『新・人間革命』第11巻 開墾の章 P121~
伸一は、ホテルで、幹部の代表二十数人と会い、激励する。
カヤオ支部長婦人部長の任命を受けたキシベ夫妻。沖縄出身のキシベは、農牧の視察のため、アルゼンチンに渡ったのが、きっかけでペルーのリマで暮らすようになった。その後日系二世のロサリアと結婚。事業で大成功を収めるが、安易にサインしたせいで、莫大な借金を抱えることに。
長女の関節炎、長男の喘息、三男のてんかんと、子どもたちは病気をかかえていて、毎日の食費にもこと欠き、薬も買えなかった。絶望感から、2度自殺を図る。崖から飛び降りたり、猛スピードで走るバスから飛び降りたが、死ねなかった。
そのころ、友人に誘われ、仏法の話を聞き、その場でサインし、入会を決めた。その話を聞いた妻は、激怒。莫大な借金を抱えることになったのも、夫が安易に書類にサインしたせいで、それに懲りず、また、“得体の知れない宗教”の入会の書類にサインした夫が腹立たしかった。
祈ることで問題が解決できるなどと教える宗教は、まやかしに決まっていると思い込んでいたのだ。キシベは、学会活動に取り組むうち生命が躍動し、自分の考え方が変わっているのに気づく。何ごとにも意欲的に取り組めるようになったキシベは写真店「SIAWASE」(幸せ)を開く。信心で幸せになって見せるとの決意を込めた命名であった。
ロサリアは、信心に対し、冷ややかに見ていたが、会合に誘われ、話を聞き、“もしかしたら、この信仰で、一家の宿命を変えられるかもしれない。ほかに打開の道がないのだからやってみてもよいのではないか”と、信心を始めたのである。
夫妻で、勤行・唱題に励みだすと、子どもたちも病と戦いながら一緒にするようになる。しばらくすると、写真店の周辺に道路が整備され、店は大繁盛するようになり、多額の借金も短期間で返済できた。いつしか、子どもたちの病気も治っていた。
キシベは、感謝の思いを込めて、法のため、広布のために、身を粉にして働いた。その一念が、キシベの人柄となって表れ、彼は、皆から「ペルー人以上にペルー人の心がわかる」と言われるようになり、次第に日系人以外の入会者が増えていった。
そのころ、大会の行われるメトロポリタン劇場では、ペルー各地から集って来た1700人ほどのメンバーが開会を待っていた。実に見事な結集といってよい。参加者は山本会長と会うことを楽しみに、喜々として集まって来たのである。皆の視線は、壇上に注がれ、伸一を探した。
開会が宣言され、理事長の泉田が、山本会長のペルー到着と、この大会に来られないことを告げると落胆のため息が広がった。皆の顔は、見る見る曇っていった。
泉田は、山本会長のメッセージを読み上げた。「私と皆様方は、同志であります。同志とは同じ自覚、同じ決意で結ばれた人です。皆様方は、私と同じ自覚で、一人ひとりが獅子となって、友の幸福のために社会のために立ち上がってください。また、私に代わって、悩める人を、優しく、力強く、励ましていただきたいのです。今日の大会は、皆様が獅子として立つ集いです。」
「ペルー国家を声高らかに歌いながら、社会貢献の市民として前進していかれんことを、念願してやみません。」
メッセージを読み上げると泉田は、ペルーを総支部とする決定を告げ、その人事を紹介していった。
幹部たちは、なんとしても、メンバーを元気づけようと、懸命であった。
“希望も歓喜もない、つまらない会合になってしまえば、大勢の求道者の大切な人生の時間を奪うようなものだ。絶対にそんな結果に終わらせてはならない”その真剣さが、その必死さが、次第にメンバーの心を揺り動かしていった。いつしか、参加者の落胆は決意に変わっていった。
開会が宣言され、理事長の泉田が、山本会長のペルー到着と、この大会に来られないことを告げると落胆のため息が広がった。皆の顔は、見る見る曇っていった。
泉田は、山本会長のメッセージを読み上げた。「私と皆様方は、同志であります。同志とは同じ自覚、同じ決意で結ばれた人です。皆様方は、私と同じ自覚で、一人ひとりが獅子となって、友の幸福のために社会のために立ち上がってください。また、私に代わって、悩める人を、優しく、力強く、励ましていただきたいのです。今日の大会は、皆様が獅子として立つ集いです。」
「ペルー国家を声高らかに歌いながら、社会貢献の市民として前進していかれんことを、念願してやみません。」
メッセージを読み上げると泉田は、ペルーを総支部とする決定を告げ、その人事を紹介していった。
幹部たちは、なんとしても、メンバーを元気づけようと、懸命であった。
“希望も歓喜もない、つまらない会合になってしまえば、大勢の求道者の大切な人生の時間を奪うようなものだ。絶対にそんな結果に終わらせてはならない”その真剣さが、その必死さが、次第にメンバーの心を揺り動かしていった。いつしか、参加者の落胆は決意に変わっていった。
伸一は、ホテルで、幹部の代表二十数人と会い、激励する。
カヤオ支部長婦人部長の任命を受けたキシベ夫妻。沖縄出身のキシベは、農牧の視察のため、アルゼンチンに渡ったのが、きっかけでペルーのリマで暮らすようになった。その後日系二世のロサリアと結婚。事業で大成功を収めるが、安易にサインしたせいで、莫大な借金を抱えることに。
長女の関節炎、長男の喘息、三男のてんかんと、子どもたちは病気をかかえていて、毎日の食費にもこと欠き、薬も買えなかった。絶望感から、2度自殺を図る。崖から飛び降りたり、猛スピードで走るバスから飛び降りたが、死ねなかった。
そのころ、友人に誘われ、仏法の話を聞き、その場でサインし、入会を決めた。その話を聞いた妻は、激怒。莫大な借金を抱えることになったのも、夫が安易に書類にサインしたせいで、それに懲りず、また、“得体の知れない宗教”の入会の書類にサインした夫が腹立たしかった。
祈ることで問題が解決できるなどと教える宗教は、まやかしに決まっていると思い込んでいたのだ。キシベは、学会活動に取り組むうち生命が躍動し、自分の考え方が変わっているのに気づく。何ごとにも意欲的に取り組めるようになったキシベは写真店「SIAWASE」(幸せ)を開く。信心で幸せになって見せるとの決意を込めた命名であった。
ロサリアは、信心に対し、冷ややかに見ていたが、会合に誘われ、話を聞き、“もしかしたら、この信仰で、一家の宿命を変えられるかもしれない。ほかに打開の道がないのだからやってみてもよいのではないか”と、信心を始めたのである。
夫妻で、勤行・唱題に励みだすと、子どもたちも病と戦いながら一緒にするようになる。しばらくすると、写真店の周辺に道路が整備され、店は大繁盛するようになり、多額の借金も短期間で返済できた。いつしか、子どもたちの病気も治っていた。
キシベは、感謝の思いを込めて、法のため、広布のために、身を粉にして働いた。その一念が、キシベの人柄となって表れ、彼は、皆から「ペルー人以上にペルー人の心がわかる」と言われるようになり、次第に日系人以外の入会者が増えていった。
太字は 『新・人間革命』第11巻より 抜粋
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