小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

一人立つ

自発能動・一人立つ・仏法は勝負

『新・人間革命』に学ぶ 番外編③-1

「新・人間革命」につづられた名言をテーマごとに紹介

テーマ「自発能動」
「何事も受け身で、人に言われて動いていれば、つまらないし、勢いも出ない。その精神は奴隷のようなものだ。しかし、自ら勇んで挑戦していくならば、王者の活動だ。生命は燃え上がり、歓喜もみなぎる。同じ動きをしているように見えても、能動か、受働かによって、心の燃焼度、充実度は、全く異なる。それは、当然、結果となって表れてくる。どうせ活動するなら、君も、常に自分らしく、勇んで行動する主体者になることだよ」(中略)

「何があっても逃げずに、すべてをやり切っていくんだ。それによって自分を磨き、力をつけ、福運をつけ、大成長していくことができる。だから、広宣流布のために、うんと苦労をしようよ。うんと悩もうよ。うんと汗を流そうよ。自分の苦労なんて、誰もわからなくてもいいじゃないか。御本尊様は、すべてご存じだもの」
(第12巻「愛郷の章」p135~136)


テーマ「一人立つ」
真の繁栄と平和を勝ち取ることができるかどうかは、最終的には、そこに住む人の、一念にこそかかっている。人間が、絶望やあきらめの心をいだき、無気力になったり、現実逃避に走れば、社会は退廃する。楽土の建設は、主体である人間自身の建設にこそかかっているのだ。

楽土を築こうとするならば、他の力を頼むのではなく、平和のため、人びとの幸福のために、自分が一人立つことだ。

何があっても、絶対に屈することのない、強き信念と希望の哲学をもつことだ。複雑な現実の迷路を切り開く、聡明な知恵を働かせることだ。そして、その源泉こそが、日蓮大聖人の仏法なのである。御聖訓には、「心の一法より国土世間も出来する事なり」と仰せである。

ゆえに伸一は、会員一人ひとりの胸中深く、確固不動なる信心の杭を打ち込もうと、心に誓っていた。
(第13巻「楽土の章」p302~303)


テーマ「仏法は勝負」
「御書には『仏法と申すは勝負をさきとし』と仰せです。それは、広宣流布とは、第六天の魔王という生命破壊の魔性との戦いであり、さらには人間が生きるということ自体が、人生のそのものが戦いであるからです。

人間の幸福といっても、自分の臆病や怠惰などの弱さと戦い、勝つことから始まります。人間革命とは、自己自身に勝利していくことであり、そのための、いわば道場が、学会活動の場であるともいえます。

私は、その時々の折伏の成果など、問題にしておりません。大事なことは、皆さんが強情な信心に励み、大功徳を受け、生活も豊かになり、幸福に満ち満ちた悠々たる大境涯になっていくことです。そのための布教であり、学会の活動であることを、銘記していただきたいのであります」
(第8巻「布陣の章」p48~49)


太字は 聖教新聞 小説『新・人間革命』番外編③より 抜粋

郡上一揆の創作劇「一人立つ」

『新・人間革命』第17巻 緑野の章 356P~ 

岐阜本部は、鵜飼で名高い長良川河畔に立つ鉄筋コンクリート4階建ての建物である。対岸には金華山があり、その山頂に岐阜城の天守閣がそびえる、風光明媚な地にあった。

中部にあって、岐阜の組織は、大都市・名古屋を擁する愛知県に比べ、世帯数も少ないことから、十分に力を発揮できずにいた面がある。しかし、この岐阜本部の完成によって、本格的な岐阜の牙城が誕生し、地域広布の夜明けが訪れたといってよい。

幹部会に先立ち、岐阜本部落成1周年を記念する文化祭が行われ、創作劇「一人立つ」が行われた。江戸時代に現在の岐阜県の郡上で起こった「郡上一揆」を題材にした創作劇である。郡上金森藩では、増税が続いていた。農民たちは死罪を覚悟で幕府への直訴を敢行する。直訴のために江戸に向かった義民の代表は打ち首となった。農民たちは恐れ、おののき、絶望の淵に叩き落される。

その時、青年・弥兵衛は決然と叫ぶ「何をぐずぐずしているんじゃ!今、立たずしていつ立つんじゃ!今こそ"まことの時"じゃねえか!"時"は待っちゃあくれないぞ!」「誰かが、やらねばならない。」

「おらぁ、戦って、戦って、戦って死んでいく。たとえ、両手を取られようが、足をもぎ取られようが、この生命の続く限り、おらの生命の続く限り、戦い抜くんだ!」その叫びに万雷の拍手が鳴りやまなかった。


伸一は、出演者にこう伝言した。「この精神が学会精神です。心から感動しました。」

主役の弥兵衛を演じたのは長松正義という33歳の青年であった。高校卒業後東京へ出て2年目に眼が見えずらくなり、「視束交叉部癒着性くも膜炎」と診断され、手術を受け、故郷の郡上へ戻る。その2か月後、母が他界。彼が1歳半の時、線路で列車に轢かれそうになったのを母が身を挺して救ってくれた。頭を9針縫っただけで、一命をとりとめたのだ。病の遠因なのかもしれなかった。

