小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

ブラジル創価学会

ブラジル勝利の 暁光

『新・人間革命』第11巻 暁光の章 P93~

77年(昭和52年)の8月には、ブラジル文化会館が、サンパウロに完成し、メンバーも飛躍的に拡大していった。そして苦労に苦労を重ね、友の幸福の園が広がれば広がるほど、“山本先生をブラジルにおよびしたい”という皆の思いは、日ごとに強まっていった。

ブラジルでは、週に4回、婦人部の有志が文化会館に集まり、伸一の訪問を記念して、唱題会を開くようになった。また、メンバーは、学会の真実を万人に伝え抜いていくのだと、動きの動き、語りに語り、学会理解の輪を大きく広げていった。

やがて、それは大統領にまで至るのである。1982年5月 ジョアン・フィゲイレド大統領から伸一のブラジル訪問を歓迎する親書が届いた。皆が決意し、祈った通り、道は開かれていったのである。

83年7月、青年部を中心に、ブラジルの代表38人が、研修会に参加するために来日した。伸一は、ブラジルメンバー全員を部屋に招く。伸一のことばに、目頭を潤ませる青年もいた。「泣いてはいけない。私は、必ずブラジルへ行くんだから、また、会えるじゃないか」と優しい口調で言った。

そして、家族として歓迎の気持ちと言って、ピアノに向かい、「厚田村」、「熱原の三烈士」「荒城の月」へと移った。心に染み入る、旋律であった。日本語の全くわからないメンバーもいたが、伸一の思いは、皆の胸に痛いほど伝わっていた。

この日、この時、ブラジルの青年たちの胸に、永遠に消えることのなき誓いの炎が赤々と燃え上がったのである。

帰国したメンバーが この出会いを感動をもって語ると、全同志の胸に”山本先生が来てくださる!”との確信が光を放ち、それは、“勇気の光源”となり、“希望の光彩”となっていった。ブラジル各地に唱題の渦が広がっていった。その一念のうねりが、社会を、時代を、世界を動かしていくのだ。

遂に、山本伸一のブラジル訪問が正式に決定をみた。ブラジルの首脳幹部は、「絶対に油断があってはならない」と慎重であった。事実、訪問の日が近づくにつれて、学会への中傷も激しくなり、予期せぬ難問も生じた。その時、グロリア・斉木は、自ら交渉にもあたり、困難の壁を一つ一つ破っていったのである。

84年8月山本伸一は、北南米の歴訪の旅に出た。サンパウロの空港では、斉木たちがこの18年間の出来事をおもいながら、“山本先生の姿をこの目で見るまでは、まだ、安心できない”と到着を待っていた。66年の警察監視下のなかで行わなければならなかった文化祭。ビザが発給されず、訪問が中止となった74年、励まし合い、着実に社会貢献の大道を開いていった。

伸一は、大統領と会見したのをはじめ、外相、教育・文化相らと相次ぎ会談。また、ブラジリア大学への図書贈呈など、日伯交流の懸け橋を、幾重にも築いていった。

ブラジル大文化祭のリハーサル会場に姿を見せると、大歓声があがり、大拍手が轟いた。皆、この出会いを待ちに待っていたのだ。皆、目を赤く腫らしながら、声を限りに叫んだ。そして、泣きじゃくりながら、飛び上がって手を振り、肩をたたき合い、また号泣するのだ。

その様子を見て、グロリア・斉木も 涙が止まらなかった。18年間、こらえにこらえ、溜まりに溜まった胸の思いが、堰を切ったようにあふれ出たのだ。

翌日、開催された大文化祭には、フィゲイレド大統領から祝福のメッセージが届いた。
フィナーレでは、メンバーの愛唱歌「サウダソン・ア・センセイ」の合唱が広がった。それは、風雪に耐え抜き、自身の極限に挑んできた創価の勇者たちの、強き連帯の熱唱であった。

