小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

ベルリンの壁

開道の旅路

『新・人間革命』第5巻 開道の章 P7~


山本伸一のヨーロッパ訪問は、平和への扉を開き、ヒューマニズムの種子を蒔く、開道の旅路であった。

1961年(昭和36年)10月8日、ベルリンの壁の前に立った伸一は、その夜、ホテルの彼の部屋で、同行のメンバーとともに、深い祈りを込めて勤行をした。

彼は、強い誓いの一念を込めて、東西ドイツの統一と世界の平和を祈った。

“東西冷戦による分断の象徴となった、このベルリンを、必ずや平和の象徴に転じなければならぬ・・・。

”現在の世界の悲劇も、結局、人間が引き起こしたものだ。
ならば、人間が変えられぬはずはない。

伸一は、地球を一身に背負う思いで、人類の融合と平和への挑戦を開始したのである。

「ブランデンブルク門の前で、この壁は30年後にはなくなるだろうと言われましたが、そのための、何か具体的な対策があるのでしょうか」 同行のメンバーが伸一に尋ねた。

「特効薬のようなものはないよ。ただ、東西冷戦の氷の壁をとかすために、私がやろうとしているのは
『対話』だよ。」

「西側の首脳とも、東側の首脳とも、一人の人間として、真剣に語り合うことだ。どんな指導者であれ、また、巨大な権力者であれ、人間は人間なんだよ。」

「権力者だと思うから、話がややこしくなる。みんな同じ人間じゃないか。そして、人間である限り、誰でも、必ず平和を願う心があるはずだ。その心に、語りかけ、呼び覚ましていくことだよ」

「東西両陣営が互いに敵視し合い、核軍拡競争を繰り広げているのはなぜか。
 一言でいえば、相互不信に陥っているからだ。これを相互理解に変えていく。
そのためには、対話の道を開き、人と人とを結んでいくことが不可欠になる」

「また、もう一つ大切なことは、民衆と民衆の心を、どう繋ぐことができるかです。
 社会体制や国家といっても、それを支えているのは民衆だ。」

「その民衆同士が、国家や体制の壁を超えて、理解と信頼を育んでいくならば、最も確かな平和の土壌がつくられる。」

「それには、芸術や教育など、文化の交流が大事になる。その国や民族の音楽、舞踊などを知ることは、人間の心と心を結びつけ、結びあっていくことになる。本来、文化には国境はない。」

「これから、私は世界の各界の指導者とどんどん会って対話するとともに、文化交流を推進し、平和の道を開いていきます」

「しかし、政治家でなくして、一民間人の立場で、そうしたことが可能でしょうか

一国の首脳たちがあってくれないのではないかと 男子部長が尋ねた。

伸一は、確信に満ちた声で語った。
「大丈夫だよ。学会によって、無名の民衆が見事に蘇生し、その人たちが、社会を建設する大きな力になっていることを知れば、懸命な指導者ならば、必ず、学会に深い関心を寄せるはずです。
いや、既に、大いなる関心をもっているでしょう。」


「そうであれば、学会の指導者と会い、話を聞きたいと思うのは当然です。
 また、こちらが一民間人である方が、相手も政治的な駆け引きや、国の利害にとらわれずに、率直に語り合えるものではないだろうか。」


「私は、互いに胸襟を開いて語り合い、同じ人間として、友人として、よりよい未来をどう築くかを、ともに探っていくつもりです。民衆の幸福を考え、平和を願っている指導者であるならば、立場や主義主張の違いを超えて、必ず理解し合えると信じている。」

「こう言うと、日本の多くの政治家は、甘い理想論であると言うかもしれない。あるいは、現実を知らないロマンチストと笑うかもしれない。しかし、笑うものには笑わせておけばよい。」


「やってみなければわからない。要は、人類が核の脅威にいつまでも怯え、東西の冷戦という戦争状態を放置しておいてよしとするのか、本気になって、恒久平和をつくりあげようとするのかという問題だよ。」

「私はやります。長い、長い戦いになるが、20年後、30年後をめざして、忍耐強く道を開いていきます。」

そして、その平和と、友情の道を、さらに、後継の青年たちが開き、地球の隅々にまで広げて、21世紀は人間の凱歌の世紀にしなければならない。それが私の信念だ」

伸一の烈々たる決意を、皆、驚いたような顔で、ただ黙って聞いていた。


<新・人間革命 5巻 開道の章 開始>



太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋

ベルリンの壁

『新・人間革命』第4巻 大光の章 P346~

いよいよベルリンの壁へ向かう 山本伸一一行に、同行してくれる壮年は、やめたほうがいいと忠告する。今は、危険な状況であるというのだ。

ベルリンの境界線では、毎日のように発砲事件が起き、東側から逃亡を企てた人が、東ドイツの兵士に射殺されているというのだ。警戒が厳重で、写真一つ撮るのも、警官の指示に従わないと大変なことになると話す。