母が亡き後、ミシンの女性販売員から仏法の話を聞くが、彼は、むきになって学会を否定した。しかし、熱心にすすめるその源を知りたくて入会する。唱題に挑戦すると発作が起き、意識を失う。学会の先輩の「それは宿命転換の一歩を踏み出したということだよ。必ず、宿業は転換できる」との親身な真心の励ましに、彼は、本気になって信心をしてみようと決意したのだ。

就職の願いも叶い、信心に励むなかで、長松は、そのハンディをかかえながら、最高の仕事をし、幸福になることに、自分の使命があると自覚したのである。

ヒルティは断言する。「試練は、将来われわれの上に咲き出ようとする、新しいまことの幸福の前ぶれである」

岐阜駅での追突事故にも遭ったが、幸い怪我はなかったが、山本伸一の励ましの言葉と激励の品が届けられ、"この先生の心に応えなければ"と長松は、"次にお会いするまでに、郡上の広布を一歩でも、二歩でも前進させよう!"と一日一日を勝ち抜いた。

瞬く間に1年が過ぎようとしていた時、文化祭で、創作劇を行うことが決まり、長松が主役に選ばれた。師である伸一への感謝と、郡上広布に一人立つ決意を劇に託し、彼は体当たりで演技した。

伸一は、大拍手を送りながら思った。"主役の青年の一途さが光る演技であった。彼には、妙法の弥兵衛として、生涯、求道心を燃え上がらせ、謙虚に自分を見つめながら、誠実に黙々と、広宣流布のために生き抜いてほしい。信心の世界にあっては自分が表舞台に立とうとするのではなく、皆のために勇んで労苦を担っていくことが大事だ。それが、弥兵衛の心である"

感動の文化祭が終了すると、岐阜県幹部会の開始である。伸一は、岐阜の歴史をひもとき、天下取りをめざした戦国の武将たちの雄大な気概と勇気こそ、今なお、岐阜の人びとに脈打つ心意気であることを語った。


太字は 『新・人間革命』第17巻より 抜粋

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高等部員への御書講義

『新・人間革命』第9巻 鳳雛の章 P169~

伸一は、高等部員の本格的な成長を図るために、年明けから、毎月、御書の講義を行うことを決意したのであった。研鑽する御書を「諸法実相抄」とした。


メンバーは予習に力を注いだが、通解をすることさえ容易ではなかった。ある女子高等部員は、講義録を見つけ、研鑽に励んだ。あるメンバーは事前に130回も拝読して臨んだ。

伸一は、そこに高等部員の、力の限り、体当たりでぶつかろうとする、一途な求道の心を実感した。確かな手応えを感じた。彼は、メンバーの拝読と、すばらしき通解を聴き、ことさら、平易に語る必要はないと思った。

しかし、観念的な理解にならないように、高校生の生活に即して、説明するように心がけた。例えば、「依正不二」についてはこう語った。

「諸君だって、頑張って勉強し、成績がよくなって、喜び勇んで家に帰ったような時には、家のなかの感じも違うでしょう。お父さんお母さんの、目つきも違ってくるし、お小遣いも多くなるかもしれない。」

「自分の一念、生命が変われば、周囲の感じ方も変わってくるし、環境そのものが変化していく。その原理を示しているのが、『依正不二』ということです。」

「戦争といっても、本当の要因は人間の心のなかにある。人間の支配欲、征服欲、権力欲、憎悪、怨念等々から起こるものです。だから、平和といっても、人間革命が根本になる。」

「また、最近、深刻になっている公害も、現代人の欲望の産物です。便利さ、豊かさばかりを追い求め、自然との調和を忘れた人間の生き方に、その大きな原因がある。」

「依正不二という考え方にたつならば、結局は、環境の破壊は、人間自身の苦しみに繋がることは明らかになる。だからこそ、正しい哲学を確立し、人間の生き方、考え方、そのものを変えていかなくてはならない。それが人間革命です。」若き鳳雛たちは、仏法の深遠な思想に触れ、感動に瞳を輝かせていた。講義が終わると、彼は皆にタイ焼きをごちそうした。そこには家族のような温かさが漂っていた。

伸一は、この日の夜、当時の佐藤栄作首相を、鎌倉の別邸に尋ね、会談することになっていた。“私は、皆を、生涯、守り続けていかねばならない。そして、この高校生たちが、自在に活躍できる大舞台を開くのだ。そのために、佐藤首相とも、日本の将来のこと、教育の問題、国際問題について、十分に語り合おう”

伸一は、このころから、日本の、そして、未来のために、各界の要人たちとの対話を、心がけていたのである。

「生死一大事血脈抄」の講義の折であった。「諸君は、この御文を胸に刻み、一生涯忘れずに、互いに戒め合い、異体同心の団結で、広宣流布の総仕上げをしていただきたい。そうすれば、広宣流布の不滅の流れができる。」

