『新・人間革命』第29巻 常楽の章 20p~
ガルブレイス博士は、体を乗り出すようにして伸一の話に耳を傾けていたが、大きく頷くと、語り始めた。「会長が言われたように、すべては、人類の幸福のためにある。そこにもう一つ補足させていただければ、今日、政治、経済、科学等は、それぞれの分野で急速な進歩を遂げましたが、いつの間にか、手段が目的と入れ替わり、幸福の追求といいう根本目的が忘れられています。私は、そこに、大変に危機的なものを感じています」
約二時間にわたる会談は、多くの意見の一致をみた。1993年(平成5年)伸一が、ハーバード大学で2度目となる講演を行った。その折、博士は、多忙を極めるなか、わざわざ駆けつけて、好評者(コメンテーター)を務めてくれたのである。
翌日、伸一は妻の峯子、長男の正弘らと、博士の自宅を訪問した。熱こもる語らいが展開された。最初の語らいから25年後の2003年、総合月刊誌『潮』から二人の対談が連載された。それに加筆して2005年、対談集『人間主義の大世紀をーーわが人生を飾れ』が発刊されることになる。
ガルブレイス博士との対談を終えた山本伸一は、大阪へ向かった。さらに静岡へ行き、総本山で営まれる熱原法難700年記念法要に参列することになっていたのである。
伸一は、熱原法難について思索をめぐらした。熱原法難は、弘安二年(1279年)を頂点として、富士下方庄の熱原郷で起こった日蓮門下への弾圧事件である。
農民たちは皆、信心を始めて1年ほどにすぎない。だが、誰一人として動じなかった。信心の強さは、歳月の長さによるのではなく、決定した心によってもたらされるのだ。「法華経を捨てよ」と迫る平左衛門尉頼綱に対して、熱原の農民信徒は、声も高らかに唱題を響かせた。それは、不惜身命の決意の表明であった。
熱原の農民信徒の生き方、振る舞いは、信心の究極を物語っている。信心とは、学識や社会的地位、財力などによって決まるものではない。それは、法難という大試練に直面した時、決して怯むことなく、敢然と立ち向かう勇気、決定した心である。
そして、今こそ“まことの時”ととらえ、師の言葉を思い起こし、深く心に刻んで、ひとたび決めた道を貫き通す信念である。
本来あり得ないと思われる転倒した事態や意表を突く状況を生じさせ、信心を攪乱させる。そこに第六天の魔王の狙いがある。ゆえに広布の戦いに、油断があってはならない。
迫害を受けた熱原の農民信徒、なかでも神四郎、弥五郎、弥六郎の三兄弟の殉教は、幸福を確立するためという信仰の目的とは、対極にあるように思えるかもしれない。では、なぜ日蓮大聖人は、「かりにも法華経のゆへに命をすてよ」と仰せになっているのか。
人はいつか必ず死を迎える。大聖人御在世当時、多くの人びとが、飢饉、疫病、戦禍等によって他界し、また、蒙古の襲来で命を失うことも覚悟せねばならぬ状況であった。命は、最高の宝であるが、露のごとくはかない。なればこそ、その命をいかに使うかが大事になる。ゆえに大聖人は、尊い命を「世間の浅き事」のために捨てるのではなく、万人成仏の法、すなわち全人類の幸福を実現する永遠不変の大法である法華経を守り、流布するために捧げよーーと言われたのである。
生命は三世永遠である。正法のために今世で大難に遭い、殉教したとしても、未来の成仏の道が開かれるのである。また「佐渡御書」では、大難に遭うことで過去遠遠功からの悪業を、今世において、すべて消滅できるとも言われている。
「なんのために死ぬか」とは、裏返せば「なんのために生きるか」ということにほかならない。二つは表裏一体である。
山本伸一は、会長として、“断じて殉教者を出すような状況をつくってはならない。もしも殉難を余儀なくされるなら、私が一身に受けよう!”と固く心に誓い、必死に操縦桿を握っていたのである。だが、広宣流布を推進していくには、それぞれに死身弘法の覚悟が必要である。その決定した一念に立ってこそ、一生成仏も、宿命転換もすることもできるのだ。
死身弘法の覚悟とは、“人生の根本目的は広布にあり”と決めることだ。そして、名聞名利のためではなく、人びとに仏法を教えるために、自らの生活、生き方をもって御本尊の功力、仏法の真実を証明していくのだ。
太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