『新・人間革命』第11巻 開墾の章 P140~
「そして、第二の要諦は教学です。教学は、一般の学問とは違います。生活、人生に、密接に結びついているんです。」
「その仰せを信じて、心を定め、御文のままに精進していく。そうすれば、“まさにその通りだ!”と実感し、御本尊への大確信をもつことができる。それが、本当の意味で、御書を拝するということであり、『実践の教学』ということなんです。また、仏法者として、人生の哲学をもつということにもなります。」
「一つの御文を、身で拝して、自分のものにすることができれば、自然に、ほかの御書もわかっていきます。すべてに通じていくんです。」
「第三の要諦としては、私は、信心の持続ということをあげておきたい。人生、最後が大事です。家を建てても、マッチ一本で灰になることもさえある。とにかく最後まで、あきらめずに頑張り通していくことです。そのためにも、まず10年先を目標に前進していっていただきたい。」
この人たちを、断じて、ペルーの広宣流布の起爆剤にしなければならない。そう思うと、山本伸一は、必死であった。一言一言、メンバーの生命の奥深く、開墾のクワを振るう思いで、全力を注いでの指導であった。
皆からの報告や要望を聞きながら、話を進めていった。スペイン語の機関誌を発刊しては、という提案に、過去に発行したが、2回ほど発行しただけで、立ち消えになったと知る。
「機関誌も、持続が大事なんです。やると決めたら、中途半端ではいけない。そうしないためには、必ず、誰かが責任をもつことです。組織の活動の焦点は、絶えず変化していきます。それにつれて、大事だから始めたことであっても、ついつい忘れられてしまうことがある。だから、何があっても、そのことを考えて、責任を持つ人が必要なんです。」
「すべて中心者が一人でやっていると、活動が多面的になればなるほど、行き詰ってしまうものです。中心者と同じ自覚で、それぞれの分野の責任を持ってくれる人がいると、重層的な活動ができるし、組織も強く、盤石になります。」
「ともかく、広宣流布の発展の力は、団結です。皆さんが、今、こうして、このペルーの国に集っているのも、偶然ではありません。私たちのつながりは、久遠の縁のうえに成り立っているものであり、過去世からの、深い深い絆に結ばれているんです。」
最後に、伸一は「ペルーのメンバーが、1千世帯を超えたということは、広宣流布の基盤が整ったことであり、歴史的な壮挙です。私は、ペルーの皆さんが、一人も洩れなく幸福になれるよう、毎日、しっかりと、お題目を送ります。」
思いやりも、友情も、祈りから始まる。祈りこそ、人間と人間を結びゆく力である。
翌日、伸一たちは、パチャカマの遺跡にも立ち寄ったが、彼は、行く先々で題目を唱え続けた。この大地の、この山河の隅々にまで、題目を染み込ませゆかんとの思いで。
リマのサン・マルティン広場で マルティンの騎馬像を見ながら、南米解放の英雄の生涯に思いを馳せた。ただ、ひたすら南米の解放を念願していたマルティンが、「王への野望を抱く者」「暴君」と、誹謗中傷されたことを思うと、身につまされてならなかった。
伸一もまた、民衆の幸福と世界の平和のために、生き抜いてきた。しかし、日本国内にあっては、彼は、公明党に天下を取らせ、自身が最高権力者となって、国家を支配することが狙いであるなどと、喧伝されていたのである。
また、この南米でも、伸一は「独裁者」などと書かれ、各国で政党を結成し、世界征服を計画しているなどと中傷されているのだ。
人間は、自分を基準にものを考える。だから、自己の野心、野望のために生きている人間は、「無私」の人の存在を認めることができないのだ。
「その仰せを信じて、心を定め、御文のままに精進していく。そうすれば、“まさにその通りだ!”と実感し、御本尊への大確信をもつことができる。それが、本当の意味で、御書を拝するということであり、『実践の教学』ということなんです。また、仏法者として、人生の哲学をもつということにもなります。」
「一つの御文を、身で拝して、自分のものにすることができれば、自然に、ほかの御書もわかっていきます。すべてに通じていくんです。」
「第三の要諦としては、私は、信心の持続ということをあげておきたい。人生、最後が大事です。家を建てても、マッチ一本で灰になることもさえある。とにかく最後まで、あきらめずに頑張り通していくことです。そのためにも、まず10年先を目標に前進していっていただきたい。」
この人たちを、断じて、ペルーの広宣流布の起爆剤にしなければならない。そう思うと、山本伸一は、必死であった。一言一言、メンバーの生命の奥深く、開墾のクワを振るう思いで、全力を注いでの指導であった。
皆からの報告や要望を聞きながら、話を進めていった。スペイン語の機関誌を発刊しては、という提案に、過去に発行したが、2回ほど発行しただけで、立ち消えになったと知る。
「機関誌も、持続が大事なんです。やると決めたら、中途半端ではいけない。そうしないためには、必ず、誰かが責任をもつことです。組織の活動の焦点は、絶えず変化していきます。それにつれて、大事だから始めたことであっても、ついつい忘れられてしまうことがある。だから、何があっても、そのことを考えて、責任を持つ人が必要なんです。」
「すべて中心者が一人でやっていると、活動が多面的になればなるほど、行き詰ってしまうものです。中心者と同じ自覚で、それぞれの分野の責任を持ってくれる人がいると、重層的な活動ができるし、組織も強く、盤石になります。」
「ともかく、広宣流布の発展の力は、団結です。皆さんが、今、こうして、このペルーの国に集っているのも、偶然ではありません。私たちのつながりは、久遠の縁のうえに成り立っているものであり、過去世からの、深い深い絆に結ばれているんです。」
最後に、伸一は「ペルーのメンバーが、1千世帯を超えたということは、広宣流布の基盤が整ったことであり、歴史的な壮挙です。私は、ペルーの皆さんが、一人も洩れなく幸福になれるよう、毎日、しっかりと、お題目を送ります。」
思いやりも、友情も、祈りから始まる。祈りこそ、人間と人間を結びゆく力である。
翌日、伸一たちは、パチャカマの遺跡にも立ち寄ったが、彼は、行く先々で題目を唱え続けた。この大地の、この山河の隅々にまで、題目を染み込ませゆかんとの思いで。
リマのサン・マルティン広場で マルティンの騎馬像を見ながら、南米解放の英雄の生涯に思いを馳せた。ただ、ひたすら南米の解放を念願していたマルティンが、「王への野望を抱く者」「暴君」と、誹謗中傷されたことを思うと、身につまされてならなかった。
伸一もまた、民衆の幸福と世界の平和のために、生き抜いてきた。しかし、日本国内にあっては、彼は、公明党に天下を取らせ、自身が最高権力者となって、国家を支配することが狙いであるなどと、喧伝されていたのである。
また、この南米でも、伸一は「独裁者」などと書かれ、各国で政党を結成し、世界征服を計画しているなどと中傷されているのだ。
人間は、自分を基準にものを考える。だから、自己の野心、野望のために生きている人間は、「無私」の人の存在を認めることができないのだ。
太字は 『新・人間革命』第11巻より 抜粋