小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

テレシコワ議長

モスクワ大学の名誉博士号授賞

『新・人間革命』第21巻 宝冠の章 348p

「ヤー・チャイカ」(私はカモメ)これがテレシコワ飛行士の、宇宙からの第一声であった。この日、ソユーズ18号は計画通りに、軌道科学ステーション・サリュート4号とのドッキングに成功したことが報じられていた。

1961年、ソ連のガガーリン少佐の乗ったボストーク1号が、世界初の有人飛行に成功した。多くの人びとが、"次は最初の女性飛行士を乗せた宇宙船を打ち上げるであろう"と思っていた。

彼女は、航空クラブに入って、自ら努力を重ねていた。そして、見事選ばれた。しかし、それは困難への挑戦への始まりでもあった。そのなかで彼女を支えたものの一つが、母への思いであった。

「地球が見える嬉しさは、たとえようもありません。地球は青く、他の天体と比べて格別にきれいでした。」この母なる地球を守らずしては、人類の未来はない。国益から人類益への思考の転換を、人間は突きつけられているのだ。

女子部の代表が質問した。「テレシコワ議長は、宇宙飛行士をしながら、妻として、母として、一人三役を果たしてこられましたが、そのためにどのような努力を払われたのでしょうか」

「妻の時は妻に専念し、母でいる時には母に専念し、ベストを尽くしました。」

人間は、常に幾つもの課題をかかえているものだ。大事なことは"すべてやり切る"と心を定め、その時、その時の自身の課題に専念し、全力で取り組んでいくことである。子どもと接している時に、仕事のことで悩み、仕事中に子どものことに心を奪われていれば、どちらも中途半端になってしまう。日蓮大聖人は『一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし』と仰せである。

5月26日も、まさに分刻み、秒刻みで、スケジュールが組まれていた。午後6時半からは、ソ連対文連とモスクワ大学が主催し、歓迎レセプションが開かれた。その夜、コワレンコ副会長が宿舎に尋ねてきた。「コスイギン首相が、クレムリンでお会いしたいとのことです」

伸一は、「首相は多忙であるので、ご迷惑にならないように 5分とさせていただきます」と言うと、コワレンコは 「新しいソ日関係を開くことができるのは山本先生だけです。私たちは、今回の先生の訪ソに賭け、最大に力を入れています。山本先生の発言は重要です。ソ連と中国、ソ連と日本の間に横たわるすべての問題に、先生のアドバイスが必要です。」

伸一は、丁重に答えた。「私の発言が重きをなせばなすほど、慎重にならざるをえません。日本の為政者は、私の発言を受け入れるとは限りません。むしろ、私の動きに警戒心さえいだいている人も多い。私は余計な波紋を日本に広げたくないんです。このことを、どうか、よくご理解いただきたいのです」

「もちろんです。しかし、先生という存在は、政治の次元など突き抜けています。大きく抜きん出た指導者です。どうか、もう一度、考え直してください」彼が帰った時には、既に午前1時を回っていた。

翌日、山本伸一たちは、モスクワ大学旧館のゴーリキー記念図書館を訪問した。
この日、伸一に対するモスクワ大学の名誉博士号授賞式が予定されていた。名誉博士の受賞の話を聞かされたのは、モスクワに到着してからのことであった。

伸一は、感謝の意を表したあと、たいした貢献もしていないため、時期尚早であるため、辞退すると言った。モスクワ大学のストリジャック主任講師は絶句した。

モスクワ大学の名誉学術称号は、ダーウィン、ゲーテ、インドのネルー初代首相、中国の周恩来総理など、人類史に輝く巨人たちに贈られている。伸一は、同大学の名誉学術称号の重さをよく知っていた。それだけに、まだ自分など頂戴すべき立場ではないと考えたのだ。

ストリジャックは懇願するように語った。「この名誉博士号は、モスクワ大学として、先生の平和、教育への貢献を讃え、捧げたいと、決定したものです。もし、先生にお受けいただけなければ、私たちが困ります。」

峯子が「お断りするのは失礼ではないでしょうか」と口を開いた。辞退すれば多くの方々に迷惑をかけてしまうことになろう。この真心をお受けし、全力を注いで、日ソの未来のために尽し抜こう!「わかりました。それでは、僭越ながら、ご好意を、ありがたく頂戴いたします」

