小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

下宿生

創価学園建設のパイオニア精神

『新・人間革命』第12巻 栄光の章 P371~

矢吹は、父親から、学会の会長である伸一が、いかに多忙を極めているかを聞かされていた。その山本会長が、寸暇を見つけて、学園に来ては、生徒の輪のなかに入り、直接、声をかけたり、生徒と、テニスや卓球をしたり、また、一人ひとりの健康や生活を心配し、下宿先の主人に、伝言とともに、心づくしの品が届けられていることを知った。

彼は、伸一の慈愛ともいうべき思いと、生徒への期待を実感した。人間として、それに応えたいと考えるようになっていった。いつしか、彼は、学園が好きになり、学園のために何かしたいと、下宿生の生徒組織の発足にあたり、執行部の部長を引き受けたのである。

山本伸一は、成績が伸び悩んでいる生徒のことも気がかりだった。教師たちは、次代のリーダーにふさわしい力をつけさせようと真剣であり、授業の速度も早く、学習量も多かった。2学年への進学が危ぶまれる生徒と会って励ますことにした。

生徒を激励する伸一の姿を見て、教師たちも"どんな成績の悪い子も優秀にしてみせる"というのが、創価教育の精神ではないかと、自分たちも頑張ろうと決意した。

2学期の終業式が終わると冬休みで寮生が帰省するため、寮で"お別れ会"が開催された。一人の寮生は、「郷里に帰ったら、後輩たちに、創価学園で体験した感動を語り、ぼくよりも何倍も優秀な受験生を、たくさん連れて来ます。だから、ぼくは"帰る"のではなく、学園生として"派遣される"と思っているんです」と語った。

まさに、学園建設のパイオニアとしての自覚と責任が、皆の胸に、しっかりと培われていたのである。


二期生の入学試験の当日、寮の高校生全員が 役員を希望した。道案内や連絡係、生徒たちは大奮闘した。整理役員の一人が、寮の黒板に受験生の姿を見た心境を和歌にして書いた。翌日、合格した受験生の母親が寮の見学に来て、この黒板の和歌を見て、返歌を詠み、黒板に記した。

その返歌を見て、寮生たちは、息子を送りだす親にとって先輩である自分たちが最大の頼りだと思い、責任の重さを感じ、自覚と決意を新たにするのであった。

山本伸一は、開校2年目もまた、足繁く、学園を訪問した。また、開校1年の学園の歩みを後世に残すため、校史の発刊が提案され、生徒の代表を含め打ち合わせを行った。メンバーのなかに、5か月前に母親を癌で亡くした中学2年生の生徒がいると知ると側に呼んで激励した。

7月17日、寮祭として始まった栄光祭は、全校生徒が参加する学校行事として、行われることになった。栄光祭のテーマは「栄光の青春」であった。12年前、伸一は、権力の魔性と戦い抜くことを誓い出獄した日であった。

伸一は、ここに集った学園生が、自分の志を受け継ぎ、民衆の勝利のために戦う指導者に育ってほしかった。いな、そうなってくれることを確信していた。開校から、1年3か月余り 生徒たちが、たくましく大きな成長を遂げていることが、伸一は何よりも嬉しかった。

フィナーレが終わると、伸一は語り始めた。「諸君こそ21世紀の人生を生きる、21世紀の指導者です。21世紀まで約30年、諸君は、その時、40代です。諸君は、今の私と、ほぼ同じ年代に、21世紀を迎えることになる。まさに、働き盛りで新世紀を迎えることになるんです。」

「21世紀に入った2001年の7月17日に、ここにいる先生方と、千人の先駆の創価学園生全員が、集い合おうではないか。一つの決勝点として、西暦2001年をめざそう。一人も負けてはいけないよ。健康で、世界に輝く存在として集まっていただきたい。」

栄光祭は、鳳雛たちの21世紀への旅立の舞台となり、人生の誓いの場となったのである。




太字は 『新・人間革命』第12巻より 抜粋

下宿生の「栄光会」

『新・人間革命』第12巻 栄光の章 P358~

教師たちの間では、下宿生への生活面での指導を、どう行うかが課題となっていた。教員の目も、各下宿生の生活の詳細にまでは行き届かなかった。下宿生活は、寮生活とは違って自由が多いところから、誘惑もあった。教師たちは、こうした問題を深刻に受け止めていた。

大事なことは、下宿生一人ひとりが、創価学園生としての自覚を新たにし、自らを律していく強さを持つことである。そう考えた教師たちは、日常的に、生徒同士が切磋琢磨していくように、下宿生の生徒組織をつくることにした。

その報告を受けると、山本伸一は言った。「教育の本義は、人間の自立にあると思う。したがって、生徒が自分たちで考え、話し合って自らを律しようという方向にもっていくことこそ、本当の教育といえるでしょう」そして、伸一は、栄光の青春を送ってほしいとの願いを込め、この下宿生の組織に「栄光会」という名を贈った。

中心者となる執行部の部長には、矢吹好成という、高校生が就いた。彼は、都立高校に1年間通学したあと、学園に入学したため、同級生より1歳年上であった。

矢吹の創価高校への進学は、父親の薫の深い祈りから始まった。息子の好成は、既に高校1年であり、学生生活を楽しみきっている様子である。しかし、薫はそれでも息子を、創価高校に入れたかった。1期生として学園の建設に生きることは、最高の栄誉であり、かけがえのない青春の思い出になると、薫は確信していたのだ。

薫は一計を案じ、好成の家庭教師で、好成も尊敬している山原に受験を勧めてもらうことにしたが、「いまさら、いやですよ」と一笑に付されてしまった。それから、父は、丑寅勤行をするようになり、好成そんな父にうっとうしさを覚えた。

好成を説得できなかったと、山原が父親に頭を下げて謝っているのを目撃した好成は、山原に申し訳なく、とっさに「受けるだけなら受けてもいい」と言ってしまった。

入学試験の日、好成は、白紙で答案を出すつもりでいたが、何気なく試験問題を見た時、かなりの難問で、高校生の自分でも、解けるかどうかわからない問題にもかかわらず、周りの中三生が、すらすら問題を解いているのを見て、闘志が燃え上がり、中三に負けたくないと、一心不乱に問題に取り組んだ。

合格したが、受けるだけの約束だから創価高校には行かないというと、父に、「お前が受かったために、誰か一人の人が落ちてしまった。お前はその責任を感じるべきだ」といわれ、変な理屈だと思ったが、入学しないのは、悪いことのような気がして、好成は、創価高校に入学した。

しかし、誇りをもって創価学園建設のパイオニアであるとの使命に燃える生徒とは、温度差があり、違和感を覚え、元気がなくなっていった。そんな息子を見て、胸が痛んだ父親は、2時間の通学時間が大変だろうと 下宿をすすめた。

好成は下宿生活を始めたころから、幾つかの発見をする。それは、教師たちが生徒に、常に情熱をもって「人びとのため」「社会のため」「世界平和のため」に勉強し、成長していきなさいと訴えていることであった。
前の高校では、受験や偏差値のことしか言わない教師たちであった。

また、矢吹の下宿近くに鹿児島県出身の中学生の下宿人がいたが、ある日、教師に、「なぜ、君は中学一年生で、親元を離れて生活している彼を、励まそうとしないのか」と指摘される。彼は、叱られながらも、教師の言っていることは正しいし、そこまで言ってくれる教師のいる学校は素晴らしいと思った。

もう一つ、矢吹の心を大きく変えていったのは、必死になって学園生を激励する、創立者の山本伸一の姿に触れたことであった。


太字は 『新・人間革命』第12巻より 抜粋

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