『新・人間革命』第16巻 羽ばたきの章 P256~ 

伸一は、できることなら、米代川の堤防が決壊し、特に被害が大きかった県北の二ツ井町に行き、一人ひとりと会って励ましたいと思った。しかし、その時間を確保することはできなかった。そこで、東京から男子部の幹部を急行させ、救援作業にあたるように指示していたのだ。

学会の救援隊の青年たちは、励ましの声をかけ、オニギリを配りながら、被災者に、何が必要なのかなど、要望を聞いていった。トラックを借り、路上にあふれたゴミの回収に駆けまわったり、清掃作業に汗を流す救援隊のメンバーもいた。

仏法者として、学会員として、困っている人のために何ができるかを、真剣に考えての行動であった。その振る舞いのなかにこそ、信仰の輝きがある。学会の救援隊を見て、感嘆する住民も少なくなかった。しみじみ語った。「こういう時に、信仰している人のすごさが、よくわかるなぁ」それを聞くと、被災した学会員は、奮起せざるをえなかった。苦悩を使命に変えて、同志は次々と立ち上がっていったのである。

西日本では、再び、がけ崩れによる家屋倒壊や浸水など、大きな被害が広がっていたのである。伸一の対応は素早かった。それぞれの地域に救援本部を設置し、学会本部が全面的にバックアップしていくよう詳細に支持していた。

伸一の電報が届くと、島根の幹部たちは、勇気が沸くのを覚えた。皆、意気揚々と救援活動に飛び出していった。希望を配ろう。勇気を贈ろうーーそれが皆の心意気であった。

被災地のメンバーと語らい、励まし続けている伸一は、今、いかなる救援物資が必要緒であり、いかなる激励が大事であるかを、肌で感じることができたのである。リーダーは最前線を走れ、現場に立てーーそれを忘れれば、人の苦悩も、心もわからなくなる。そして、そこから、組織を蝕む官僚主義の悪弊が始まるのだ。動かぬ水は腐る。

中国地方では、広島の三島市の被害が大きかった。そのなかでも、自らも被災者でありながら、率先して救援に動く、一人の男子部員の姿が感動を広げていた。

21歳の渡瀬健也は、病院から退院してきたばかりの母と、高校生の弟と家にいた。父は病で入院中であった。深夜、堤防が決壊し、家が水没し始めた。母を弟力を合わせ、屋根の上に避難させた。濁流に押し流され、ゴムホースの外れたプロパンガスのボンベからガスが漏れていた。

"こんなことで死んでたまるか!わしは生き延びて、広宣流布をするんじゃ。信心の力をみんなにみせちゃる!"救助され、家の後片付けに戻ると、家の壁はなくなり、家財も流されていた。だが、渡瀬は命が助かったこと自体が功徳だと、心の底から感じていた。それが、絶対に再起できるとの、大きな確信となっていた。

地域の男子部員がオニギリを持ってきてくれた。同志の真心の温かさが胸に染みた。壮年の総ブロック長が、学会からの救援物資を配る派遣隊の人たちの道案内をしてほしいと頼まれる。渡瀬は、御本尊に命を救てもらったと思って、感謝の思いでなんでもやらせてもらいますと答えた。

被災者の多くは、戸惑い、途方に暮れ、意気消沈していた。渡瀬は、はつらつと励ましの声をかけた。そして、渡瀬も水害ですべてを失ってしまった被災者であることを知ると、皆が、自分のことばかり考えていてはいけないと、困難に負けぬ、意気軒高な渡瀬の姿に、被災者は勇気を奮い起こしていった。

渡瀬に限らず、自身も被災しながら、災害に負けず、友のために親身になって奔走する学会員の姿が各地にみられた。

嬉しいニュースが届いた。山本会長が、被災地のメンバーとの記念撮影会を行うことが決まったのだ。被災した同志たちの喜びは大きかった。"水害なんかに負けるものか!"皆の胸に闘魂の火がついた。被災地のメンバーは、一日千秋の思いで、記念撮影の日を待った。



太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