『新・人間革命』第30巻(上) 暁鐘の章(前半) 390p
太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋
伸一は、今日、ルネサンスの理想を実現するために著名な思想家たちは、「新人間主義」「人間性革命」などを提唱し、人間自身の変革に最大の関心をよせていることに言及した。そして、それなくしては、人間が時代と社会の主役となり、真の幸福を手にしていくことはできないと指摘。
さらに、人間の変革のためには、自己自身を律し、無限の価値の創造をもたらす、生命の根本法が必要不可欠であると訴えたのである。「その法こそが、南無妙法蓮華経であり、人間の生命をあますところなく解き明かした日蓮大聖人の仏法なのであります。ここに、多くの思想家たちが理想とする人間変革の方途があり、この生命の大法にこそ、人類の未来を開くカギがあります」
参加者の多くは青年、なかんずく大学生である。「自身の将来のためにも、広宣流布の未来のためにも、今は、しっかり学問に励んでいただきたい。学生時代は、学問に打ち込むことが信心に通じます。信心即生活であり、学生にとっては信心即学問であると明言しておきます」
学会の役職の考え方について語った。「学会の役職は、権威ではないし、役職のいかんによって、信心が強いか、弱いかが決まるわけでもない。したがって、役職というモノサシで人を評価し、後輩たちを下に見るようなことがあっては絶対にならない。どこまでも互いに尊敬し合い、信頼し合い、励まし合って、信心に取り組んでください。
学会の組織は、広宣流布の責任を担うための責任職です。役職に就けば、苦労もあり、大変であると思う。同時に、それだけ、功徳、福運が積めることは間違いありません」伸一は、青年の育成に全力を注いだ。放っておいたのでは人は育たないからだ。
31日フィレンツェ郊外のセッティニャーのにある庭園で、イタリア広布20周年を記念する友好文化総会が開催された。イタリアのメンバーにとっては、自国での初めての大行事である。皆、何日も前から、準備や練習に励んだ。舞台一つ造り上げるのも一苦労であった。
会場に到着した伸一は、真っ先に、陰で行事を担っている運営役員の青年たちのもとへ向かい、全力で
激励した。フィレンツェでの、多くの青年の誕生は、伸一に「地涌の義」を強く確信させ、世界広布への大いなる希望を感じさせた。
伸一の席には人波が絶えなかった。その一人ひとりの話に、真剣に耳を傾け、渾身の力を振り絞るように、激励と指導を重ねた。“この時を逃せば、もう、お会いする機会はないかもしれない”との強い思いが、伸一にはあった。一瞬一瞬が勝負であった。
会場に、役員として走り回る小柄な日本人壮年がいた。14年前のイタリア訪問の折、エレベーター前で励ました小島保夫である。自分に光は当たらなくとも、新しい青年たちを励まし、黙々と皆のために尽くす存在は貴重である。組織が強くなり、発展していくためには、リーダーのもとに、そうした影の力となる人が、どれだけいるかが決め手となる。広宣流布とは、結局は連携プレーであり、団結のいかんにかかっている。
「人を頼むのではなく、自分こそが広布の責任者であると決めて、一人立つことです。そして、日々、弛みなく、もう一歩、もう一歩と、全力で前進していくーーこの小さな行動、小さな勝利の積み重ねこそが、歴史的な大勝利をもたらします」
6月1日、ローマクラブのアウレリオ・ペッチェイ会長と会談した。会長は前日にロンドンからローマの自宅に戻り、朝、ローマを発ち、自ら車を運転して、4時間がかりで訪ねて来たのである。72歳にして疲れも見せず、精力的に動く姿に、伸一は感嘆した。
会談を終えた伸一は、青年たちの代表と、ダンテの家へ向かった。人間は、いくら地位や、名声や、財産を得ても、「死」という問題が解決できなければ、真実の生き方の確立も、幸福もない。伸一は、人びとが仏法という永遠の生命の大法に目覚めてこそ、新しき生命のルネサンスがあるとの確信を強くいだいていた。