しかし、伸一は 仏法者として、分断された悲惨なドイツの現実を、生命に焼きつけ、魂魄を留めて、東西ドイツの融合を、世界の東西冷戦の終結を祈り、それをもって、創価学会の平和への旅立ちとしたいと話す。

第二次世界大戦で敗れたドイツは、占領政策に基づき、4か国の管理下に置かれる。そして、ドイツの半分の東地域をソ連が管理し、さらに、ドイツの首都であったベルリンについては、同じく、4管理地域に分けられ、東半分をソ連が受けもつという複雑な管理体制だった。

西ベルリンは、自由主義の「ショーウインドー」として存在し、東ドイツを脱出して、西ドイツに亡命する人が後を絶たなかった。

1961年8月13日、夜明け前の闇の中、境界線に沿って、鉄条網などでバリケードがつくられ、東西を結ぶ地下鉄、高架線、道路を封鎖。東西ベルリンが完全に分断された。

一夜にして、家族が、愛し合う恋人たちが、完全に引き離されてしまったのである。

伸一は、車を降りて、ブランデンブルク門の真下に立ちたかったが、それは許されぬことであった。

同行のドライバーは、「同じドイツ人が一緒に暮らす権利があるはずだ。」と壁の向こうにいる高齢の伯母を思い涙ぐんだ。

眼前に立ちふさがる壁の高さは、わずか、3、4メートルにすぎない。だが、その壁が、自由を奪い、人間と人間を、同胞を、家族を引き裂いているのだ。何たる人間の悪業よ!人間は何のために生まれてきたのかと、山本伸一は、炎のような強い憤りを感じた。

ー人間がともに生き、心を分かち合うことを拒否し、罪悪とする。それは、人間に、人間であるなということだ。そんな権利など誰にもあるわけがない。

だが、壁はつくられた。まぎれもなく人間によって。東西の対立といっても、人間の心に巣食う権力の魔性がもたらしたものだ。

そして、このドイツに限らず、韓・朝鮮半島も、ベトナムも、分断の悲劇に襲われた。いや、それだけではない。ナチスによる、あのユダヤの人びとの大量殺戮も、あらゆる戦争も、核兵器も、皆、権力の魔性の産物にほかならない。

伸一の脳裏に、戸田城聖の第一の遺訓となった「原水爆禁止宣言」がまざまざと蘇った。
ーあの宣言の精神も、“人間の生命に潜む魔性の爪をもぎ取れ”ということであった。

魔性に打ち勝つ力はただ一つである。それは、人間の生命に内在する仏性の力だ。

仏性とは慈悲の生命であり、破壊から創造へ、分断から融合へと向かう、平和を創造する原動力である。人間の胸中に、この仏性の太陽を昇らせ、魔性の闇を払い、人と人とを結びゆく作業が、広宣流布といってよいだろう。


雨があがり、美しい夕焼け時が訪れていた。

伸一は、思った。
“太陽が昇れば、雲は晴れ、すべては黄金の光に包まれる。そして、人間の心に生命の太陽が輝くならば、必ずや、世界は平和の光に包まれ、人類の頭上には、絢爛たる友情の虹がかかる・・・”

彼は、ブランデンブルク門を仰ぎながら、同行の友に力強い口調で言った。
「三十年後には、きっと、このベルリンの壁は取り払われているだろう・・・」

伸一は、単に未来の予測を口にしたのではない。願望を語ったのでもない。それは、やがて、必ず、平和を希求する人間の良心と英知と勇気が勝利することを、彼が強く確信していたからである。

また、世界の平和の実現に、生涯を捧げ、殉じようとする、彼の決意の表明にほかならなかった。

一念は、大宇宙をも包む。それが仏法の原理である。


“戦おう。この壁をなくすために、平和のために。戦いとは触発だ。人間性を呼び覚ます対話だ。
そこに、わが生涯をかけよう”伸一は、一人、ブランデンブルク門に向かい、題目を三唱した。

「南無妙法蓮華経・・・」
深い祈りと誓いを込めた伸一の唱題の声が、ベルリンの夕焼けの空に響いた。


新・人間革命 4巻終了



太字は 『新・人間革命』第4巻より抜粋
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