが、彼は辞退し続けた。しかし、自ら病監に移ることを申し出た翌日11月18日息を引き取った。

牧口常三郎が推進した創価教育学会の運動は、日蓮仏法をもって、人びとの実生活上に最大価値を創造し、民衆の幸福と社会の繁栄を築き上げることを目的としていた。

自分が法の利益を受けるために修行に励むだけでなく、他人に利益を受けさせるために教化、化導していく「自行化他」が、日蓮仏法の修行となる。

そしてまた、日蓮仏法は「立正安国の宗教」である。一次元からいえば、「立正」という正法の流布が、仏法者の宗教的使命であるのに対して、「安国」は、仏法者の社会的使命であるといってよい。

ところが、日本の仏教は、寺にこもり、世の安穏や死後の世界の安楽を願って、経などを読むことでよしとしてきた。社会の建設を忘れた宗教は、現実逃避であり、無力な観念の教えにすぎない。大聖人は、そうした仏教の在り方を打ち破る、宗教革命を断行されたのである。

創価教育学会は、最盛期といえども、会員は三千人ほどの小さな団体にすぎなかった。だが、小さくとも、正義の教団であった。唯々諾々と軍部政府に従う、権力に骨抜きにされた宗教ではなかった。

ここに邪宗門と化す宗門との根本的な違いがあった。権力は民衆を支配し、隷属させ、意のままに操ろうとする”魔性”をもつ。それゆえに、獰猛な弾圧の牙を剥き、学会に襲いかかったのだ。

戦後、時代は、軍国主義から民主主義へと変わった。学会は、民衆のスクラムを広げ、「立正安国」の実現のために、文化・社会の建設に着手した。政治を民衆の手に取り戻すために、政治の変革にも取り組んでいったのである。

そこに、国家権力をはじめ、既得権益をむさぼり、権力の“魔性”の毒に侵された諸勢力は、強い怖れと危機感をいだいた。そして学会への攻撃、迫害が繰り返されたのである。

地域で、権勢をふるう有力者らの画策による村八分。既成宗派の寺院が、学会員の遺骨の埋葬を拒否した墓地問題。北海道の夕張炭鉱で、「天下の炭労」と言われた炭労労働組合が、学会員を締め出そうとした夕張炭労事件。山本伸一が選挙違反という無実の容疑で不当逮捕された大阪事件・・・。

さらに、教団の名誉を棄損する虚偽の報道など、マスコミによる誹謗中傷も繰り返されてきたのである。伸一が第三代会長に就任してからは、攻撃の的は、会員の団結の要である彼に絞られていった。しかも、その弾圧の手口は、次第に、巧妙、狡猾になっていったのだ。

学会に偏見と嫉妬をいだく評論家や学者などを使って、非難の集中砲火を浴びせ、学会排斥の世論をつくろうと躍起になる、新聞や週刊誌も少なくなかった。

国会で議員が、事実無根の話を織り交ぜ、学会を激しく中傷し、会長の伸一を証人喚問せよと騒ぐ、卑劣極まりない宗教弾圧の暴挙も、何度となく繰り返された。

権力の“魔性”といっても、それは権力を手中に収めた人間の生命に宿る"魔性"である。
ゆえに、創価学会が「広宣流布」と「立正安国」の使命を果たし抜くためには、権力の弾圧、迫害と永遠に戦い、勝ち越えていく以外にない。


太字は 『新・人間革命』第15巻より 抜粋

教育の道は 永遠なる開拓

『新・人間革命』第15巻 創価大学の章 292P~ 

創価大学からも 多くの学生が、交換留学生として世界の各大学に留学していった。創大生たちは、自分たちが、パイオニアなのだとの自覚で、猛勉強を重ね、培った語学力などを生かし、平和の懸け橋となっていった人も少なくない。

