『新・人間革命』第6巻 若鷲の章 P341~

伸一は、さらに、「又帰と云うは迹門不変真如の理に帰するなり命とは本門随縁真如の智に命くなり帰命とは南無妙法蓮華経是なり、釈に云く随縁不変・一念寂照と」の御文の講義に移った。

「ここからは、帰命ということを、『帰』と『命』に分けて、論じられているところです。」

「大聖人は、『帰』というのは、迹門不変真如の理に帰するところであり、『命』とは本門随縁真如の智に命くことなのであるとお述べになっています。」

「別の譬えでいえば、永遠に変わらざる絶対の真理が説かれた御書は、不変真如の理です。今、その御書を、私たちが一生懸命学んでいることは、不変真如の理に帰している姿になります。」

「さらに、その御書の教えを、信心によって、智慧によって会得し、自身の人生観、社会観の源泉にし、社会で活躍していく時に、随縁真如の智に命いたことになります。」

「この方程式は、すべてにあてはまります。」
伸一は、簡単な例えを引いてわかりやすく講義した。
たとえば、マイクなどの音響設備の構造を知ることは不変真如の理に帰することであり、スイッチを入れて実際に使って役立てていくことは 随縁真如の智に 命いたと考えることができる・・・。

受講生は、初めは難解であると思われた御文も、伸一の講義を通して、次第に明瞭に 理解できるようになっていった。

「『御義口伝』の予習に際しては、必ず、この「経」「釈」「論」の出典にあたって、引用された個所の前後も含めて、徹底的に調べてきてほしいと思う。そうでないと、「御義口伝」の正しい理解はできません。」

伸一は、受講生に、教学に取り組む基本姿勢から教えていったのである。

山本伸一は、時には、精神身体医学(心身医学)や細菌学を例にあげて色心不二を論じ、仏法の生命観を講義していった。また、カントの時間論や空間論と、仏法で説く一念という考え方とを対比させながら、日蓮仏法の生命哲理の深遠さを語った。

「私は、『御義口伝』の御文を拝する時、南無妙法蓮華経という日蓮大聖人の仏法は、一国一民族の教えではなく、全東洋の、全世界の民衆のための宗教であるとの実感を深くします。」

講義を終えると質問会を持った。
伸一は、自分と受講生とは、ともに同志であり、同じ仏の使いであるととらえていた。受講生は自分より年は若いが、上下の関係にあるとは考えていなかった。むしろ、彼は、皆を尊敬していたのである。

それが、伸一の、そして、学会本来の人間観である。

受講生が、「将来、英語など、それぞれの国の言葉に翻訳し、題目として唱えていく必要はないのでしょうか」と質問すると、「南無妙法蓮華経は永遠不変の法であり、究極の言葉です。それを翻訳し、題目として唱えていくことはありません。南無妙法蓮華経の意味を学ぶために、御書を各国語に翻訳し解釈することよいが、唱える題目は、どこでも南無妙法蓮華経です。」

「題目は、瞬時に仏に通ずる世界共通の言葉なのです」

「南無妙法蓮華経というのは、宇宙の法則、大宇宙の根源のリズムに合致しゆく音律であるといえる。この題目の声の響きに、生命が感応していくのです。題目とはそうした不思議なものなのです。」

「南無妙法蓮華経を、それぞれの国の言語に翻訳したりすれば、題目の音律が違ってしまう。だから、これは変えるわけにはいかないんです」

伸一は、講義の終わった夜から、受講者一人ひとりの顔を思い浮かべ、皆の成長を祈り念じながら、『妙法蓮華経並開結』に、揮毫し、贈呈していった。

メンバーは、山本会長の深い真心を感じ取った。その感激は研鑽への誓いとなった。


太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