小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

リーダーの自覚

広布の布陣

『新・人間革命』第8巻 布陣の章 P40~

5月度の本部幹部会では、大がかりな新組織の誕生と副理事などの最高幹部が本部長として組織の最前線で陣頭指揮をとる人事も発表された。

今回、会長山本伸一が、組織の大拡充に踏み切ったのは、戸田城聖の七回忌を期して、いよいよ本格的な広宣流布の大前進を開始しようと決意していたからであった。

彼は、自分が生きているうちに、世界広布の揺るぎない基盤をつくり上げておかなければ、大聖人御在世から約7百年を経て、ようやく到来した広宣流布の好機を、逸してしまうことを痛感していた。

だから、力の限り、前へ、前へと進むしかなかった。しかし、最高幹部であっても、その伸一の深い決意を知る者はいなかったといってよい。

なかには、学会は、これだけ大きくなったのだから、もう、十分ではないかと考える幹部さえいたのである。

日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を自身の使命とし、そこに一身を捧げた伸一と、その一念の定まらぬ幹部との間には、既に大きな心の開きが生じ始めていたといえる。

広宣流布は人で決まる。御聖訓には『法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し』と仰せである。 求められるのは、「自分」中心ではなく、どこまでも「法」を中心に考え、会員のため、人びとのために奉仕し抜く、私心なき「信念の人」である。そして「真剣の人」「正義の人」「勇気の人」「誠実の人」「英知の人」であり、「覚悟の人」である。

広布の布陣とは、単に組織を新設し、人事を行うことではない。新しいリーダーの自覚を促すとともに一人ひとりの同志に、清新な息吹を送り、新出発の決意を呼び覚ましていくことこそ、最大の眼目といえる。

伸一は、会合の帰りに、数人の幹部と一緒に銭湯へ行き、心の距離を縮めようとすることも激励になると話し、風呂帰りに 皆でアイスクリームを食べながら、広布の展望を語り合った。

新出発の会合では、各副理事長たちが、自分たちの担当した本部を最高のものにしようと決意を語る。

伸一は、「ひとたび戦いを起こすならば、必ず勝つという伝統をつくっていただきたいのであります。
何ごとも勝てば嬉しい。活動の勝利は、わが生命に躍動と歓喜をもたらし、希望と活力の源泉となる。しかし、負ければ歓喜もなくなり、元気も出ません。」

山本伸一は、広宣流布の活動においてなぜ、勝利を収めなければならないかを、今度は個人に即して語っていった。

「勝とうと思えば、目標を立て、決意を定め、真剣に唱題に励むことから始めなければならない。さらに、知恵を絞って、勇気をもって挑戦し、粘り強く行動していく以外にありません。」

「一つ一つの課題に勝利していくならば、それは、大きな功徳、福運となっていきます。また、何よりも、それが人生に勝つための方程式を習得していくことになる。さらに、活動を通してつかんだ信仰への大確信は、人生のいかなる困難をも切り開いていく力となります。」

「御書には『仏法と申すは勝負をさきとし』と仰せです。それは、広宣流布とは、第六天の魔王という生命破壊の魔性との戦いであり、さらには人間が生きるということ自体が、人生そのものが戦いであるからです。」

「人間の幸福といっても、自分の臆病や怠惰などの弱さと戦い、勝つことから始まります。人間革命とは、自己自身に勝利していくことであり、そのための、いわば道場が、学会活動の場であるともいえます。」

伸一は、強盛に信心に励むことで大功徳を受け、大境涯になるための、布教であり、学会活動であることを訴え、一人ひとりの胸中に、広布への「精神の布陣」を整えることを主眼としていたのである。


太字は 『新・人間革命』第8巻より

リーダーの自覚と責任

『新・人間革命』第8巻 布陣の章 P29~

伸一は、戸田城聖の七回忌までの活動の打ち合わせを行った。各組織の検討が 始まると理事たちが、組織のことを評価するのを聞き、厳しい口調で言った。

「最高幹部でありながら、自らは何もせず、野球でも観戦するかのように、どこの支部が強いとか、弱いと言っているのは、低級な評論家ではないですか。」

「自分は苦労もしないで、高みから見下ろし、あれこれ言うのは、官僚主義に毒されている。自分では気づかなくとも、堕落が始まっているんです。私は、そういう幹部とは、徹底して戦ってきましたが、これからも、断固戦います」

戸田先生の七回忌への総仕上げにあたり、全幹部が学会精神に、草創の心に立ち返れと話す。

戸田城聖が、逝去された年に、最近は指導の成果が出ていないようだと語り、それは会員のせいではなく、根本となる幹部の信心の問題であり、幹部に成長がないことが、その原因であると指摘。

しかも、そのあとで、『学会の発展のためには、まず会長である私自身が、しっかりしなければならん。私自身が自分を教育し、磨いていかねばならんと思っている』と言われたと話す。

「戸田先生は、ご自身の、また、幹部の”自己教育”ということを、叫ばれた。これは、先生の遺言です。常に“自己教育”していける人でなければ、本当の幹部とはいえません。」

「学会のいっさいは、私の責任であり、私の問題であるからです。その強い自覚があるがゆえに、私は、評論家のような、傍観者のような、無責任な発言は絶対にできないんです。」

「皆さんも、・・・私と同じ決意に立っていただきたい。そうでなければ、何人、理事が増えようが、広宣流布の力にはなりません。かえって足手まといになるだけです。」

伸一は、陰で広宣流布を支える人びとを、草の根を分けるように探し出し、励ましのためのさまざまな手を打っていった。

組織のリーダーとして、縦横無尽に活動の指揮をとっている人を見ると、その人を陰で支えているのは
誰かを、常に考えてきた。

メンバーが勇んで活動できるように、地道に家庭指導に歩き、悩みを聞き、豊富な人生経験を生かしながら、きめ細かな激励を重ねる“指導の達人”もいる。また、幹部として活動に励む嫁などに代わって、孫の面倒や家事を引き受け、しっかりと家を守ってくれているお年寄りも多い。

仏法は平等である。広宣流布のために尽力していくならば、誰も称賛してくれることはなくとも、御本仏が必ずご称賛くださる。また、それはすべて、偉大なる功徳、福運となって、自身を荘厳していくことは間違いない。

「おとしよりの集い」に参加した伸一は強い確信を込めて語った。「若くても、老いている人もいる。年は老いても若い人もいる。人間の若さの最大の要因は、常に向上の心を忘れない、柔軟な精神にあるといえます。また、人間の幸福は、人生の晩年を、いかに生きたかによって決まるといえます。」

「どんなに栄光に輝き、幸福であったとしても、晩年が不幸であり、愚痴と恨みばかりの日々であれば、これほど悲惨なものはありません。」

「信心をしてこられた、人生の大先輩である皆様が、お元気で、はつらつと、希望に燃え、悠々と日々を送られていること自体が、仏法が真実である最大の証明であります。」

言葉は、光である。たった一言が、人間の心に、希望の光を送ることもある。彼は、命を振り絞るようにして、“励ましの言葉”“称賛の言葉”“勇気の言葉”を紡ぎだし、参加者に語りかけた。

この5月24日、アメリカでは、学会の組織が、海外初の法人格として正式に認められている。


太字は 『新・人間革命』第8巻より

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