勝った!遂に、わが同志は勝ったのだ!この時、ブラジルのメンバーは、信仰という人間の至上の情熱と、仏法という宇宙の究極の力をもって、暗黒の闇を破り、暁光を迎えたのである。


<暁光の章 終了>



太字は 『新・人間革命』第11巻より 抜粋

社会的評価を変えた文化祭

『新・人間革命』第11巻 暁光の章 P85~

師に代わって、弟子が広宣流布の全責任を担って立ち、新しき道を開く誓いの日が「3・16」である。伸一は、この日が、ブラジルの青年たちが立ち上がる、実質的な広布後継の大式典となることを確信していた。

開演に先立って、山本会長の今回のブラジル訪問はなくなったことが、出席者に伝えられると、ざわめきが起こり観客の落胆ぶりが出演者たちにも伝わった。“俺たちが頑張るしかない。嘆いてなんかいられないぞ!”文化祭が始まった。

“生”の喜びをありのままに爆発させた、人間の祭典であった。全員が、「私が、この姿が、創価学会です!」と心で叫びながらの、体当たりの演技であった。皆が主役であり、責任者であった。心の傍観者や脇役は誰一人いなかった。そこに勝利があった。

フィナーレで、ブラジルのメンバーの愛唱歌「ジュントス・コン・センセイ(先生と共に)」が流れると、会場を埋め尽くした3千数百人の観客が総立ちになり、手拍子を打ちながら合唱が起こった。観客席でも肩が組まれ、スクラムが広がっていった。

歓喜の大波となって揺れ、『呼ぼうよ、呼ぼうよ、センセイを!(日本語訳)』と歌いながら揺れた。二階の山本伸一のために設けられた空席に向かって、皆のかけ声が、会場にこだました。「エ・ピケ、エ・オラ、・・・ハ・チン・ブン・センセイ」広宣流布への新しき誓いを込め、山本会長に届けとばかりに、誰もが、声を限りに叫んだ。

2日間3回にわたった公演は、いずれも感動のなかに、大成功で終了した。来賓たちも「すばらしい」を連発し、称賛を惜しまなかった。祝福のメッセージが、アメリカからも、日本からも届いた。世界の目は、ブラジルに注がれていた。ブラジルの飛翔が世界の祈りであった。

ブラジルのメンバーは考えた。山本先生のビザが発給されなかったのは、軍事政権の誤解と偏見によるものだが、それを変えられなかったのは、やはり、私たちの側の問題ではないか。彼らは、社会的な状況に原因を求めて事足れりとするのではなく、自分たちのこととしてとらえ、一歩一歩、前へ進んで、この解決に取り組もうとしていた。

壁が厚ければ、これまでの倍の力を出そう。それでもだめなら、3倍、5倍、10倍と力を出しきっていくのだーーそれが、皆の結論であった。そして、まず真剣なる祈りから開始したのである。

斉木夫妻は、ブラジルの土となって生涯を終える決意を固め、遂に念願であったブラジル国籍を取得できた。このころから、ブラジルに渡った日系人メンバーの多くが、ブラジルの名前を名乗るようになったのである。それは、積極的にブラジルの社会に溶け込んでいこうとする、決意の表れであった。

文化祭を鑑賞した市の関係者の間から称賛の声があがり、ブラジル独立152周年を記念するサンパウロ市主催の文化祭に、市の要請で、ブラジル創価学会のメンバー8千人が出場することになった。

当日、バックスタンドに メンバー5千人による35景の“人間大絵巻“を人文字で描き出していった。男子部フラッグ体操、女子部のリズムダンス、鼓笛隊や音楽隊の演奏行進など、華麗な演技の花が咲き、市民の絶賛を集めた。この模様は、ブラジル各地にテレビ放映された。

さらに、翌年も首都ブラジリア誕生15周年を祝う記念行事の一環としてスポーツ文化祭が開催され、出演者5千人、メンバーはバス137台に分乗し、サンパウロから1千キロの道のりを経て、かけつけ演技し、2万人余の観客を圧倒。各紙は、ブラジル創価学会を「わが国が誇る文化団体」と報道したのである。

