小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

世界平和

全世界に妙法の種を蒔くSGI会長挨拶

『新・人間革命』第21巻 SGIの章 33P~

世界平和会議の会場は、山本伸一SGI会長誕生の喜びの余韻に包まれていた。待ちに待った、世界広宣流布のリーダーが決まったのだ。

事務局長になったアメリカのメンバーが立ち、平和宣言を声高らかに英語で読み上げていった。この宣言では、「人間の生命に絶対至尊の価値を認めることにある」と述べているのである。仏法では、万人が尊極無上の仏の生命を具えていると説いている。平和宣言は、生命尊厳の仏法哲理に基づく、仏法者としての信念と良心の叫びであった。

この宣言は、全参加者の賛同を得て採択された。21世紀の恒久平和の実現へ、新しき世界の連帯がつくられたのだ。続いて、世界51ヵ国・地域の参加者が紹介された。

この世界平和会議に駆けつけるための旅費を工面することも大変なメンバーもいた。しかし皆、尊き使命に生きる、各国の幸福の開道者であり、平和のパイオニアである。人類史を転換する無名の英雄たちなのだ。

IBLの名誉総裁となった日達の話となった。彼は冒頭から賞讃を惜しまなかった。日達が明言したように、日蓮仏法を世界に弘め、正法隆昌の時代を開いたのは、まぎれもなく、伸一をはじめとする創価学会員の命がけの奮闘によるものである。

また、世界広宣流布の広がりは、学会が日蓮大聖人の仰せのままの、仏意仏勅の唯一の団体であることを裏づけている。

SGI会長となった伸一の初めてのスピーチである。伸一は、トインビー博士の「『世界の人びとのために、仏法の中道哲学の道を、どうか勇気をもって進んでください』と言われました。」と紹介した。

また、ワルトハイム国連事務総長との会談にも触れた。「あなた方の理念をよく知り、検討し、平和の実質的機構としての国連の運営に反映させていきたい」と語っていたことを伝えた。

「創価学会は、物質主義に対する宗教の、そして戦争に対する平和の、勝利をもたらす大いなる希望である」とは、ヨーロッパ統合の父クーデンホーフ・カレルギーの洞察である。

伸一の言葉に熱がこもった。「皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします。」

「どうか勇気ある大聖人の弟子として、また、慈悲ある大聖人の弟子として、また、正義に燃えた情熱の大聖人の弟子として、それぞれの国のために、尊き人間のために、民衆のために、この一生を晴れ晴れと送ってください!」伸一の言葉が各国語に訳されると、場内に雷鳴のような拍手が起こった。

この日、この時、このグアムの地で、世界の同志は伸一と共に、創価学会インタナショナル会長と共に、その弟子たる誇りに燃えて、平和のために立ち上がったのだ。

盛んに拍手を送るメンバーの胸には、伸一の「全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください」との言葉がこだましていた。皆が、その決意をかみしめていた。

西ドイツから、ただ一人参加していたディーター・カーンは、何度もメガネを取っては目頭を拭った。彼は、伸一の平和建設への熱い心に、涙が込み上げてきて仕方がなかったのである。

カーンは、1930年(昭和5年)に、ポーランド国境に近い、当時はドイツであったプレスラウで生まれた。第二次大戦中、彼は、ナチスの少年団「ユングフォルク」に入団し、ドイツ民族がいかに優れているかや、敵国に対する憎悪、軽蔑を徹底して叩き込まれた。

教育は諸刃の剣である。誤った教育ほど、恐ろしいものはない。

彼は避難民として、ソ連軍の空襲から必死に逃げた。零下10度を下回る極寒の真冬に飢えと寒さで次々と死ぬ人が出た。ドイツは無条件降伏し、敗戦は、それまでの価値観を崩壊させた。

太字は 『新・人間革命』第21巻より 抜粋

広宣流布の方程式

『新・人間革命』第3巻 平和の光の章 P311~

バンコクのレストランで女性従業員が 声をかけてきた。
学会員であった。

今回の訪問地には、まったく学会員のいない国もあると思っていたが、
これまでのところどの国にもメンバーがいたことになる。

アメリカやブラジルと比べれば、タイには広宣流布の小さな種が
蒔かれたにすぎなかった。それは、わずかな雨風にも流され、
吹き飛ばされかねなかった。

しかし、その一つ一つの種子を大切に育み、社会に根づかせていってこそ、
広宣流布の花園が開かれる。


学会の広宣流布は、国力をバックにしての布教でもなければ、
宣教師を送り込んでの布教でもない。

その地に生きる人が信仰に目覚め、使命を自覚するところから始まる、
民衆の内発性に基づいている。


ゆえに、一人ひとりが使命に奮い立つことに、伸一は全力を注いだのである。


アジアを歩けば、いずこの地にも、日本軍による戦争の傷跡がある。

日本人は、二度とこんな愚行を繰り返さぬために、
決して、この歴史の事実を忘れてはならない。
謙虚にならなくてはならない・・・。


そして、伸一は、一人の日本人として、アジアの人びとと同苦しながら、
今度は「幸福の道」「平和の道」を開いていこうと、決意するのであった。



太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋

世界平和への旅たち

『新・人間革命』 旭日の章

山本伸一(池田大作)は 創価学会の会長就任後
わずか 5か月後の 1960年(S39)10月2日 世界広布の一歩を踏み出す。


その時、山本伸一 32歳。


「君の本当の舞台は 世界だよ」との恩師 戸田城聖の言葉を胸に
ポケットには 常に 戸田先生の写真を忍ばせ、
記念すべき第一歩を ハワイに記した。


記念すべき第一歩のはずだったが、空港には 手違いで 誰もおらず、
一人の青年が 挨拶に来ているだけだった・・・。


日程は(現地)

10月1日 ハワイ ホノルル
10月3日 サンフランシスコ
10月6日 シアトル
10月8日 シカゴ
10月11日 カナダ: トロント
10月13日 ニューヨーク
10月16日 ワシントン
10月19日 ブラジル:サンパウロ
10月22日 アメリカ:ロサンゼルス

たった24日間で 3か国 9都市を 巡り
2支部 17地区を 結成。


いつ、世界広布の構想を練っていたのか?
(以下 小説から 抜粋)

戸田先生が逝去の直前、病床に伏しながら
メキシコに行った夢を見たと語っていたことがある。


それが、忘れられないと言う。


「あの日、戸田は言った。『待っていた、みんな待っていたよ。
 日蓮大聖人の仏法を求めてな。行きたいな、世界へ。
 広宣流布の旅に・・・。
 伸一 世界が相手だ。君の本当に舞台は 世界だよ」



「・・・伸一、生きろ。うんと生きるんだぞ。
 そして、
 世界へ征くんだ」


「彼は 亡き恩師に代わって、弟子の自分が
 世界広布の 第一歩を印すことを思うと、
 熱い感慨が込み上げてならなかった。」


初の海外訪問の日を 10月2日と決めたのも
2日が 戸田の命日にあたるからであった。


「世界へ征くんだ」との戸田城聖の言葉は、
世界を鋭く見つめた仏法指導者の
切実な“救世の 叫び”であったにちがいない。


人生の目的 ー それは、幸福
人生の願望 ー それは、平和


その幸福と 平和に向かって 歴史は展開されていかねばならない。


この世に生を受けて32年。
世界広布を生涯の使命とし、
その大業の扉を今、
自らの手で開き征くことを思うと、伸一の心は 躍った。



平和を 思考し うったえる人は多いが
平和のために 命をかけて行動する人は 少ない


池田先生は ガンジー キングも 超える
平和の闘志だ。



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