「大聖人亡きあと、なぜ、日蓮教団は分裂していったか。それは、日興上人を中心に、団結することができなかったからです。」

「人間は、年とともに、権力に心を奪われ、自分の地位、立場などに強い執着をもち、名聞名利に流されていく。『自己中心』になっていくものです。すると、信心をもって団結することができなくなる。それでは、どんな学会の役職についていたとしても、信心の敗北だ。信心というのは、結局は、この『自己中心』の心との戦いなんです。」

彼の講義は、時に遺言のように、メンバーの胸に鋭く迫った。
「佐渡御書」では、「悪は徒党を組んで、正法を滅ぼそうとする。学会憎しの一点で、政治権力も、宗教も合同して、攻撃の牙をむいてくるにちがいない。しかし、たとえ、一人になっても“師子王”のごとき心をもって、広布の使命を果たしていくのが本当の弟子です。」

「真実の団結というのは、臆病な人間のもたれ合いではない。一人立つ獅子と獅子との共戦です。」
彼の講義には、側近の最高幹部に指導するかのような、厳しい響きがあった。


太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋

本門の時代の大リーダー育成

『新・人間革命』第8巻 宝剣の章 P106~

伊豆の天城で、男子部の水滸会の研修が行われた。伸一は『本門の時代』の大リーダーを育成する研修にしようと一気に語っていった。

「大切なことは、生涯、学会精神に生きることだ。」「学会精神と言うのは、学会が大難に遭い、非難の集中砲火を浴びた時に、決然と立ち上がることだ。」

「大聖人は仰せである。『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑わざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ』『我が弟子に朝夕教えしかども・疑いをおこして皆すてけんつたなき者のならいひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし』

「大事なことは、“まことの時”に学会が難に遭った時に、何をするかである。どう生きるかである。その時に人間の本質がわかる」

「戸田先生の事業が最も窮地に陥っていたころ、私も胸を病み、発熱と喀血に苦しんでいた。給料も遅配が続き、社員は一人、二人と去って行った。なかには陰に回って、大恩ある先生を痛烈に批判する者もいた。そのなかで、私は働きに働いた。そして、先生に一身を捧げ、先生とともに戦い、先生が生きておられるうちに、広宣流布に散りゆこうと、密かに決心した。」

「しかし戸田先生は、何もかも、鋭く見抜かれていた。『お前は死のうとしている。俺に、命をくれようとしている。それは困る。お前は生き抜け。断じて生き抜け!俺の命と交換するんだ』弟子を思い、広宣流布を思う、壮絶な火を吐くような師の叫びだった。この先生の言葉で、私は広宣流布のために、断じて生き抜く決意をした。」

その後、自由闊達に意見が交わされ、さまざまな問題提起や質問があった。

メンバーの一人、鮫島源治は、伸一の会長就任後に、法華講から学会に入った青年で、東大を卒業し、やがて本部の職員となり聖教新聞社に勤務していた。伸一は、鮫島のもつ二面性を感じていた。彼が、しばしば陰で先輩幹部を批判し、自分だけが学会の未来を憂えているかのように語る、性癖があることも知っていた。

しかし、二面性は、多かれ少なかれ、誰にでもあることだ。仏法では、善悪一如と説き、己心に、仏の生命も、釈尊の命をつけ狙った提婆達多の生命も具わっていることを教えている。伸一は、ひとたび学会の門を叩いた青年を、なんとしても大成させたかった。

伸一は、この人物を、30年の間、見続けていこうと思った。“歳月は、人間を淘汰する。彼も30年の間、本気になって信心に励んでいくならば、自分に打ち勝って、見事に人間革命することができるはずだ。しかし、野心、野望で動き、学会を自分のために利用しようとする心があるならば、その間に、学会から離反していくことになるだろう”

伸一は、この鮫島の育成にも心血を注ぎ、彼に活躍の場も与えた。だが、鮫島は、いつしか、自分が学会を牛耳ろうという野望の火を燃え上がらせていった。後年、副会長になるが、最後は学会に反逆し、無残な退転者の道を歩んでいくことになるのである。

ある青年が、自分の担当している組織の実態が厳しいので、どうしたらよいかと質問すると即座に、伸一の大きな声が響いた。「君が立ち上がればいいんんだ!」

「青年ならば、一人立つことだ。そこから、すべては変わっていく。」「事態が厳しければ、自分が一人立つ ー 常に、私はその精神でやってきた。」


「私が、24歳の時だ。・・・ほとんどの幹部は、私よりも年上だ。しかし、最後は皆、私と心を合わせて動いてくれた。なぜか、“私は真剣であったからだ”誰よりも、必死であったからだ。・・・この人の言う通りにやれば必ず壁を破ることもできるだろう”とみんなが思ったからだ。そして、私は、結果を出した。

「私の行くところは、事態、状況は、いつも最悪だった。そのなかで、勝って、戸田先生にお応えしてきた。それが弟子の道だ。ポーズだけの、遊び半分の青年など、学会には必要ない。君も立て!断じて立つんだ。見ているぞ!」まさに生命と生命の打ち合いであった。



太字は 『新・人間革命』第8巻より

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