この二つのスポーツ文化祭は、ブラジル創価学会の社会的評価を、大きく変えるものとなった。
信頼の根は、深く社会に、張り巡らされようとしていた。



太字は 『新・人間革命』第11巻より 抜粋

真実は 語らなければわからない

『新・人間革命』第11巻 暁光の章 P16~

最初に 伸一は、以前書いたリポートは、どんな情報をもとに書かれたのかと、問い、事実とは、著しくかけ離れている、真実を報道するのがマスコミの使命ではないかと指摘した。

ジャーナリストは驚き、それほど事実と異なっていたのかと尋ねた。軍部と戦われ獄死された牧口先生が、“戦犯”と書かれるなど、大変な間違いがたくさんあると、泉田が、話した。ジャーナリストは、大変な過ちを犯したことになると、迷惑をかけたことを誤った。

学会の真実の姿を伝えると約束して、インタビューが始まった。一番関心を持っていたのが、公明党と学会の関係で、ブラジルでも政党をつくるのかとか、公明党をつくった意味などを鋭く質問してきた。

伸一は、公明党をつくったのは、日本独自の理由があるとし、日本の再軍備阻止、核戦争放棄のため、また、政治を庶民のため、平和のための政治哲学を持った政治家を政界に送る必要があったと話す。

伸一がブラジルに来たのは、政党結成の準備でもなく、政教一致を狙っているわけでもないと知ったジャーナリストは、有力週刊誌に「山本氏の晴れ渡った世界」と題してリポートを掲載した。

それは、創価学会をファシズムなどと危険視する批判の検証というかたちをとっており、極めて客観的なリポートになっていた。伸一の主張も的確にまとめられ、学会の真実に迫るものとなった。

真実は語らなければわからない。沈黙していれば誤解や偏見のままで終わってしまい、結果的には誤りを容認し、肯定することになる。


伸一は、インタビューを終え、リオデジャネイロのメンバーの案内で、市内の視察に出かけた。同行してくれたリオの支部長・婦人部長の河野夫妻に、リオでの生活の様子を聞きながら、歩き始めた。

妻の美佐子は、造船会社の技術移住者の夫とブラジルに渡ることになった。出発直前学会本部にあいさつに行った時、伸一と会うことができた。伸一は、「あなたたち一家が、リオの“一粒種”ということになる。どうせ、リオに行くなら、広宣流布の開拓者として、永遠に名を残すような歴史を築いてほしい」と激励し、リオで会うことを約束した。

新天地での夫妻の活動が始まった。ポルトガル語の話せない二人は、最初、日本語のわかる日系人を探して仏法対話をしていたが、日系人は少なく、また、日系人の多くは、日本からの派遣社員で、信心をしても何年かすると皆、日本に帰ってしまうのである。

昨日と同じことをしているだけでは、飛躍も未来の発展もない。常に新しき工夫、新しき挑戦があってこそ、新しき前進が生まれることを夫妻は感じ始めた。

夫妻はリオの広宣流布を本格的に進めるには、なんとかして日系人以外の人たちに信心を教えなければと、必死になってポルトガル語を覚え、懸命に仏法を語っていった。

夫妻は、人生航路が変わったように真剣勝負で布教の毎日を過ごした。懸命に題目を唱えては、仏法対話を日課のように続け抜いていった。

やがて、そのなかから、一緒に勤行をする人が誕生し、病を克服した体験や、経済苦を打開した体験が生まれ始めた。この生き生きと蘇っていく事実の姿を目の当たりにして、さらに、信心をする人が増えていった。

また、夫妻の代わりに通訳してくれるメンバーも出てきて、日系人以外のブラジル人が、次第に信心をするようになっていったのである。

166世帯のメンバーがいるが、サンパウロに比べ、広宣流布がなかなか進まないので恥ずかしいと言う河野に、「たった、1世帯から、5年ぐらいで、ここまで発展したこと自体、すごいことではないですか。166倍に発展したことになる。焦る必要はありません」と笑顔で包み込むように語った。