ゴーリキー記念図書館では、前年の9月に伸一が図書贈呈を行った三千冊の本が、広く一般公開されることになり、書籍展示会のテープカットに臨んだ。


太字は 『新・人間革命』第21巻より 抜粋


国際婦人年

『新・人間革命』第21巻 宝冠の章 333p

ソ連滞在の三日目、5月24日、山本伸一は、ソ連のスポーツ施設を視察した。5年後に開催されるモスクワ・オリンピックに向けて、着々と施設の整備が進んでいた。この24日、ソ連は、有人宇宙船ソユーズ18号を打ち上げた。

アメリカとソ連は、7月には両国の宇宙船をドッキングさせ、共同の実験飛行を計画していた。伸一は、米ソ宇宙船の共同飛行が成功すれば、緊張緩和の象徴となり、宇宙での国際協力から、新たな米ソの、そして、東西両陣営の強力が開かれていく可能性があるからだ。

伸一は、確信していた。"宇宙船から見た地球には、国境も、社会体制による色分けもない。青く輝く、たった一つの人類の故郷だ。米ソの宇宙飛行士たちは、美しき地球をみながら、このかけがえのない星を、力を合わせて守ろうと思うにちがいない・・・"

憎悪、戦争は波及する。しかし、協力、平和も波及するのだ。人間の強力がもたらす感動は、イデオロギーの壁を超えて、心から心へと波動していくにちがいない。それが見えざる平和の潮流となることを彼は願った。

人びとを始動すべきリーダーたちが、当初の目的を忘れて、保身や怠惰、安逸、私利私欲に走るところから、組織の腐敗と堕落が始まり、崩壊に至るのである。人びとの心に巣くう、それらの念々を克服しゆく「人間革命」がなければ、いかに隆盛を誇った組織や国も、いつか、必ず、行き詰ってしまうものだ。

ゴールキ・レーニンスキエは、家族連れや子どもたちでにぎわっていた。山本伸一は行く先々で、子どもたちを見ると声をかけた。
幼い時の西洋人を身近に感じた出会いを語った。

「大事なことは出会いです。幼い心に、良き思い出の種子が植えられれば、それは、いつか芽を出し、友好の花を咲かせます。そして、平和の実を結びます。種を蒔かなければ、花は咲きません。実も結びません。機会があれば、全力で種を蒔き続けようというのが、私の決意なんです」
"

「一日一日が、黄金の歴史になる。さあ、今日も力の限り頑張り抜くぞ!」26日朝、山本伸一は クレムリンに向かった。ソ連最高会議は、連邦会議と民族会議の二院制である。伸一は、前回の訪ソで民族会議の議長と会見しており、今回のシチコフ連邦会議議長との会見で、両院の議長と対話することになる。

その後、伸一一行は、モスクワ市庁舎を表敬訪問した。その後、一行は海運省を訪れ、ソ日協会会長のグジェンコ海運相と会談した。彼は、自分がなぜ、創価学会を大切に考えるかについて語った。
ソ連の海運労働者が 日本人と交流した時、創価学会のこと、そのリーダーである会長のヒューマニズムに富んだ行動が、人びとから高く評価されていることを報告されていたというのだ。

「庶民のため、民衆のために何をしたかーー私たちは、そこに着目しています。」「会長がどのようにして青年を育成されているのか、世界中が知りたがっているのではないでしょうか」伸一は、海運相が創価学会に強い関心をもち、深く理解、認識していることに感嘆した。伸一は、グジェンコ海運相とも、心と心が海のように深くつながった思いがした。二人は、その後も対話を重ねていくことになる。

その後、婦人部、女子部の訪問団と共に、ソ連婦人委員会を訪問した。この1975年(昭和50年)が「国際婦人年」であることも踏まえ、ソ連の女性と、学会の女性との交流の場をもつことにしたのである。

婦人委員会のV・V・テレシコワ議長は1963年6月、ボストーク6号で宇宙を旅した、世界初の女性宇宙飛行士として知られている。

太字は 『新・人間革命』第21巻より 抜粋


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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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