6月2日、山本伸一は、百人ほどのメンバーに見送られ、ミラノ行きの列車に乗り込んだ。この時の青年たちが、雄々しく成長し、イタリア社会に大きく貢献していった。そして35年後の2016年(平成28年)7月、イタリア共和国政府とイタリア創価学会仏教協会のインテーサ(宗教協約)が発効される。
さらに、人間の変革のためには、自己自身を律し、無限の価値の創造をもたらす、生命の根本法が必要不可欠であると訴えたのである。「その法こそが、南無妙法蓮華経であり、人間の生命をあますところなく解き明かした日蓮大聖人の仏法なのであります。ここに、多くの思想家たちが理想とする人間変革の方途があり、この生命の大法にこそ、人類の未来を開くカギがあります」
参加者の多くは青年、なかんずく大学生である。「自身の将来のためにも、広宣流布の未来のためにも、今は、しっかり学問に励んでいただきたい。学生時代は、学問に打ち込むことが信心に通じます。信心即生活であり、学生にとっては信心即学問であると明言しておきます」
学会の役職の考え方について語った。「学会の役職は、権威ではないし、役職のいかんによって、信心が強いか、弱いかが決まるわけでもない。したがって、役職というモノサシで人を評価し、後輩たちを下に見るようなことがあっては絶対にならない。どこまでも互いに尊敬し合い、信頼し合い、励まし合って、信心に取り組んでください。
学会の組織は、広宣流布の責任を担うための責任職です。役職に就けば、苦労もあり、大変であると思う。同時に、それだけ、功徳、福運が積めることは間違いありません」伸一は、青年の育成に全力を注いだ。放っておいたのでは人は育たないからだ。
31日フィレンツェ郊外のセッティニャーのにある庭園で、イタリア広布20周年を記念する友好文化総会が開催された。イタリアのメンバーにとっては、自国での初めての大行事である。皆、何日も前から、準備や練習に励んだ。舞台一つ造り上げるのも一苦労であった。
会場に到着した伸一は、真っ先に、陰で行事を担っている運営役員の青年たちのもとへ向かい、全力で
激励した。フィレンツェでの、多くの青年の誕生は、伸一に「地涌の義」を強く確信させ、世界広布への大いなる希望を感じさせた。
伸一の席には人波が絶えなかった。その一人ひとりの話に、真剣に耳を傾け、渾身の力を振り絞るように、激励と指導を重ねた。“この時を逃せば、もう、お会いする機会はないかもしれない”との強い思いが、伸一にはあった。一瞬一瞬が勝負であった。
会場に、役員として走り回る小柄な日本人壮年がいた。14年前のイタリア訪問の折、エレベーター前で励ました小島保夫である。自分に光は当たらなくとも、新しい青年たちを励まし、黙々と皆のために尽くす存在は貴重である。組織が強くなり、発展していくためには、リーダーのもとに、そうした影の力となる人が、どれだけいるかが決め手となる。広宣流布とは、結局は連携プレーであり、団結のいかんにかかっている。
「人を頼むのではなく、自分こそが広布の責任者であると決めて、一人立つことです。そして、日々、弛みなく、もう一歩、もう一歩と、全力で前進していくーーこの小さな行動、小さな勝利の積み重ねこそが、歴史的な大勝利をもたらします」
6月1日、ローマクラブのアウレリオ・ペッチェイ会長と会談した。会長は前日にロンドンからローマの自宅に戻り、朝、ローマを発ち、自ら車を運転して、4時間がかりで訪ねて来たのである。72歳にして疲れも見せず、精力的に動く姿に、伸一は感嘆した。
会談を終えた伸一は、青年たちの代表と、ダンテの家へ向かった。人間は、いくら地位や、名声や、財産を得ても、「死」という問題が解決できなければ、真実の生き方の確立も、幸福もない。伸一は、人びとが仏法という永遠の生命の大法に目覚めてこそ、新しき生命のルネサンスがあるとの確信を強くいだいていた。
6月2日、山本伸一は、百人ほどのメンバーに見送られ、ミラノ行きの列車に乗り込んだ。この時の青年たちが、雄々しく成長し、イタリア社会に大きく貢献していった。そして35年後の2016年(平成28年)7月、イタリア共和国政府とイタリア創価学会仏教協会のインテーサ(宗教協約)が発効される。
太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