太字は 『新・人間革命』第11巻より 抜粋

ブラジル創価学会への偏見と戦う

『新・人間革命』第11巻 暁光の章 P7~

『新・人間革命』第11巻 スタート

第11巻の 連載期間は、2000年(平成12年)5月から 年末までの、20世紀最後の時に当る。

「20世紀は戦争の世紀」であった。ベトナム戦争が、1968年には、泥抜の様相を示し、ベトナム戦争の詳細を「常勝の章」でつづられている。

21世紀を平和の世紀にするため、米大統領に「平和への提言の書」であり、「平和への誓願の書」であり、「諫言」の書簡を送ったことも書かれている。今、再び戦争を起こさないために 根本的な平和への道、私たちが何を成すべきかが、具体的に 書かれている。是非、多くの人たちに 再度読んでもらいたい。

<暁光の章 開始>

1966年3月10日、山本伸一は5年ぶりに、南米ブラジルを訪問した。伸一は、発熱し、朦朧とした意識であったが、頭の芯だけが、妙に冴えていた。初めてブラジルを訪問した時も体調を崩していたと思いだされた。

5年前、伸一が精魂を込めて、広布の源流を切り開いたブラジルも、会員約8千世帯に発展し、3月13日には、サンパウロ市内で、大々的に文化祭を開催することになったのである。

リオデジャネイロに到着すると先にブラジル入りしていた幹部から、学会を取り巻くブラジル社会の状況が、非常に険悪になっているとの報告が入る。創価学会は、宗教を偽装した政治団体であり、今回の訪問は、ブラジルで政党を結成する準備のためで、学会は、社会転覆をもたらす危険な団体という認識だと言うことだった。

なぜ、そんなことになったのかと尋ねると、20年ほど前に、アメリカの有名雑誌が書いた、偏見だらけの学会の特集記事を 真に受け、ブラジルのマスコミも、同じようなことを書き立て、政府や警察もそれを信じている。また、ブラジル社会に入っている日本の既成仏教や宗教関係者のなかに、学会に敵意を抱いている日系人有力者が多く、彼らが政府や警察とつながって 学会は危険だと吹聴しているとのことだった。

また、ブラジルでは政変があり、軍政が敷かれ、ブランコ大統領は、独裁制を強め、創価学会は、世界征服を狙うなどといった突飛な報道や偽りの情報にも過敏に反応し、警戒を強めていたようだった。

山本伸一は、報告を聞くと、「ブラジルも大発展し、広宣流布の大海原に船出したから、風も強くなり、波も高くなったんだ。まさに、御書に、『行解既に勤めぬれば三障・四魔・紛然として競い起こる』と仰せの通りじゃないか。ブラジルの信心が本物になったから、起こるべくして起こった障害といえる」と言った。

「だから、何があっても決して恐れたり、臆病になってはならない。学会の真実がわかれば、国家も、社会も、学会を高く評価し、称賛することは間違いない。ブラジルに、本当の繁栄と幸福をもたらしていけるのは、仏法しかないんだから」

「いよいよ、これからが戦いだ。嵐を突いて進もう。真剣な唱題と、聡明な知恵と、必死の行動で、新しい局面を開いていくんだ」


それから、伸一は、力強い声で言った。「さあ、行動開始だ!今の一分、一秒は、何か月にも何年にも相当する。」と言って 文化祭の練習に励んでいるメンバーに、激励のメッセージを送ることにした。

この日、ブラジルのある著名なジャーナリストが、インタビューをしたいとホテルにやって来た。以前、学会を批判するリポートを、ブラジルの雑誌に発表したが、その内容には多くの誤りがあった。

伸一は、学会への偏見と誤解を正すために、会って話すことにした。「学会への不安や、無用な警戒心を失くし、信頼を生むためにも、積極的に人と会っていくことだ。」と話す。

通訳を通してのインタビューが 始まった。


太字は 『新・人間革命』第11巻より 抜粋

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