『新・人間革命』第21巻 共鳴音の章 293P
伸一は、庭に名前をつけ、お祝いに名を書いた記念碑を贈った。長谷部の家には、たくさんのメンバーが集まっていた。
伸一は一つ一つの質問に対して、全力で、誠実に答えていった。悩みに押しつぶされそうな眼前の同志を、同励まし、勇気づけるか。暗から明へ、絶望から希望へ、敗北から勝利へ、いかにして一念を転換させるかーーそれができてこそ、広宣流布のリーダーである。そのためにこそ、幹部がいるのだ。
5月18日、山本伸一はロンドンに向かった。このイギリス訪問の目的の一つは、トインビー博士との対談集の特装本と、創価大学名誉教授の称号の証書を、博士に届けることであった。しかし、博士はイングランド北東部のヨークで病気療養中とのことであった。
伸一は、イギリスの代表者会に出席した。席上、彼は、イギリスの組織が法人資格を取得したことを祝福するとともに、メンバーの健闘を讃え、ロンドンに会館を設置することを提案した。
イギリスの法人の理事長に就任した、レイモンド・ゴードンがあいさつした。「私たちは、学会が試練に遭うなどの、"大変な時こそ頑張る"をモットーに、勇んで困難に挑み、勝利を築いていくことを、山本先生にお誓い申し上げます」伸一は、ゴードンの決意を聞いて感動を覚えた。世界広宣流布の新しい曙光を見る思いがしたのである。
彼は、職業軍人となり、第二次世界大戦の時には、日本軍と戦った。"われわれは、なんと愚かなことをしているのか"この戦争が、彼の平和主義の原点となった。
横浜に居を構えた時、日本人の知人から『人間革命』の英語版を渡された。冒頭の「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど・・・」の言葉は、彼の胸を突き刺すように迫ってきた。著者の伸一に興味をもち、伸一の兄がビルマで戦死していることを聞き、罪の意識を感じた。
座談会に出、題目を唱え始め、生命力がわくのを覚えたが、それでも、仏教徒として生きて行く決断を下すには、かなりの時間がかかった。
住居を東京に移したのを機に信心することを決意。『人間革命』の本を渡してくれた日本人女性と結婚した。入会した彼は、自宅を外国人のための「国際座談会」の会場を提供し、仏法を学んだ。
夏期講習会で、彼にあった時、伸一は「次はロンドンで会うのはどうでしょう」と言った。その日から、彼は、真剣に唱題し、熟慮を重ね、イギリスの広宣流布に生きることを決断した。
日本での安定した生活を捨てて、イギリスに戻ったゴードン夫妻の生活は苦しく、靴の底がはがれても買い替える余裕もなく、自宅の冷蔵庫は空っぽのことが多かった。
ゴードンは負けなかった。大英帝国の闘将は、平和と幸福の広宣流布の大将軍となって、民衆の大地をひた走った。そして、イギリス社会に真実の仏法を根付かせ、その後の発展の基盤を築いていくのである。
伸一は、ロンドン市内の王立国際問題研究所を訪ね、トインビー博士を支えてきたルイーズ・オール秘書に、博士と伸一の対談集『21世紀への対話』の特装本を手渡し、トインビー博士への創価大学名誉教授称号の証書を託した。
5月19日の午後には、ロンドンからパリに戻り、アンドレ・マルロー宅を訪問した。1974年5月フランス政府特派大使として来日した際に、聖教新聞社で会談して以来、1年ぶりの語らいである。
太字は 『新・人間革命』第21巻より 抜粋
伸一は、庭に名前をつけ、お祝いに名を書いた記念碑を贈った。長谷部の家には、たくさんのメンバーが集まっていた。
伸一は一つ一つの質問に対して、全力で、誠実に答えていった。悩みに押しつぶされそうな眼前の同志を、同励まし、勇気づけるか。暗から明へ、絶望から希望へ、敗北から勝利へ、いかにして一念を転換させるかーーそれができてこそ、広宣流布のリーダーである。そのためにこそ、幹部がいるのだ。
伸一は、一人ひとりへの激励に、大きな会合での指導の何倍、何十倍もの精力を費やしてきた。それがあったからこそ、学会は強く、広宣流布の大前進があったのだ。
5月18日、山本伸一はロンドンに向かった。このイギリス訪問の目的の一つは、トインビー博士との対談集の特装本と、創価大学名誉教授の称号の証書を、博士に届けることであった。しかし、博士はイングランド北東部のヨークで病気療養中とのことであった。
伸一は、イギリスの代表者会に出席した。席上、彼は、イギリスの組織が法人資格を取得したことを祝福するとともに、メンバーの健闘を讃え、ロンドンに会館を設置することを提案した。
イギリスの法人の理事長に就任した、レイモンド・ゴードンがあいさつした。「私たちは、学会が試練に遭うなどの、"大変な時こそ頑張る"をモットーに、勇んで困難に挑み、勝利を築いていくことを、山本先生にお誓い申し上げます」伸一は、ゴードンの決意を聞いて感動を覚えた。世界広宣流布の新しい曙光を見る思いがしたのである。
彼は、職業軍人となり、第二次世界大戦の時には、日本軍と戦った。"われわれは、なんと愚かなことをしているのか"この戦争が、彼の平和主義の原点となった。
横浜に居を構えた時、日本人の知人から『人間革命』の英語版を渡された。冒頭の「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど・・・」の言葉は、彼の胸を突き刺すように迫ってきた。著者の伸一に興味をもち、伸一の兄がビルマで戦死していることを聞き、罪の意識を感じた。
座談会に出、題目を唱え始め、生命力がわくのを覚えたが、それでも、仏教徒として生きて行く決断を下すには、かなりの時間がかかった。
住居を東京に移したのを機に信心することを決意。『人間革命』の本を渡してくれた日本人女性と結婚した。入会した彼は、自宅を外国人のための「国際座談会」の会場を提供し、仏法を学んだ。
夏期講習会で、彼にあった時、伸一は「次はロンドンで会うのはどうでしょう」と言った。その日から、彼は、真剣に唱題し、熟慮を重ね、イギリスの広宣流布に生きることを決断した。
日本での安定した生活を捨てて、イギリスに戻ったゴードン夫妻の生活は苦しく、靴の底がはがれても買い替える余裕もなく、自宅の冷蔵庫は空っぽのことが多かった。
ゴードンは負けなかった。大英帝国の闘将は、平和と幸福の広宣流布の大将軍となって、民衆の大地をひた走った。そして、イギリス社会に真実の仏法を根付かせ、その後の発展の基盤を築いていくのである。
伸一は、ロンドン市内の王立国際問題研究所を訪ね、トインビー博士を支えてきたルイーズ・オール秘書に、博士と伸一の対談集『21世紀への対話』の特装本を手渡し、トインビー博士への創価大学名誉教授称号の証書を託した。
5月19日の午後には、ロンドンからパリに戻り、アンドレ・マルロー宅を訪問した。1974年5月フランス政府特派大使として来日した際に、聖教新聞社で会談して以来、1年ぶりの語らいである。
太字は 『新・人間革命』第21巻より 抜粋