『新・人間革命』第12巻 栄光の章 P303~

伸一は、あえて辞退し、森川に言った。「創立者というのは針です。理事長や校長は、後に残る糸です。ひとたび着物が縫い上がれば、着物を維持していくのは、糸の役目です。」

「生徒たちは、名門校や一流校といわれる学校が数あるなかで、私の創立した、まだ、無名に等しい、この創価学園を選んでくださった。また、家族の方々は、それを全力で応援してくださろうとしている。経済的に大変なご家庭もあるはずです。特に地方から子どもを送りだすのは、大きな家計の負担になるでしょう。しかし、私とともに、牧口先生、戸田先生の理想を実現しようとしてくださっている。涙が出るほどありがたい話ではないですか」

「学園生は、かけがえのない、私の宝です。私の命です。大切な、大切な、私の子どもです。どんなことをしても、生徒を守ります。生徒のために戦い抜きます。それが私の決意です。」

彼の胸には、戸田城聖から学園の建設を託されて以来の思い出が、次々と去来してきた。戸田は、創価教育を実践する、小学校から大学までの学校の建設を悲願としていた牧口が、その実現を自分に託したことを明かし、伸一に、こう語るのであった。

「私の健在なうちにできればいいんだが、だめかもしれない。伸一、その時は頼むよ・・・」この時、伸一は、弟子として、何があろうが、必ず自分の手で創価教育の学校を建設しようと、固く、固く、心に誓ったのである。

戸田亡きあと、伸一は学校建設のための土地を探し始めた。武蔵野の大地にあり、富士が見え、近くに清らかな水の流れがあり、都心から車で、1時間ほどの距離であるという4つの条件を兼ね備えた希望の通りの土地が見つかり、視察したのは、会長就任1か月前であった。

妻の峯子とともに、視察に訪れた伸一は、すべての条件を満たした、最高の教育環境であると思った。峯子は、「学校設立には相当、お金がかかるし、学会にそんなお金はないのでは」と心配すると、伸一は、「僕が働くよ。これから本を書いて、書いて、書き続けて、その印税で、世界的な学園を必ずつくってみせるよ」と言った。

会長に就任した後も、激務の合間を縫って、学校の開校に向けて、小平の土地を買い足し、さらに、八王子にも小学校から、大学までの一貫教育の学校をつくる準備を始めた。

創価大学の設立審議会が発足し、建設への歯車が、本格的に回り始めた。建設用地を視察した時、雑木林の土地がきれいに保たれていると気づいた伸一は、地元の同志が清掃してくれているに違いないと指摘。また、寄付をしたいと言ってくれる大勢の同志がいることも話し、

無名の庶民である会員の皆様が、創価教育の城を築き、守ろうとしてくださっている。学園の建設は、民衆の真心に支えられてきたという、この偉大な事実を、生徒にも、教師にも、永遠に伝えて抜いていかなくてはならない」と話した。

起工式を1か月後に控えた10月、委員から、男子校ではなく、中・高一貫校として、創価高校にも、中学を併設したらどうかと提案がなされた。この段階で、併設に切り替えればさまざまな面で修正や変更が必要になる。しかし、山本伸一は、中学を併設したいという意見を支持した。

中学生には、高校受験という問題が重くのしかかり、それが伸び伸びと学業やスポーツに打ち込む障害となっていることを、彼も憂慮していたからである。

伸一は、委員たちに言った。「私たちがめざしているのは一貫教育です。高校の一期生が卒業する時には、大学を開学させたいと思っています。さらに、小学校も幼稚園もつくっていきます。東京以外にも学校を建てるつもりです。」





太字は 『新・人間革命』第12巻より 抜粋