小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

タイ広布

心を師とせざれ

『新・人間革命』第9巻 光彩の章 P233~


和代は、身分証明書が提出できないでいたのである。彼女は、東京目黒で育つが、両親が実母でないことを知り、ショックを受け、タイからの留学生と結婚し、バンコクに渡るが、異国での慣れない生活に1年で離婚に至る。

彼女は自暴自棄になり、身分証明書など、いっさいの書類を破り捨ててしまった。その後、潘と結婚し家庭を持つが、身分を証明するものがないままの結婚であった。

彼女は必死になって祈った。しばらくすると友人が相談にのってくれた。それから、とんとん拍子にパスポートを手に入れることができた。和代は、タイに渡って以来、17年ぶりに、喜びのなか、日本の大地を踏んだのである。


空港には、一家9人で、出迎えに来てくれた王大成もいた。伸一は、「広宣流布には、横と縦の二つの広がりが必要になります。友人から、また友人へ、仏法への理解の輪を広げていくのが横の広がりです。そして、縦の広がりというのは、親から子へ、子から孫へと、信心を伝え抜いていくことです。」

「どんなに広宣流布が進んだように見えても、一代限りで終わってしまえば、未来への流れは途絶えてしまう。信心の継承こそが、広宣流布を永遠ならしめる道であり、一家、一族の永遠の繁栄の根本です。そして、その要諦が、『一家和楽の信心』です。どうか、王さんのご一家は、タイの模範の信心の一家になってください。」

バンコクの活動について和代は、タイでは、学会に対して誤解があり、全体的には、警戒の目で学会を見ているようだと話し、学会本部から派遣されてくる幹部がタイの実情をわからず、指導するが、それでは問題が起こりかねないので、タイのやり方でやらせてほしいと訴えた。

伸一は、「当然、そうすべきです。実状を無視して、自分の意見を押しつけるのは、愚かなことです。ただ、あなたたちも遠慮するのではなく、よく説明し、意見を言わなくてはいけません。言わなければ、何もわからない。」

「人間というのは、自分がよかったという体験があると、ほかにたくさんの方法があっても、“それしかない”と思い込んでしまいがちなんです。だから、よく話し合う必要があるんです。」彼は、幹部と会員や、幹部同士の対話の大切さを痛感していた。

「活動が思うように進まない組織というのは、対話がなく、その活動の意義などを、皆が心から納得していない場合がほとんどである。納得がなければ、人は押しつけたように感じ、意欲をもって、活動に取り組むことはできない。対話というのは、まず、相手の意見、考えを、よく聞くことから始まる。」

「しかし、信心の面では、先輩に指導を求めていくことが大事です。先輩にぶつかり、信心を学んで、自分を磨き、鍛えていこうという姿勢がないと、結局は、わがままになってしまうからです。」

潘夫妻は、タイを担って立つ人である。だからこそ伸一は、本当の信心の在り方、組織の在り方を語っておこうと思った。

「人間には、自分たちがやりたいように、自由に、勝手気ままにやりたいという思いがあります。しかし、それでは、最終的に、自分の弱さに負け、広宣流布という目的を見失っていくことになる。」

「ゆえに、御書には、『心の師とは・なるとも心を師とせざれ』と述べられているんです。」

「したがって、先輩幹部との接触が大事ですし、何よりも、皆さんが、強い求道心を燃やし続けていかなくてはならない。中心者の成長が止まってしまえば、口先の指導はできても、メンバーの生命を触発していくことはできません。」

「仏法のために苦労したことは、全部、自分の大福運、大功徳になります。だから、“大変だな”と思うことに出会うたびに、“これで、一つ福運を積めたな”“また一つ、功徳の因をつくったな”と、考えていくことです。」

タイの状況を考えると 大きな会合を持つことは、難しかった。ゆえに伸一は、中核となるメンバーの個人指導に、最大の力点を置いていた。



太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋

東洋広布の人材

『新・人間革命』第9巻 光彩の章 P223~

高井夫妻は、交代で、屋久島や奄美大島にも、弘教の足を延ばした。夫婦の胸には、いよいよ仏法への大確信が燃えていた。しばらくは借金の返済に苦しむ生活が続いていたが、いつしか、それも克服していた。

平治には、以前からいだいていた、一つの夢があった。東洋の民衆の幸福と平和のために、力いっぱい働きたいーーというのが、彼の強い願望であった。彼は、日本に引き揚げる時に、今度は平和のために働いてくれと言われた、タイの兵士の言葉が、頭から離れなかったのである。

二人は、東洋広布に生きることを念願としながら、時の到来を待ち続けていたのである。山本会長が熊本を訪問した折、伸一に、“アジアの民衆の幸福のために、生涯をかけたい”という自分たちの決意を打ち開けた。

伸一は、「そうか、やっぱり、そういう人が出てきたか。嬉しいね。行きなさい。私が応援します。」と言って、具体的に話をすすめ、香港なら、いつでも行けるという夫婦に東南アジア本部長、総支部婦人部長の人事を発表した。

香港に出発する直前、二人に伸一は、「香港に行ったら、絶対に威張ってはいけない。みんなと仲良くなり、友達になることです。信心の面では、あなたたちの方が大先輩だが、香港では、一番後輩になる。だから、1年目は、何があっても、『そうですか、そうですか』と、みんなの言うことを聞くことです。そして、二年目には、『仏法での生き方では、こうです』『日本では、このようにやっていますよ』とだけ話しなさい。三年目になったら、今までの香港のやり方と、日本のやり方と、どちらがよいか、決めてもらうんです。」

「もし、皆が信心に反するような方向に進んでいきそうな場合には、なぜ、それが間違いなのかを、忍耐強く、丁寧に、噛んで含めるように、教えてあげることです。」

どこまでも、公平に、みんなのために奉仕していってもらいたい。それが本当の学会の幹部の姿です。香港を、アジアを頼みますよ」と言った。

梶山久雄という日本の亜細亜大学からの交換留学生で、香港中文大学で経済を学ぶ、学生もきていた。
梶山は、“いよいよ、東洋広布の幕が開いたのだ。ぼくも香港に行きたい”と交換留学生の試験を受け、見事パスし、学費、寮費は無料、食費も支給されるという好条件で留学できたのだ。

この梶山や高井夫妻のように、広宣流布のために、自ら海外に渡ろうという人たちが、次々と誕生しつつあることが、伸一は嬉しかった。

香港を発って2時間余りで、最初の訪問地である、タイのバンコクに着いた。1962年に訪問し支部が結成された時地区部長だった、潘錦鐘は、支部長になり、妻の和代が支部婦人部長に就任していた。

和代は、夫の活動を冷ややかに見ていたが、タイ語に不慣れな、初代支部婦人部長のアン・ミヤコ・ライズの通訳として、一緒にメンバーの家を回るうちに、次第に信心を学んでいった。

伸一に、「今度は、日本でお会いしましょう。お待ちしています」と言われ、初めて、日本に帰ろうと思い、その当時、地区担当員となった彼女は20世帯前後の地区であったが、100世帯に拡大して、日本へ行こうと決意を固めたのだった。

出発直前、地区100世帯を 達成し、5月3日の総会にタイからも 10数人の代表が参加できることになった。しかし、彼女のパスポートは いつまでたっても、発行されなかった。



太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋
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