モスクワ大学への最初の交換留学生となった斉木いく子は、ロシア語の通訳として、活躍するようになる。彼女は、卒業後、ソ連の男性と結ばれるが、当時のソ連は自由主義国の国民との結婚には厳しく、幾つもの困難があった。

彼女は、ロシア語の通訳として、次第に頭角を現していったが、数年後、突然夫が他界した。二人の幼子を連れて、夫の故郷に遺骨を埋葬に行ったとき、創立者の山本伸一から、電報が届く。

彼女の心に、一筋の光が走った。”そうだ。すべてに意味があるのだ。私の人生は決して終わりではない。これから始まるのだ。負けるわけにはいかない”斉木は苦しむ人のため、平和のために役立ちたいと、一段と強く心に決め、そして日本屈指のロシア語通訳となっていった。

創大生には、海外の大学院に留学し、博士号を取得したメンバーも多い。一期生の矢吹は、アメリカの大学院で、博士号を取得し、後年、創価大学で教鞭をとり、さらに、オレンジ郡キャンパスの初代学長となった。

創価大学は、最も世界に開かれた大学といってよい。各国の大学の学長や総長はもとより、世界の指導者や学識者の来学も後を絶たない。

ゴルバチョフ元ソ連大統領、キッシンジャー元米国務長官、ローマクラブのホフライトネル会長、平和学者のガルトゥング博士などもキャンパスを訪問、賛辞を寄せている。

年ごとに、学部や学科なども拡充されていった。1975年(昭和51年)には、大学院を開設。翌年には、経営学部経営学科、教育学部教育学科・児童教育学科が設けられた。この年には、念願であった通信教育部が開設され、年齢、居住地等に関係なく、学びの場、生涯学習の道が開かれたのである。


85年には、創価女子短期大学が開学。88年には、文学部に人文学科、90年に日本語日本文学科と外国語学科、91年には工学部がスタート。2004年には、司法制度改革に呼応し、新たな法曹養成のための法科大学院が開学。

アメリカにあっては、87年に創価大学のロサンゼルス・キャンパスがオープン。その後アメリカ創価大学(SUA)へと発展し、94年には大学院を開学。2001年には、オレンジ郡キャンパスがオープンし、アメリカ創価大学はリベラルアーツ・カレッジ(教養大学)として、船出した。

教育の道は、永遠なる開拓である。この世に不幸がある限り、教育開拓のクワを振るう手を絶対に休めてはならない。不幸の克服こそ教育の真実の目的であり、使命であるからだ。

人間の一生は、あまりにも短い。その人間が未来のためになせる最も尊い作業は、次代を創造する人を育て、人を残すことである。

山本伸一は、国家や民族、イデオロギーの枠を超え、世界市民として人類益のために立ち上がる、新しき平和のリーダーをつくらねばならぬと思ってきた。

また、民衆一人ひとりの幸福を願い、民衆に奉仕ゆく、人間主義のリーダーを育成しなければならぬと決意してきた。それゆえに彼は、学校建設に踏み切ったのだ。

創大出身者がどうなるか。創価大学がどうなっていくかーーそれこそが自身の人生の総決算であると、彼は考えていた。教育という大樹は、一朝一夕には育たない。長い歳月を必要とする。

彼は、創大生の成長を祈り念じ、30年、50年、百年先を思い描きながら、走りに走った。

大学開学以来、既に30余年が過ぎた。女子短大、通信教育を含め、6万人近い創大生が社会に巣立っていった。(2005年現在)

伸一が手塩にかけ、命を削る思いで育んだ人材の樹木は今、しっかりと根を張り、青々と葉を茂らせたのだ。

”伸びよ、伸びよ、創価の大樹よ!永遠なれ、わが創価大学よ!私は、命の尽きる時まで、創大生のために、断じて道を開き続ける!教育の勝利こそ、人間の勝利であるからだ” 

<創価大学の章 終了>


太字は 『新・人間革命』第15巻より 抜粋

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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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