『新・人間革命』第5巻 開道の章 P40~

パリに滞在しているバレリーナが 伸一一行を尋ねてきた。
伸一は 話すうちに 彼女の虚栄心の強さと、自身のなさを感じ、指導する。

「一流をめざすことは、大いに結構です。しかし、そのためには、一段階、一段階の目標を明確にし、日々徹底した努力と挑戦がなければなりません。夢と決意とは違います。」

「ただ、こうなりたい、ああなりたいと思っているだけで、血のにじみ出るような精進がなければ、それは、はかない夢を見ているにすぎません。」

「一流になろうと、本当に決意しているならば、そこには、既に行動がある。既に努力があります。
 成功とは、努力の積み重ねの異名です。」

「大切なのは足元を固めることです。仏法は最高の道理であり、その努力のなかに信仰がある。

「 自分を開花させ、崩れざる幸福を確立していくには、信心と言う生き方の確固たる基盤をつくることです。人間は自分の境涯が変わらなければ、いくら住む所が変わっても、何も変わりません。その境涯を革命するのが仏法です。」

「ともかく、20年、30年と、地道に信心を全うすることです。その時に、あなたの本当の人生の大勝利が待っています」と 使命と幸福の大道を歩ませるため 激励した。


建築物の視察に出掛けた一行は ルーブル美術館に寄る。
伸一は 戸田が「これからの婦人は、世界に目を向けねばならない。それには、世界的な美術品を直接、見ておくことも大事だ」と 婦人部を連れて、「フランス美術展」を鑑賞したこと思い出す。

「芸術というのは、民族や国境、宗教や習慣の違いを超えて、人間の心と心を結びつけるものだ。」

満州事変のころ、アメリカで半日感情が高まり、日本をボイコットせよという声が強くなった時、ボストン美術館で行われた展示会で、日本の絵巻物が紹介され、人びとがその美しさを褒め称えたことを思い出す。

絵巻物は、政治的な対立や人種差別、敵対感情を超え、心の共感を勝ち取ったのだ。

「優れた芸術は、人間性の発露であり、人間性の表現であると思う。ゆえに、自由であり、多様性を持っている。それは、武力や暴力など、外圧的な力で、人間を封じ込める“野蛮”の対極にあるものだといえる。」

「だから、芸術は、政治問題などの外からの規制を超えて、より深い次元で共鳴し、共感し合い、友情を結ぶことができる。私は、そこに、世界平和への芸術の可能性を感じる。」

このルーブルの至宝を ナチス・ドイツの侵略から守り抜いたのが、後に伸一と深い友情で結ばれることになる、ルネ・ユイグであった。

芸術家や文化人のなかには、ナチスの“お墨付き”を喜び、ヒトラーやナチスを称える発言をし、そうした作品を積極的に手がけていった人も少なくなかった。

なぜ、文化や芸術を愛する人間が、“野蛮”の最たるものともいえる戦争を賛美し、積極的に協力していったのか。

一つの次元からいえば、それは、「確固たる自分がなかった」ということではないか。
自分がないとは、結局哲学がないということである。その哲学とは、自身の心を、人間性を耕して
生き方信念を形成するものという意味である。

“文化”すなわち、“カルチャー”の西洋でのもともとの意味は“耕す”ことであった。

自分を耕すことを忘れ、精神を荒れ地のままにしておいて、どんなに文化を論じ、文化に深い造形を持っていたとしても、それは文化を自己の装飾にしているにすぎない。だから、文化人を自称していても、軍国主義に飲み込まれ、あるいは、拝金主義に流されていってしまうことになる。

イギリスの詩人T・Sエリオットは 偉大な芸術、文化の根底には、哲学、そして宗教的な何かがあると言った。

「芸術の創造のためにも、また、民族、国境を超えて、民衆と民衆の相互理解を深める交流のためにも、いつの日か、美術館をつくりたいね。」

伸一は 未来を思い描くように言った。


太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